時間がかかるのは当たり前

週3回、車で1時間程度通勤している。
この時間を、大変ですね〜
と、言われることが多いが、そんなことはない。

首都圏では珍しくない通勤時間ではあるが、
札幌では車で1時間となると、まあまあ遠いことになる。

その時間、私は、自分の母としての頭と大学人としての頭を切り替える。
ちょうど良い時間と空間(距離)となっている。
近すぎると、それはそれで楽だが、神経はついていかないかもしれない。

そんな時間を、春からずっと、オーディブルを聴いて過ごす。
読めない本を、聞くという画期的な方法!
これまでに小説ばかり、11冊読んだ。(聞いた)
今聴いているのは、夢枕獏先生の、小説だが、声優・木村昴氏の朗読である。この木村氏についてどなたなのか、全然知らなかったのだが、
先日たまたまテレビに出演なさっており、ジャイアンの声優さんだということで、驚いたばかりである。

木村氏がおっしゃっていたことで印象に残っているのが、
これまでに読んだ台本を全て(確か2000冊くらい?)、保管しており
並べているとのこと。その映像も見ることができたのだが、圧巻である。なぜ捨てないのか?という問いに対して、答えておられたのが、
何か仕事で自信がなくなった時にも、これだけのことをやってきたという自信を持つためにも、視覚的にあると良い
というようなことだった。

なるほど・・・・・

それだけの一流の仕事をされていても、自信を失うことはあるのだなとも思う。

これでいいのか、と問うこと。

私は、仕事を長らく休んでいたので、春から、「これでいいのか?」ばかりだ。しかし仕事柄、相談する人はいないし、基本的には、一人で考え、一人でなんとかし、一人で解決せねばならない。これでいいのか?そればかりである。

ところで夢枕先生は、私が若い時からの非常に好きな小説家先生である。ともかく、細胞レベルに、染み込んでくる感じ。
言語として入ってくるというよりも、水のように生物的なエネルギーによって、注がれる感じなのだ。
他には、池波正太郎先生もそうだが、
このお二人ともの小説を最近、全く読んでいなかった。


小説を読む


という時間がないと思っていた。その時間には、専門書とか調べ物ばかりしていたのだった。

思えばこれは、左脳ばかりを使っている読書だったのだ。

夢枕先生の作品に行き着く前に、前に本でも読んでいた、『鹿の王』を聞き終わって、その世界に引き込まれ、それが久しぶりの仕事復帰と重なって、何か不思議な世界、新しい世界にふわふわとしながらスタートしたのが意外と心地よかったので、今度は夢枕小説にしたところ、耳から流れ込むように入ってくる。木村氏のプロの読みもあると思う。

これを聞きながら通勤すると、急に職場近くなって、
おっと、着いてしまう!と、
慌てて5分くらいは、音楽に切り替えるようにしている。

言語的な世界は、私にとって視覚よりもイメージの世界に近いのだ。言語的な世界の方が、想像力が膨らむのだ。
けれども、文字という紙に書かれたものを見るのに、少し困難になり始めて時間も取れなくなりちょっと敬遠気味になっていたが、
耳から入ってくるというのが良い。

その中で、取り戻していく感覚というのがある。

これでいいんだ、
と、勝手に夢枕先生に背中を押される
というか、引っ張られるというか。

詩ではない言語表現において、感覚的世界を表現しても良いのだという、
そういう感覚。

とりあえずのメモ。

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