コロナやばくね?からイギリス留学中断、国内で隔離されるまで。
せっかくなのでコロナのせいでイギリス留学がおじゃんになってから隔離されるまでの日記に加筆して公開します。私情ばっかり書いてあるけれど、留学切り上げて、日本に帰るまでどんなことがあったのかはよくわかると思います。また、日記として書いているのでこれから帰る方の情報にはならないと思います。時間単位で情報が変わっているのでこまめに確認するのをおすすめします。
2月、イギリスでもちらほらとコロナの話題が持ち上がるようになると、私たちアジア人留学生はコロナ差別に震え上がった。長くなるので全部は書かないが、私はコロナ呼ばわりされたし、「コロナは家に帰れ!」と顔を殴られた友達もいる(もちろんすべてのイギリス人がそういうことをしたわけじゃないし、まったく差別を経験しなかった友達もいる。)それでも差別を乗り越えて留学は続くものだと信じて疑わなかった。
3月上旬、イギリスはちょっとコロナに対して楽観的じゃないか??と感じ始める。咳もくしゃみも、手とか肘とかで覆わないし、手を洗わない人もたくさんいる。ウイルスは異文化理解などしてくれない。国内でも感染者が現れ始めたが、イギリスという国は、このときはまだ、かなり強気だったと思う。アメリカもイギリスからの渡航はぎりぎりまで制限しなかったし。私も、そんな強気な態度にあてられていたのかもしれないし、どこかコロナウイルスは、地域的にアジアの国の出来事だと思っていたのかもしれない。友達とイースター休暇の予定を立てたりなんかしていた。日本へ帰るなんて、微塵も思っていなかった。
3月14日 土
夜、友達と話し合い、留学を切り上げて日本へ帰ることにした。悔しい。断腸の思いであるが、どうせ帰るならできるだけ早く帰るのがベストである。理由は三つあった。
・イギリス国内の感染者の増加がすさまじい。マスク、手洗いの習慣がある日本でさえ、ニュースを読む限り深刻な状況に陥っているのに、当時のイギリスにいる人たちはマスクをしていなかったし、手をあらう人も少ない。パンデミックは時間の問題だろうと思った。
・私が住む寮ではトイレとシャワー、キッチンを共用している。22人のフラットメイトの一人でも感染していたらもう終わりである。
・コロナに感染するなら、日本で感染したほうがまし(イギリスだと検査と入院で外国人として莫大なお金を払わないといけない。)
泣き出したいのをこらえて何をするべきか考えた。留学先大学にメールを「コロナのことを考えて日本へ帰ることにします」と送り、航空券の目星をつけ、パッキングを始めた。
3月15日 日
日本で通っている大学に留学を断念し、帰国したい旨のメールを送る。
留学先大学が、自主帰国する学生のために緊急で相談窓口を開けてくれるとメールが来たので友達と相談しに行った。私たちが訪ねたことは主に、
・退寮時にしないといけないこと。→私が留学してた大学は部屋を空にして鍵を指定場所に帰せば問題ないとのことだった。
・授業は、オンライン参加などで継続できるかどうか→実際に何をするかは決まっていないが、帰る留学生向けの措置は必ず実施するし、単位も保証する。(このあと、結局大学自体が閉まったので全員オンライン授業になった)
・学生ビザ関連ですることはあるか→あとでオンラインフォームを送る。
そのほかにも、国際課と大学のビザセンターへ行って指示を仰げと言われた。
休みの日にも関わらずものすごく丁寧に質問に対応してくれた。
3月16日 月
突然フランス国境封鎖のお知らせが来た。フランス人の友達が一斉に帰国の便を早め、支度する。イギリスとて、こんな風に国境が閉められてしまうかもしれない。なるべく早く日本へ帰るべきだ。
日本で通っている大学から帰国の許可が下りる。渡航費の援助を求めたが、この時点では帰国命令ではなく許可をもらって帰るため、この自主帰国にかかるお金の支援はしないとのことだった。それなのに、できるだけ直行便で帰ってこい、とメールに書いてあった。直行便は一番安くて10万円する。しかもそれは、かのKiwiを介して予約した場合であり、空港会社から直接予約すると20万円近い。無理だ。
自主帰国だから金を出さないというのならば、外務省が指定する危険レベルが2に引き上げられて帰国命令がきたらお金を出してくれるのだろうか。また、日本で通っている大学に帰国の手続きはどうしたらいいかと聞いたところ、とりあえず留学先大学に従えとのことだった。
