不真面目だった頃の強さ。dっっっっっっxcえっっっwd
前にも書いた様な気がするが、まあ、自分のために楽しくて書いているのだから繰り返しになっても良い。
自分史の中では、高校生の頃が最も真面目だったと思っている。
言われたことを全うし、いちおう、頑張っていた。三年ともなると、修道女のような生活だった。世の中に、高校生活というのを描いた楽しそうなコミックとかあるけれど、そんなのあり得ない。彼氏はいたこともあったけど、結局宿題のプリント提出があって毎日学校に残ったり、たまに一緒に帰るくらいしかできず、いつも待たせて、こっちは忙しくて結局サヨナラ。
しかしその後、大学に行きこれまでにない自由で新しい世界を堪能したあと、原始の感情を開いて、そのまま東京へ就職するのだが、その頃が最もある意味、”不真面目”だった様に思う。
怖いもの無し、だった。
仕事は、時代的なものもあってかなりハードであった。
朝まで仕事するのもいつものこと、いつだって寝不足だった。
同僚や先輩、後輩には鬱になる人や、逃げ出して行方不明になる人も多かった。行方不明になったのは、日本で一番難しい大学を卒業してエリートだった男子同僚。彼はその後見つかって、公務員になったそうだ。
セクハラ、パワハラ当たり前だった。
特に、建築分野で女性ということだけでも今思えば、飲み会やいろんな場所でセクハラがあった。当時はそれが当たり前、という風潮もあったし、若くてのんきだったから、気づいていなかっただけ。
ある時期、建築とは全然違う部署に突然異動させられた。それはマーケティングの部門で、日々の作業は、アンケートの集計、プログラミングしつつのマーケティング戦略の仕事である。
ど素人だった。(建築でももちろん仕事の上ではど素人)
でも、リーダーになった先輩が優しく聡明で面白くて、今思い出しても大好きで、よくしてくれたおかげでなんとか存在意義を保っていた。
そんな時、向かいの不在だった席の住人が、長い鬱休暇を明けて帰ってきた。私はそのタイミングで建築の部署に戻ることになっていたので、私の仕事をその人が引き継ぐことになっていた。
私が作ったプログラミングの中身は本当にお粗末でボロボロできっとバグだらけであった。
それを渡して元の部署に戻ったのだが、異動日を過ぎてからもその人からメールが来て、プログラミングの中身がなってない、直してくれと。それ以外にもかなりネチネチと長文メールが届いていた。内容は覚えていないけど、結構攻撃的なメールだったと思う。
ネチネチと、というと悪意を感じますね。
でも、当時の私はそれをあまり気にすることはなかった。
なぜなら、今考えても、それはもう、旧部署で処理すべき仕事であり、引き渡したのだから・・・。私の元リーダーは、それでいい、と言ってくれていた。おそらくリーダーがプログラムを直したり事後処理してくれたのだと思う。
だから、その人からのメールは、その後一切読まなかった。その人が嫌いだったわけでも、全然ない。関わりたくなかった。
ひどい?
私は当時、そんな風であった。
建築部門ではもっともっとハードだった。
今でもよく覚えているんだけど、夜中に一人で図面を書いていると電話が鳴った。午前1時ごろである。出ると、ものすごい剣幕でおじさん(クライアント?)が怒っている。
「〇〇を出せ!!」
「〇〇はもう帰宅しました。」というと、
「じゃあ、お前が今すぐタクシーに乗ってこっちに来い!!!」と。
とりあえず一度電話を切って、とても申し訳ないとは思ったが、上司の〇〇さんに電話をしたら、「ごめんね・・・無視していいよ。」とのことだった。
その後また電話がかかって来たが、その人は電話の向こうで大声で怒鳴り散らしている。
私は、受話器をそのままそっと机に置いて、図面を書き続けた。夜中に一人、広いオフィスに私は座り、画面に向かってカチカチやっていて、側に置かれた受話器からは怒声が。シュールな絵じゃないか。
ぜんぜん、気にならなかった。いやむしろ、笑えた。
このおじさん正気?
今だったら、色々気にしすぎてしまって、そんな風にできないなあ・・・・なんか、ワタシ、強かったな。いろんな場面を思い出すたびに、そう思う。色々外の世界について気にしすぎというのはある意味健康と結びつくのだな。
羨ましくさえある。
そんな風に仕事してたので、あの頃、心と身体を守ることができたと今は思う。あのまま続けていたら、いちいち、言われたことを全うしたり、動揺したりしていたら、健康を損なっていたことは間違いない。
責任はいつも会社にあると思っていた。
私は私の自分の世界で生きていた。
若さだったのか、なんだったのか、わからない。結構不真面目だったよ。会社からすれば。けど、それを責める人はいなかった。この、責める人がいなかったのは大きかったのだろう。
その後私はフランスへ渡るため、仕事を辞めた。
その時ものすごく止めてくれた上司は今はもうこの世にいない。部署もそのあとなくなってしまった。
仕事はきつかったけど、優しかった人々のいた最初の会社は社会人としての私の出発点だった。
会社が全て、みたいに思うことはない。全然ない。何も背負うことはない。会社として会社が責任を持つべきことがある。それを個人が背負うといのはおかしい。
不真面目について書こうと思ったけどなんだかただの思い出話になってしまった。
タイトルは、決して「真面目」じゃない、猫が書いたの。そのまんまにしておこう。