見出し画像

自尊心がないとか孤独とか、頑張りすぎてたりとか、そういう時に。【うつ病闘病記】

再確認のような日々。

1日の中で、やろう・行こうと思ったことの全てが出来なくても、予定通りにいかなくても、出来たことの方に視野を向けて自分を許し認める。

例えば、不登校気味の子が教室に入れなくても、朝起きて学校に行けた日はめちゃくちゃ頑張ったんだからすっごく褒めるみたいに。

自分が今日、用事を済ませたいと思った場所へ行くことが出来たというだけでも、すっごぉーーく偉い!
心や体が疲れていたり自信がなかったりする友人から「出来なかった」「頑張れなかった」と同じような報告を受けたら、僕は「偉いね、頑張ったんだよ」って出来たことの方を褒めたいし、そうしてきたつもり。
だから、自分にもそうする。

優しいハグや言葉を貰ったら崩れてしまいそうなときには「こんなに頑張ってんだから自信持てよ!あれとかこれとかそれとか、すげーんだよ!既に頑張ってんの、ちゃんと頑張ってっから!」って褒めたいし、そうしてきたつもり。
だから、自分にもそうする。

職場でも、親でも、顔も名前も知らないネッ友でも、ほとんどの場所で僕はそうしてきたつもり。

なんでそれを自分にしてあげられなかったのか、どうしてそれにこの歳になるまで気付かなかったのか、わからないけど。
でも、自分にはしてなかったなって思ったから、するようになった。

自分の脳みその誤作動も、面白がろうとする嘘はやめた。
強がらずに素直に怖がったり、怖いと感じるということを他人に伝えたり。
今後もし治らなくても怖くはなくなるように付き合い方を模索し続けてる。
そういう強がりや恐怖を他人に渡してご迷惑をかけてたんだろうと思ったら、メールやSNSの頻度も減った気がする。

それとね。
僕は、孤独を感じることが出来る自分は本当には孤独ではないと思っている。
たくさんの楽しみや他者との関わりを経験したから、僕は孤独を孤独と感じるのだと思う。

祭りのあとの静けさ、みたいな感覚で僕は孤独を捉えているんだろう。
孤独ではない時間が好きで、楽しくて、そのための孤独なのだと今を思えるからがんばりたい。
孤独ではない時間を知っているから、寂しなって感じる。
感覚の過敏があって疲れやすい自分だから、孤独の中にも楽しいと感じる時間を多く取れるように努めたいと思ってる。

本当にやりたいことのために今は全然違うことをしているように思えて、悲しさや寂しさや無力感を感じる日もある。
というか、今日はそんな日だった。

出来なかった、悔しい、いったい何やってんだろ、孤独だなぁ、そんなふうに感じる日だった。

けれど、それも僕の選んだ今日だから。

頑張った!疲れた!笑った瞬間や楽しい瞬間もあった!そう思える今日だから。

泣いたり笑ったりしながら、一生懸命に生きたから、今日も僕は僕を褒める。許す。

こうしてこの想いを書くことで、同じような孤独や葛藤を抱える人が1人でも救われるのなら幸いだ。

今日もお疲れ様でした。

サポートいただいたものは紙媒体の製作や取材に関わる費用等として活用させていただきます。