
地球の大気に包まれる。
”ながら家事” のお供に楽しみ〜にしていた「犬夜叉」をついに全部見終わってしまったので笑、懐かしいコミックのアニメ版、「ぼくの地球を守って」を見始めました。
”ぼくたま” と、呼ばれてたやつです。
あれは、面白かった・・・・
という、記憶があったので、見始めたのですが、やっぱり面白い。
そこで、ある人々が宇宙船から地球を見守っているシーンの中で、木蓮という登場人物が、「地球の大気に包まれてみたい・・・」ということをなんども言うのです。
そのことが、印象に残っていました。
その木蓮さんの立場からするとそれはなんと幸せなことか、地球に生まれると言うことがどれほどの痛切な願い、であるか、ということが表現されている。
私は今世で宇宙へ行ったことがないので、地球を実際に肉眼で見たことはないけれど、写真で見る限り、それはそれは美しい星なのだと思います。
そう思って、改めて、地球の大気に包まれること、というのを意識してみると、なんだかとても新鮮でした。
室内にいても大気から逃れることはできない、ただ、立っているだけなのだけど。
それはここ地球にいる者にとっては産まれた時から、恐ろしく当たり前であり、意識することではないことであり。ばかばかしいほど誰にでも与えられている権利であり。
けれど、それを切望している存在というのも、もしかしたら宇宙には無数にいるのではないだろうか?
本来、大気の中には生きていくための要素がほとんど詰まっていると、つまり食べ物を食べなくては死ぬわけではないんだと、宇宙存在のビシャーさんは言っているわけですが・・・それは普通に考えればにわかに信じがたいことかもしれなくても、逆に言えばそれほど大気というのは大事なものということでもあるのかなと思います。
私は、今は憧れだった北海道の地で、大気に包まれているのだ、と
スキーしているときは、大気を思い切り吸って、大気と一体化し、それが本当に心地よく楽しく・・・・
大気は地球に包まれるということでもあるのだなあと
改めて感じた、のです。
そうそう、先日、GoProで、自分がツリーランしているところを撮ってもらって見ると、なんどもその時の楽しい感覚が蘇る。
GoPro万歳!
違う話になりましたが・・・
週末の、小樽の海は、優しい、春を感じる色でした。