見出し画像

爽やかな敗北感、それは承認欲の名残り。

 3月で退職するにあたり、2月の終わりと、3月の初めに、コロナを恐れながらも、一週間ずつに分けて湘南へ行って、手付かずだった研究室の膨大な荷物を片付けた。そう、育休に入るときには当然、戻ってくると思っていた自分の仕事場だったため、全くの手付かずで、学生部屋もあったし家の引越しくらいのボリュームがあった。
 終わりかけとはいえまだ雪の季節北海道から湘南へ行くと、そこは相変わらず、太陽の国だった。まだ東京がこんな騒ぎになる直前だったのもあり、海沿いの134号線はすでに渋滞気味の季節になっていた。

 子供を連れて行くかどうか・・・など色々迷ったけれど、結果的にはこの二週間という長旅に一緒に行って良かったと思う。子供も見知らぬ土地(彼が生まれたところだけど)、見知らぬ人と交わってすごい刺激だったようだ。

画像1


 この片付けは二週間ながらもものすごい濃い日々だった。人生の一つのタームの終わりでもあり、自分が散らかし放題にしていたものを片付けることで振り返りの良い期間になった。そしてこの膨大な荷物をどうしようか?流石に一人で二週間あったところで片付けられるのだろうか・・・と心配していたが、そこにミラクルが起きる。
 二人の救世主が現れることによって片付けがうまく終わったのだった。その二人とは職場の同僚の先生方だけれど、ここへきて、もう社交辞令ではなく付き合える人としての繋がりを感じた。

 ありがたいことに、二人とも片付けの名人だった。一人の先生には私が引っ越すまで膨大な本を預かってまでもらうことになって本当に感謝している。もう一人の先生には学生研究室を一瞬にして綺麗にしてもらい、なおかつ彼女は楽しかったのだという。よくわからないけれど最後は三人で飲んで、辞める段になってようやく友人になれたのかもしれない。

 この海のそばの非常に特殊な雰囲気を持つ地域で暮らすことができたのは人生に必須のことだった。それが、憧れの、北の大地に行く前の時期に・・・湘南という場所のバイブレーションを得たことはとても大きなことだったと思う。二つの土地を経験してみて思うことは、この二つの土地は私にとっては背中合わせで、同じ波の対極に思える。湘南の眩しく明るい海の匂いとバイブレーション、そして北海道のもつ透明な空気感、白とグレーそして青の世界。湘南のそれは不思議に自由で楽しく、人を惹きつける。ビーチにはいろんな人がいて、サーフィンやらサップやら、犬の散歩やら釣りやらヨガやら・・・めいめいの遊びを楽しんでいて開放的な空気感だ。大学のそばには平日の昼間でも普通に上半身裸で真っ黒のサーファーが歩いているのを誰も気にしないし、なんの実用性もない燃費の悪そうなクルマとか、何してるかわからない・イミのわからない人がいっぱいいて楽しい。そこでは大学の時と同じく、自分を表現していい。

 しかし。そんな場所で働いていたにも関わらず、私はどんどん職場で追い詰められ(おそらく自分で追い詰め)、自分を見失って行ったように思える。私生活との剥離がどんどん大きくなって行った。

 そして、さあ、辞めました。片付きましたという段になって。感じたのは”爽やかな敗北感”だった。それがなんだったのか、少し後になってわかる。それは、どこかで、辞めることを誰かに止めて欲しかったという思いだったことがわかった。誰かに止めて欲しかった。私でなければ困る状態をどこかで期待していた。でも誰もが、辞める方が私のためだったと、正しい選択だったと言った。(それは優しさ。私は職場の学科内ですごくいじめらていたこともあり。)

 しかしそれは承認欲だった。だから、「爽やか」のは、それが承認欲であり、次へと行くときだと本当はわかっているからだ。それなのに後ろ髪引かれるのは何かを我慢すればその安定が続いたから・・・しかし、心は、それを続けることを許さなかった。

 さよなら小さな承認欲。

 ここまでなんの脈絡もなく思いつくまま書いた、まずは書きっぱなし、とりあえず。ちょっと疲れた。あとでゆっくり読み直して修正することとしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?