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#1_信仰と人生

長い自己紹介をします。

幼稚園時代。
行事や集団行動のとき、いつも私は何かしらズレる子でした。自由時間では、何をどこまでしてよいか分からず、遊ばずに時計の針をずっと見つめているような「変わった子」でした。ASD(自閉症スペクトラム)の萌芽はこの頃からアリか。

小学校時代。
周囲とのズレは益々顕著に。それによって自信を無くし、自己主張をしなくなる。そこに付け込まれ、気の強い女子数名からパシりやカンニングの被害(?)に遭う。やがて不登校に。しかし、これが信心の最初の原点につながる。
「学校に行けるように」ではなく「強い自分になれるように」と祈るよう創価学会婦人部(当時)幹部より指導を賜り、それを実践していく。祈る中で心の変化を実感。しかし、毎朝家族が通勤・通学に家を出る時間も、自身は布団で現実逃避する毎日は中々変わらず。この頃、都内の児童精神科で、ASDの傾向ありと診断を受ける。
転機となったのは6年時。素晴らしい担任とクラスメイト達に恵まれ、最後の数ヶ月は何とか教室で過ごし、卒業した。

中学校時代。
特別支援学級へ入級。クラスメイトに対する、通常学級の生徒からの奇異な視線に苦悩。そんな葛藤の中、創価学会富士中学生合唱団へ入団。ここでの厳しくも温かい薫陶により、この信心は間違いないとの確信へ至る。
また、池田先生の影響で一流の作品に体当たりするようになった。読書を通して文章力が大きく飛躍。中学生文化新聞(当時)の作文コンクールで最優秀賞を頂く。正しき師を規範とした実践が、凡夫のポテンシャルを最大限引き出せると実感。やがて、その師を求めて創価高校を受験したが不合格。最終的には、とある定時制高校に進学。

高校時代。
入学初日には既に心が荒ぶ。特別支援学級に続き、高校も地味な(失礼)定時制で全体的にも覇気がない。創価学園などの、超一級の学習環境への憧憬とルサンチマンが噴火💥。この「人と比べる命」が、その後も私の一凶としてしばしば発現するようになる。
ここでもやはり池田先生の言葉で奮起する。『青春対話』を繰り返し読み、大事なのは環境ではなく自分の心であると再起。
祈りを根底に、高校生活を謳歌。やがて、創価大学を志すように。自習室の机に齧り付くように勉強し続け、創価大学教育学科に合格。そして、高校卒業前の早春、部活の元先輩を創価学会入会へ導く。鳴り物入りの学生部員デビュー(?)となるが、残念ながら、このことも後述する慢心の遠因となる。

大学時代。
進学直後も学びの姿勢を貫き、すぐに特待生となる。その一方、大言壮語に実力が伴わぬ一部の創大生や、恵まれた高校出身ながら要領と姑息でしか課題に向き合わない同輩に幻滅。当時の私は、なぜかそれだけで自分が最も優秀と過信。さらに、信仰の力を自分の力として錯誤する慢心を抱く。
こうなった時に、ネガティブな現証が即座に出ないことは却って恐ろしい。魔はターゲットの信仰のギアを、静かにゆっくりと狂わせる。私の場合、気づいた時には極度の自信喪失と不安に支配されていた。件の「人と比べる命」により、一喜一憂の六道サーキットを走り続ける。私のズレを私より見抜いた同期や先輩からも心は離反。以降卒業まで、眼前の様々な課題から逃げ続けて貴重な大学生活を終えた。

社会人。
滑り込みで、なんとかSEの卵として新卒就職。超絶ホワイト企業に居ながら、ここでも「人と比べる命」がトリガーとなり、常に優等生でありたいと強迫観念を持つように。すぐに身体が動かなくなり、うつ病の診断を受ける。服薬しつつ何とか3年間は勤めた後、やむを得ず退職。今後も自分は変われない、と絶望。2度の自殺未遂に至る。

退職後から現在。
ここ2年は症状も落ち着いている。就労移行支援を利用したり、障害者枠で働き始めたりと、紆余曲折を経ながら、現在は所謂B型事業所にてマイペースに働いている。
創価学会の組織では、やれることから少しずつ活動に参加させてもらい、それが良い感じのリハビリになって今の穏やかな日々がある。また、過去の反省から、「八風に揺るがぬ大信力・大行力を引き出す」祈りを毎日継続中。

取り戻せ!純粋な信心😁

振り返れば全てに意味があった。オモロい人生を歩んできてます。これからも「臨終只今」の姿勢で、毎日を悔いなく生きてゆきたい!!

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