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異なるコミュニティへの帰属と、一貫性のワナ

深夜1時を回って、一番下の娘が夜泣きである。ミルクを与え、オムツは変えた。母親の寝かしつけは今日に限って効かない。鼻水の音がするので、鼻吸い器で結構吸い上げた。湯冷ましを飲ませた。それでも寝ないのは久し振りのディープな夜泣きだ。もうこうなったら抱っこ紐で寝かしつけるしかなく、すっかり起きてしまったお父さんは2時半過ぎのソファーで、異なるコミュニティに帰属することの価値と、その一方で一貫性に惹かれてしまうジレンマについて作文するのだ。


友人から子どものいじめ相談を受けた時、必ず伝えるのが、学校以外のコミュニティに入っておく事だ。一つのコミュニティだけに頼ると、その中の価値観や評価、序列が知らず知らずのうちに絶対化してしまう。うまくいっている時はまだいいが、いじめの対象になってしまったりすると最悪だ。どこにも逃げられない。そこから逃げると、自分を失う事になってしまうから、どんなにひどい状況でも受け入れてしまう。人間は社会的存在とはよく言ったもので、他者から見られる自分でアイデンティファイする。故に、他者から見られる仕組みそのものが無くなることを一番恐れるのだろう。こういう時に全く構成メンバーの異なる、別のコミュニティに所属していると救われることが多い。そこで何があるわけでも無くても、一方で下された最悪の評価、最下層の序列、受け入れ難い価値観も、関係ない世界で息をするだけで、心は折れなくなるものである。他者から見られる自分を保てているから、という言い方もできよう。


社会人でも、会社一本の方より多趣味で別コミュニティに所属されている方が強かに仕事に向かえるだろう。定年後の無趣味な父親を心配していたら一気に認知症に…などといった話は特殊な事ではない。子育てに向き合い過ぎる母親の事例でもそうだし、特に転勤族で地域コミュニティにも溶け込めず、孤立して追い込まれてしまう話も近いものがある。家族というコミュニティも、それだけでは危険に成り得る。私も実際、仕事を始めた頃はマウンテンバイクレースに参戦するコアなコミュニティに所属し、最近では大学院の卒業生コミュニティに所属している。仕事の失敗も、それだけで乗り越える事が出来た瞬間を少なからず体感している。加えて今は、気がつけば5人家族になって、コミュニティと役割が増えている。


一方で、複数のコミュニティに所属する事は負担でもある。付き合いが煩わしい事もあるだろうし、自分のキャパを超えたコミュニケーションが求められる時だってある。家族と職場の2つのコミュニティでさえ、職場に偏ってしまう多くの父親がいるように。特にこの負担を大きく感じる時は、どちらかのコミュニティに強い一貫性のあるストーリーが発生した時だろう。わかりやすいイベントは、子どもの誕生とか。仕事で言えば、軌道に乗り始めた時もそうかも知れない。今やっている事は、前にやっていた事と強い繋がりがあり、故に思い入れも強くなり、更に次のステージも見えてきている。そんな状況下で、はい、じゃあここからは全然別の人たちと全然別の話しましょうねーなんて事は、ストレス以外のなにものでもない。もっと仕事にコミットし続けたいと思うし、今はそういう時期だと誰もが当事者なら考える。でも実は、本人は結構危険な分岐に立っている事に気づいていない。


ある後輩は、入社直後からパフォーマンスが高く、5年目くらいで海外選抜研修に抜擢。1年のハードな研修を乗り越えて帰国後、その学びを活かすべく満を持して赴任した先で、つまづいた。きっかけは些細なことが重なっただけ。誰にでもある行き違いの類だ。でも、どこかで揺らいだ自信を引き金に、徐々に物事の判断が遅くなっていく。判断が遅いという事は、仕事を積み残すという事。優秀な彼は誰にも相談せず、優秀であるがゆえに巧妙に、膨大な量の仕事を抱え込んだ。周囲が気がついた時にはかなりの範囲で修復不可能な事態になっていて、完璧な思考停止に陥った彼はそのまま休職してしまった。事後に、早い段階で周囲が気付けば、もしくは彼が相談してくれれば、という振り返りは当然なされた。しかしそれは本質的ではないように思う。長期間、一つのコミュニティの中で、一貫性のあるポジティブなストーリーの流れに乗っかると、それが途中いつのまにか濁流へと変わっていったとしても、抜け出る事が難しくなる。こういう時に、彼の片足が全く別のコミュニティに入っていれば、また冷静な判断が出来たかも、と思ってしまう。しかし、濁流に飲まれる前の清らかな流れの中で、あえて別のコミュニティにコミットする判断はし難いし(大抵そういう時は別の流れは濁って見える)、そもそも彼は直前まで海外に「隔離」されていた。非常に難易度が高いが、更にその手前で手を打って置かなければならなかった、という事になる。


こう考えると、今働き方改革が進む中、社員の副業を認める動きは悪くない。一見企業からしたら自社に割く人的リソースが減るかのように映るかも知れない。でも実際運用すると、社員のメンタルを支える機能を果たす良策になる可能性は大いにあると思う。
と、ここまで小一時間で書いて、娘はめでたく寝ているが、布団に下ろしてまで寝てくれるかどうかはわからない。複数のコミュニティで別の役割を全うする事は、かくもしんどくはあるが、まあ今自分はメンタル的には何でもないので、贅沢は言ってられないなと思い返すのである。

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