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「自分の感受性くらい……」〜動物のライブ配信と、もう一つの配信の観測記録〜

生き物のライブ配信が好きである。
そして配信のコメント欄の様相もまた、一種の生物のように変化していく。
それは率直に言って自分には望ましい変化ではなかったのだが…… 最早自然の摂理のように変容していくコメント欄と、それに対し自分が違和感や拒否感を持った理由について考えてみる。
だからこれは、ライブ配信そのものでなく、そのコメント欄についての結構ネガティブな記事である。

人気の配信、特に配信内容自体は健全でほのぼのしている配信について、ネガティブなことを見聞きして嫌な気分になる人もいるだろう。
だけど、これは数ヶ月という短期間ですら、ゼロから発生する”集団のうねり”みたいなものにギョッとして、さらにはそこから取り残された個人の愚痴も混ざっているのだ。
あと、自分で読んでも、とても底意地の悪い文章になってしまった。私も書いてここに捨て置いたことで、晴れやかな気持ちで明日を迎えられそうである。
だから、間に受けなくて大丈夫だし、言葉には出せなくても同じモヤモヤを感じた人とは心の中で労い合いたい。
自分の価値観や感受性は、自分で守っていこう。



無から生じる集団心理

昨年9月にとあるライブ配信が始まった。素朴で微笑ましい配信である。
某生物の親子を淡々と映したもので、コメント欄が開放になった後も、生き物の愛らしさや逞しさ、人間でない生命体への興味や感動を、視聴者がポツポツと呟くのみであった。

誰もが平等かつオープンなはずのコメント欄に、謎のリーダー格が出現するには時間はかからなかった。
・発言数が多い
・口調が厳しい
・(真偽はわからないけど)配信されている生物について細々した豆知識や (正直どうでもいい)疑問のコメントを連投している
ユーザーに対し、一目置く集団が現れた。
その人が現れれば挨拶、何か発言すれば「さすが○○さん」、新興宗教か何かを連想した。

と言っても、これはかの人物のせいではない。
強い口調でそれっぽいことをたくさん話す人の周辺に勝手にシンパが現れ、一視聴者の集まりでしかない集団の平地に地形ができる。原始の海から有機生命体が出現するくらいのイメージでいた現象が、こんな短期間で、こんなささやかな集まりでも生じたことに驚いたのだ。
とても驚いたのであって、その人が悪いということではもちろんない。

誰に対しても物おじせず発言する、配信の内容や配信者が最上というスタンスを崩さない、良くも悪くもそこから逸脱した相手に注意する______
こんな点が、自然とリーダー格に祭り上げられた理由なのだろう。

避けられない序列

さらに驚いたことに、そのリーダー格は、些細な言い争いをきっかけに一晩にして消えた。
詳細はわからないが、普段から意見の合わない視聴者のコメントに片っ端から噛みついていたその人が、何らかの言い争いで噛みつき返されて気分を害したか、立場を失くしたかしたのだろう。

ほんの数週間の出来事であった。

ある意味「強い」リーダーを失った集団は、そのままオープンで平等な更地には戻らなかった。次のリーダー格が台頭してきた。
今度は
・コメント数が多い
・他の視聴者に積極的に絡みにいく
人が中心に移ってきた。
職場でよく喋る人を中心にコミュニティが形成される、あの現象なのだろうか。
正直、視聴者同士のつながりは配信のノイズだと思っていたが、直で挨拶されれば角が立たないように返すし、全体の空気も挨拶もしたくない人はしないししたい人はそうする、くらいの緩いものだったので、さほど苦痛ではなかった。常連同士がコメント欄で会話を始めたり、お互いを異様に褒めあったりしているのも、起こりがちな出来事だな、くらいで横目で眺めていた。

集団のリーダー格は発言数や現地訪問勢、公式からの認知度、配信される生物のネーミングライツをゲットした者など、様々な基準でもって推移していった。


序列の強化因子が投入された

この集団の変容を一気に加速させたのは、運営側からの働きかけが大きいだろう。
それまで運営側の管理者、いわゆる「公式」は、時々軽口を叩きながらも、シンプルなアナウンスや回線トラブルの対応がメインであった。その「公式」が、視聴者集団に名前を付けたことが一つ。そして、テーマソングとも言えるものを作ったのが一つ。

その配信では公式オリジナルのBGMが流れていて、配信で変わった出来事や小事件、または配信されている生き物の成長に合わせて、オリジナルBGMもどんどん増えていった。変化する状況に合わせてBGMができるのも、配信の特色であり楽しみになっていた。
が、このBGMの中で、視聴者、特に熱狂的な視聴者の集団に対し名前が付けられたのである。(某アザラシ配信の視聴者の一部が、自身を茶道部だの深淵だの言い出したのと同じ現象なのだろう。)
集団が名前(仮にW族とかそんな感じ)を得たこと、テーマソングのようなものを得たことで、一部の熱狂的な視聴者の意識は配信内容から、それを楽しむ自分達に向いたようだった。
コメント欄には徐々に、自分の夕食、仕事、怪我、(名付けられた集団名の入った)制作グッズの話、一部の常連の個人的な会話が目立ち始めた。

おそらく公式が視聴者集団に「名前」や「歌」を与えたのは、純粋なサービス精神なのだろう。もしくは、穿った見方をすれば、こういう集団の中での「公式」はある意味教祖に近い扱いを受けるのは目に見えているわけだから、配信者が望んだように変化していったのである。