日本行きのチケットがものすごい勢いで減っていると連絡があり、焦ってチケットを買う。出発時にせっかくターキッシュエアラインズのオープンチケット(復路の日程を変えることができるチケットのこと)を買ったのに、メールを送っても返信が来ないし、3時間電話し続けてもつながらないのであきらめた。新しくエールフランスでチケットを買う。めっちゃ高い。金曜日の昼に出発する便にした。
留学先大学から、来週から全員オンライン授業にスイッチすると連絡が来る。つまり今週は通常どうりに授業が行われるということだ。すべての授業の教授に、帰る支度をするので授業は休むとメールを送った。
現地の大学の国際課、ビザセンター、寮の事務所へ行き、帰るまえに何をするべきか聞く。国際課はまずビザセンターに行けというし、ビザセンターはまず国際課にいけと言われた。なんとか担当者を探し出して、学籍番号とメアドを残し、なにか決まったことがあれば連絡するようにお願いした。(あとからビザセンター、現地の国際課から改めてメールが来た。帰国する学生が提出するオンラインフォームがいくつか送られてきて、それを提出するだけですべての手続きが終わった。)
3月17日 火
フランス人の友達がイギリスを去った。フランスの国境が封鎖されてしまうからだ。
そのあと、帰国便の手配が済んでいるからといって、日本で通っている大学の国際課から、他のイギリスへの留学生に手続きのアドバイスをしろとメールが来た。なんてことだ。こんなんで給料がもらえるのか。私にはなんの支援もなかったのに。そもそも私たちは自分自身でニュースを見て、友達と話し合い、自分で帰国を選択し、現地の教授、教務課、国際課、そして日本の大学にするべきことを確認してやっと帰国の確定までこぎつけたのだ。他人の決定にただ乗りするなんてなんたること。ああ、この人はそうやって生きていくのか。と、烈火のごとく怒っていたのに、私はその留学生に土曜日の夜からその日までにしたことを事細かく書き、困ったら電話しろとラインまで教えたのだった。やめりゃいいのに。
イギリス時間の14時ごろ、危険レベルが2に引き上げになった。すぐさま「帰国命令ってことはチケットのお金払ってくれますか」とメールをした。それでも払ってくれないとのことだった。
それにしても危険レベルの引き上げが速い。友達と情報を共有していると、このままでは帰国後に隔離されることもありえると考えた。隔離を要請された場合、どうすればいいか、大学で宿泊施設を提供するつもりはあるのか日本で通っている大学に質問してみたが、「ヨーロッパは今のところ大丈夫だと判断し、何もするつもりはない。」という返事がきた。(この後へのフラグである。)なんて楽観的なんだ、、、と心配になり、一緒に留学していた同じ大学の先輩と、帰国後に泊まるために羽田空港近くのホテルを二泊とった。この滞在期間中に帰宅するか、ウィークリーマンションなどのより安い宿泊施設に泊まるか考えるつもりだった。(帰国時に検疫の決まりが変わり、この予定はすべておじゃんになった。詳しくは21日の日記をみてほしい。)
また、この日、留学先の授業が突然すべてキャンセルになった。事実上今日から大学が閉まることになった。正規学生も急いで荷物をまとめて実家に帰る。このセメスターで卒業の人もいるためか、昼頃から深夜までどこもかしこもお別れパーティーだった。気持ちはわかるが、コロナ感染を防ぐために大学が閉鎖されたのに、密室で暴れているのは面白いなあと思った。
3月18日 水
友人を見送るため早起き。その友達からバーミンガム空港が予告なしにこの日閉鎖されたと聞く。私が使う予定であるマンチェスター空港が閉まらないという保証はない。たまらなく不安になった。
それでもパーティーは続く。夜には酔っぱらって奇声をあげながら大学を徘徊する人たちがいるのでセキュリティチームが出ずっぱりだったそうだ。
3月19日 木
残ってる友達と冷蔵庫の中身を一掃するためにお別れ会。手紙を出し、本を返却し、使える生活雑貨は寄付、未開封の食べものはフードバンクに渡した。眠れない。
3月20日 金
9時に寮を出発
10時 マンチェスター空港到着。すごくすいている。いくつかのレストランが閉まっているだけで、免税店などは開いていた。マスクに加えて、レインコートやゴーグルを着けている人もいた。みんなが怯えていて、ストレスを感じているのがひしひしと伝わってきた。
14時 飛行機搭乗。一人分席が空くように席が分配されていた。
