過去の自分を超えて〜子育てとミドルエイジの危機と。
今、「他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン」清水研著 という本を読んでいる。
今まで知らなかったが、がん患者専門の心のケアをしている部門=精神腫瘍科 という部門があり、国立がんセンターのお医者さんが書いた本である。
この本は、がんにかかった人の心の葛藤と変化を紹介し、そして、ミドルエイジクライシスについて書かれた本。
この本を読みつつ、全く新しい知見ということではなかったが、自分の中にあったモヤモヤに形が与えられた、という風に感じた。というよりも、他人事であったミドルエイジの危機というものがまさに自分に起きている事なのかも知れない、と思ったのだった。
人には、がんにかかること、鬱にかかること・・・様々な形で、自分がこれまで持っていた信念=価値体系が崩壊するきっかけになること、そしてその一方で病気になる代わりに、じわじわとその価値体系が崩れていくこと(ミドルエイジクライシス)。
それは、喪失体験であり、一時的には大変辛いものになることも多いが、それを乗り越えた時、真に豊かな人生が待っているのだ、ということである。
喪失体験が激しくわかりやすいか、あるいはじわじわと失われて気づかないうちに失っているか、どちらかということだ。
私は、今の所後者である。
だから、ここ数年のモヤモヤは、おそらく色々な喪失体験が起こっている、のかも知れないと思った。
実際、子供を産んでから、自分の体力に全く自信が持てなくなった。今までイメージ通りに体が動いていたこと、それは若い日のことであったと。
全く体がいう事を聞かない。もっと大事にしなければ、子育てなどできない。子供第一で動きすぎると自分にツケが帰ってきて、動けなくなってしまう。
その辺りから、今までとは違う本も色々と読んだし、ストレッチの本や整体などの本も読んでいる。
でも、本質は、自分を大事にすること、頑張らないこと、なるべく好きな事をして時間を過ごすこと・・・
言葉にすると簡単だ。いや、簡単そうに思える。
しかし、これが、過去を乗り越える大きな課題となっている。
自分が気づかないうちに持っている価値についてそろそろ見直さなければならないから。
これをどうやって発見していくのか?そこから始まるから。
私は、比較的自分の好きなようにこれまで過ごしてきた方だと思う。
だから、わかりやすい形=がんや鬱 によってこの喪失体験はない、のかも知れない(まだこれからのことはわからない)
けれども、だからこそややこしい。
自分が、好きなこととやらなければならないこと(外的価値)を混在させながら折り合いをつけているとすると、厄介だ。
いや、もしかしたら大抵の人はそういう風に混在しているものなのかも知れない。
人(親)からやりなさいと言われて続けてきたこと、始めたことがあったとしてもその中に、その過程の中に、自分の好きなことも見つけながらやっている場合など・・・。
だからこれは、好きなことじゃない、これは我慢していることだ、と切り分けるのは、実際なかなか困難な作業だと思う。
けれども、その中からささやかに自分の気持ちを汲み取っていく、そういう繊細で地道な作業が必要になってくる。
それは、今までになく、自分を向き合う時間となる。
まだまだ書きたいことがあるのだけど、どうも子供が起きたらしいので、とりあえずここまで。