台湾近代史シリーズ(1860~1895) 〈1〉
第1章 スウィンホー 台湾が世界に対して開かれたのは、1860年に結ばれた天津条約の規定によるものだった。天津条約というのは、アロー戦争とも呼ばれる第2次アヘン戦争の結果として、清と英仏の間に結ばれた条約で、1842年の南京条約以来の五口貿易(広州、アモイ、福州、ニンポー、上海の5港を対外開放して、貿易を行う方式)を改め、新たに約10の港を開放するというものだった。その10の港のうちの2つが、台湾の港で(北部の淡水と南部の安平)、事実上、これら2つの外に、更にキールンとタ