17時 パリに到着。扉があいた瞬間おしあいへしあいだった。押し合って飛行機から抜け出すことこそが濃厚接触なのでは。そこから乗り換え待ちで6時間滞在した。免税店、カフェ、みんな閉まっていた。コンビニみたいな売店だけ開いている。
23時半 出発。飛行機が飛んで本当によかった。みんなマスクをしている。
(日本時間)18時半 予定よりも早く到着した。
客室乗務員から三枚の紙を渡された。簡単に言うと、自分の連絡先、2週間の隔離中の滞在先、健康状態を記入する紙だった。2週間の滞在先なんて決まってない。とりあえず書けるところまで書いて空港を進むと、入国審査のところに隔離対象の人用のブースが設けられていた。空港の人が言うには、2週間の隔離において、その滞在先へはレンタカーか家族の迎えによる移動しか認められない。と説明された。(結局、ホテルに泊まる人は乗り合いバスに乗せられたのに、どうしてこの時その説明がなかったんだろう?)宿泊施設がまだ決まっていない場合、ここで予約しないと入国させられない。とのことだった。私たちは2日間羽田近くのホテルに泊まり、そこからさらに安いウィークリーマンションを借りるつもりだった。途中から宿泊先を変える場合はどこに申請するんですかと聞くと、それは認められない。そんな申請は受け付けない。と言われてしまった。そもそもホテルへはどうやって行けばいいんだろう。公共交通機関はおろかタクシーもだめときた。すべての人が迎えに来てもらえるわけではないだろうに。ああ、ホテルはどうしよう。考えあぐねていると、空港の職員がその時初めて、まとめてバスで送るから早くしろと言われた。先に言ってほしい。急かされてしまって、私たちは結局、もともと予約していたホテルの滞在を延ばせるか電話して問い合わせ、そこに2週間連泊することにした。
このとき日本で通っている大学にどうすればいいか相談するメールを送ったが、結局返信は来なかった。
実は出国前、「21日0時以降に出発した便から降りた人に2週間の隔離を要請する。」という案内を教えてくれた人がいて、その告知の紙を読んではいたのだ。しかし21日0時が日本時間とははっきり明記されていなかった。私の便はパリを20日23時に出発するのでそんなに厳しい検疫の対象にはならないのではないかと考えてしまった。私が甘かった。(この出発時間は日本では21日の午前7時である)しかも、宿泊先を使う場合、2週間分予約し、それを提出しなければならないとは書いていなかった。それができない場合入国させないとも。また宿泊先を利用する場合は空港から乗り合いバスが出ることも最初に告知されてはいなかったと思う。少なくとも、帰国前にその情報はつかめなかった。
みんなが辛くて、ぴりぴりしていることはわかる。でもわたしからしたら、コロナ差別から始まり、飛行機に乗る2日目からイギリスのいくつかの空港は予告無しに閉鎖され、マンチェスター空港がいつ閉鎖されるか定かではなかったし、とっくに国境を閉鎖したパリの空港がいつまでトランスファーのために開くかも分からなかった。日本で通っている大学の国際課はこういうことに質問しても返事をスルーしたり、わからないの一点張り。それを確認するそぶりも確認できなかったので頼りにできない。そんな状態でやっと羽田に着いたのに、私たちはコロナウイルスのリスクとして扱われた。(と感じた。)それでさっさと宿泊先確保しろ。虚偽申告したら罪に問われることもある。と急き立てられて、もう限界だった。
情報が不足しているため、入国にはとても時間がかかったし、私たちがなんとか予約できたホテルもベストとは言えない。大学も国も、隔離にかかる費用を払わないと言うなら、よりよい選択ができるようにもっと情報を丁寧に公開してほしかった。
入国した後、スーツケースを引きずって30分ほど歩かされた。イベントに使いそうな部屋に通されそこからまた数十分待たされた後、バス停まで案内された。20分くらい歩いた。バスまでは送るが最寄り駅までだと言われた。タクシーを当てにしてたために3つスーツケースを持っているような人もいて、そんなの無理だ。と係の人に怒鳴っている人もいた。
怒るのもわかる。さっさとホテル予約しろ、そこへの移動はこちらが用意したバスだ。でも最寄り駅までしか乗せて行くつもりはない、、、わたしは片耳にイヤホンをさして茫然としていた。疲れ果てていた。
夜10時頃ホテルにチェックインした。ぼろぼろだったところに、普段からお世話になっている先輩方や友達からメッセージが届いた。迎えに行くよ、と言ってくれる人や、家に泊めてくれようとしてくれた人もいた。自分は一人じゃないと思うと、本当に安心した。
