リディラバの会社紹介をしようと思ったら、思いの外こじれて「分断」について語る事になった(承前)
分断が顕在化するほど、それを繋ぐ仕事が増える。例えば法人相手に、組織内の分断を繋ぎ成果を出すのはコンサルの仕事で、対価が高い。ここで難しいのは、対価の高さと価値の高さが必ずしも一致しない事だ。
例えば教育は大変に価値が高い仕事だと思うし、そこは誰しも一定は認めるところだろう。最近では就学前教育のコスパがいいという言説をOECDが採用した関係で、日本でも3歳以上の就学前教育は無償化された。でも一方で、保育士の賃金は低い(これはこれで社会課題だ)。価値が高い仕事に対価が支払われるわけでは、必ずしもない。
リディラバ 代表の安部と話していると、この様に価値と対価にギャップがある状態を彼は「事業転換価値が高い」と評した。うまい言い方もあるものだ。教育事業は儲からない。比べれば法人事業は儲かるが、全体の事業を拡大する上で、それをどう解釈するか(売上上げるんならリソースを法人に突っ込んで、教育事業は切るのが妥当。それをしないとすれば理由は?)という投げかけで登場したのがこの「事業転換価値」である。事業転換価値が高い事にリソースを割いて、結果を出し続ける限り、確かに事業は発展する。しかし問題はいくつかあって、誰がその事業転換価値を妥当性をもって測るの?時間軸をどうコントロールする?(例えば学校は年単位の時間軸で動くため、年度途中の追加的な成長に限界がある。時間軸は長いが事業転換価値が高い分野は、こちらの体力が持たなければ転換の前に潰れる)といった事は考え続けないと成立しない。成立しないんだが、である。成立しないから、関わらないーという判断をするのか?
転職活動をしていると、ああ、自分は転職市場に出ている商品だなと実感する。分かりやすいタグを付けて高く買ってもらう。その取引をしている時点で、思考は旧世代的なのかも知れない。古いものさしで測られようとしている。そもそも自分は、別のものさしを探していたのではないのか?例えば事業転換価値というハッタリに近い概念について、それに乗っかって動かしていくドライブ感を求めていたのでは?ものさしを作る側に回りたいけど、一人じゃなあとグジグジしていたのでは?
ここまで考えて、グルンと繋がる。生きることと働くことに同時性を求める以上、ものさしは同じでなければいけない。自分が生きることに対して、見返りを求めるだろうか。より良く生きる事自体に、報酬は発生しない。一方で、今日の仕事に対しては賃金が発生している。報酬システムが働くことに大きく作用すればするほど、生きる事と働く事に乖離が生まれるのではないか。コンセプトはGrowth Together である。良く生きる事と良く働く事を同義にしよう。当時そんな言葉にはできなかったが、転職を決めた時、暗黙的に理解した。やはり私の場合は、WorkとLifeはバランスさせてはいけなかったのである。
そこまで理解していれば、転職を検討する時、確認したのは(今までの投稿で挙げてないものだと)キャッシュフローくらい。黒字倒産する船に乗るワケにいかないので最低限のリスクを認識したかった。これが確認できれば、後は乗るだけだった。40歳子ども3人と考えるとかなり攻めた感覚はあるが、これより前でも後でもリディラバに行く事は無かったと思うので、まあなるべくしてなった話だと考えている。
何か最終的に転職経緯の話になってしまった。言うても転職4ヶ月目だし、会社紹介するとそうなるか。仕方ないか。
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