それでも、止まらない

さて、名前を得たことで勢いを増したW族であるが、ここで思わぬ分断が起こった。

W族か、W貴族か。


どうでもいい。
こんな、本当にどうでもいいことから生じた分断は、深刻だった。

W貴族って何?という新規の当然の疑問に対し、「頻繁にコメントしてるのがW貴族で、コメント欄に浮上してないのがW族だよ」と、新たに台頭しつつあった視聴者が無邪気にコメントした。

これまでの流れをどう受け取ってもそんな事実は汲み取れないし、あったとしてもそれこそおかしな集団だな、と一笑に伏されて終わるようなコメントが、波紋を呼んだのだ。

コメント欄で小火が出たところまでは見たが、翌日には過去の台頭勢力がさっぱり消え、自称W貴族を含めた新興勢力が領地を占領していた。

名前と、歌と、王を手に入れた、国家誕生である。

恐ろしい。


もはや国と、その治世

こうして、W貴族の皆さんと、たまに出てきて良心的な普通のコメントをする視聴者と、時折現れてご答辞をくれる国王(公式)による治世が始まった。

王は時々君臨するけど統治はしないので、一時は側から見ても心配なくらいコメント欄の品がなくなった。

配信されているのは動物なので一応雌雄はあるわけで、
モニターに映るその「雄」ならではの特徴に一部のW貴族が異様に食い付いて、
国王もそれを煽るような新曲を作って、
コメント欄には、その「雄」を仄めかすような絵文字がずらっと並んだ。

全年齢、見てる前提の配信だし、あまりに下品で内輪ノリすぎないかと思った。静観のスタンスを破って、何か声をあげた方がいいのかな、って迷ったよ。
モッシュ論争に近いとも感じた。個人的には、危険だし、ライブよりも自己満足優先の気持ち悪い慣習だし、音楽を楽しみたいのに何で前の方行くのに自己責任とか言われんの?とか怒りを覚える。
けど、楽しんでいる人に言わせれば「モッシュがないとライブが盛り上がらない」って論調だし、何よりバンドやライブハウス側がそれをやめろと言わない以上どうにもならない。
過去自分もニコ動の弾幕文化やライブでのコールを面白がってたという後ろめたさもあって、何も言えなかったしできなかった。

それがまた、ある日を境に一掃された。
公式から何らかのお願いがあったのか、自浄作用が働いたのかはわからないが…… 一部の執念深い人たちを除いて、突然下品なコメントが消えた。

ホッ……


国家継続のために

しかし既に村社会、いや国家と化したコメント欄が、当初のオープンで、(いい意味で)平坦で上も下もないコミュニティに戻ることはなかった。
常連同士のあいさつ合戦、その日の予定、住所、地元の名産品、その日の夕食など、配信と全く関係のない会話の割合が増えていった。

もっとがっくりくることには、お互いの挨拶とか、その場の寒いノリに乗らないと、それをチクっと刺してくるW貴族が出現し出した。
挨拶しないと名指しで声かけられたり、チャットで始まる変な点呼の合間に配信内容へのコメントすると 「続いてたのに」にみたいなこと言われたり。
チャット欄は雑談のための集会所、いや、貴族の社交場と化してしまった。
しかも内容は、誰かが言い出した寒いギャグを皆で延々踏襲したり(変な語尾をみんなつける)、常連の言い間違いをみんなで踏襲したり、点呼チャレンジしたり、一番最悪なのは、自分達が配信中の動物たちになりきって会話したり。


こうして、自分達に一番興味があって、自分達について話し合うのを楽しみとするコメント欄が出来上がった。悲しいのは、本来配信の中心であった動物が、視聴者の帰属意識(貴族意識か?)と自己表現のためのツールとして消費されていることである。


きっと、私と同じ感想を持っている人もたくさんいるんだろう。
それに、こうした現象は配信者が意図して管理しない以上、遅かれ早かれ起こることなのだ、多分。
そして、これだけ移り変わりの早い集団で、今と同じ状態が続くことは、決してない。モニター内の生命体が、成長していくのと同様に。


これだけ文句を言いながらもコメント欄を覗いてしまう自分は、薄気味悪い集団の変容もまた、怖いもの見たさで楽しんでいるのだ。

だから、コメント欄の村社会化や、好きなコンテンツが食い潰されていくのを悲しい気持ちで見送りながらも、自分の感受性や価値観を守りながらそれらの変容を観察したい。


追記

その後、自分と同じような感覚を持ってる人が意外にいることがわかり、そして他のライブ配信でも同じような現象は起こるものなのだとわかり、ああ、アザラシの方が全世界に日本の醜態を見せているぶん、愛と良心のあるユーザーほど辛いんだろうなとなんとなく悲しくなった。
で、藁王国については、国王(公式)からお気持ち表明があり
「悪ノリで盛り上がるの、正直悪いと思ってないし、とにかく楽しくやっていきたいんじゃ☆」
とのことだった。
穿った見方は良くないな、とこれまで自制してたけど、やっぱチャットで自分がチヤホヤされたいんだろうな、この人。チャット欄で自分語りして、チャット欄を自己表現と自分の居場所にしちゃってる人たちと、本質的には変わんないんだろう。配信の一番の主役は生き物……ていう私の考えは変わらないけど、運営がそういう考えでないのなら、私はもうついていけない。
美しい生き物自体は応援しつつ、自分はこの場を離れる決心がついた。他に応援したい配信や動物もたくさんいるしね。
やっぱり、自分の感受性は自分で守ろう。






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