3月22日 土
一緒にホテルに泊まっている先輩も私も朝5時に目が覚めた。時差ぼけだ。
ホテルに着いて落ち着いたとはいえ、まだ終わったわけじゃない。留学先大学のオンライン授業はどう行われるのだろうか。リアルタイムでディスカッションなんてことになったら、時差のせいで夜中におきなければならない。もしくは時差が辛いので対応してくださいと教授にメールしないといけない。もしくは、より多くの課題が出されるかもしれない。4月からの前期が始まる前に帰ってきてしまったので、もしかしたらそこから日本で通っている大学に復帰しないといけないかもしれない。こんな時に大学は普段通り開かれるのだろうか。復帰するとしたら、実家が大学から遠いので住む場所がないし、6月から海外インターンが決まっている。(その6月のインターンも、現地へ渡航できるか分からないが。)そもそも、留学の報告書は帰国後2週間以内提出と説明を受けていたが、隔離中のため無理である。締め切りはいつになるんだろう。それに、どうしても大学は渡航費と隔離中の滞在費を助けてはくれないのだろうか。
日本で通っている大学の国際課からメールがきた。情報提供しろと言われた。私は怒った。激おこぷんぷん丸である。今まで微塵も助けてくれなかったのに今更何を言っているのだろう。ここまで読んでくれたもの好きな方ならわかってくださると思うが、私は、1週間前から、考えられるリスクを国際課に相談してきた。それなのに毎回国際課は「いまのところ大丈夫です^^」と無視してきた。その結果がこれだ。「大丈夫です^^」は、まったく「大丈夫^^」じゃなかった。それでいま、それをすべて個人の決断でこなした私に情報提供しろという。私だって何度も助けを求めた。本当はずっと不安だったし、助けてほしかった。でも助けてくれないから自分で、信頼できる友達に相談し、メールを送り、チケットを探し、宿泊場所を手配してきたのだ。誰のことも助けないのならまだ我慢できたかもしれない。しかし、これは不公平だ。私の情報で、誰かをこれから支援するということか。
大学側が情報不足なのも理解できるが、その情報を集める努力を怠ったことも明らかだと思う。私は隔離中の宿泊先にしろ検疫にしろ、事が起こる先に質問したのに「大丈夫です^^」と先延ばしにした結果、これだ。
いま、帰国命令に焦ったほかの留学生が困っているという。だから情報提供しろと言う。わたしから言わせれば、わたしだって十分困っていたが、日本で通っている大学は助けてくれなかった。
こう考える自分の性格がとても悪いのはわかっているが、それでも不公平だ、、、怒りすぎて頭が痛くなってしまった。もう寝る。
3月23日 日
ターキッシュエアラインズは1週間以内には返信するといっていたのに結局来てない。
朝から先輩とラジオ体操。ものすごくテンションが上がる。からだは動きを求めていた。後にも先にもこんなモチベーションの高いラジオ体操を経験することはないだろう。
そういえば、帰国後の書類の提出期限は2週間であるが、隔離のため不可能だ。国際課に質問のメールを送る。留学報告書を書き上げたのでついでに添付した。
ここまでがコロナが話題に上がってから日本で隔離されるまでの日記です。ほとんど愚痴です。すみません。
日本のニュースは3/21からしか追っていませんが、最近帰国してから感染した人への風当たりがかなり強い形で報道されていると感じます。日々、悲しい話ですが、日本にずっといて感染する人もいるし、亡くなる方もいるのにここ二日間は帰国者ばかり取り上げられているように感じます。自分が帰国者に含まれるからより敏感なだけかもしれませんが、、、
とはいえ、これを読んでいただければ、どれほどヨーロッパ圏からの帰国者にたいして情報が不足し、お互いにどうしたらいいのか分かっていないかがよく見えてくると思います。
正直、留学生としてコロナ差別を経験した後、故郷で再度似たような思いをするとは思いませんでした。偶然で、仕方ないとはいえ、これを読んで少しでも分かってもらえる部分があれば嬉しいなと思います。
また、ここに書いた帰国の手続きや下した決定は、そのときの最善を尽くした結果ですが、100パーセント正しい行動だったとは限らないと思います。万が一、これを参考にする人がいても、あまり鵜呑みにしないで欲しいです。最新の情報はもう追っていません。
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