小説
初めて小説を書いたのは、大学4年のときだった。
そのころは東野圭吾にはまっていて、純文学など読みやしなかった。卒論も終わったし、みたいな感じで、試しに書いてみるか的なテンションで「◯◯◯殺人事件」(◯◯◯=自分の本名)という作品を書いた。これは当時所属していたサークルのメンバーを登場人物にして、自分が殺された、犯人はメンバーのいずれか、という設定にしたミステリーで、5万字くらいのもの。サークルの卒業パーティーで、MCのマイクを奪って「おれ小説書いたよ!」と急に言い出して、「お前小説なんか書くんだ」「キモいね、でも読みたい」みたいなことを言われたのち、メンバーに送ったら「めちゃ面白いじゃん」「泣いたわ」みたいな反応があり、あれ小説書くの面白くね? ってなって書き始めた。
書いていたのは基本的にエンタメで、とくに公募とかには出さず、同じようにサークルのメンバーに送って読んでもらっていた。その反応とか感想が嬉しくて、それがモチベーションになっていた。「運命を背負う人」「ラストシーン」とかそんな感じのタイトルで、いま読み返してみると、まあしゃらくさい、感動系ミステリーみたいな感じで書いてたんだけど、別に感動しないし、トリックとかもいまいちだし。でもみんなは面白いって言ってくれて、そんな感じで5年くらい書き続けた。
そんな中で、メンバーのうち1人が「ベイトボール」という就活の話を書いた作品に、いたく感銘を受けて「どっかに応募してみれば?」と言ってくれて、ああ応募とか考えたことなかったな、と思ったんだど、どっか出してみるかと思って応募先を探しはじめた。「ベイトボール」は5万字くらいの作品でエンタメなんだけど、エンタメ系の賞がどれも文字数が足らなくて出すことができず、行き着いたのが文學界新人賞だった。文學界は文字数が少なくても出せたので、なにも考えずに送ってみた。それが初めての公募。エンタメ/純文学という区分けがあることも知らなかったので当然なのだが、一次も通らずに落ちた。でも予選くらいとおるでしょ、となぜか思っていたので、当時はかなりショックを受けた。
そこから、もっと文字数が必要なんだ、と思い、10万字くらいの作品、「傍観者」というタイトルのミステリー小説を書いた。「10万字も書いた! 優勝だ!」みたいな感じで野生時代に出したら、それも一次も通らず、いや絶対読んでないやん、みたいに思った。そこからしばらく書かない期間が続いた。読書はしていて、当時エンタメばかり読んでいたのだけれど、なんとなく読み尽くした感があり、中村文則や吉田修一といったあたりを読むようになって「なにこれ面白すぎん?」。純文を読むようになっていた。
賞に出す、ということを忘れてしばらく経ったころ、また出してみるか、と思った。そのときは、かなり明確に「純文学を書いてみよう」と意識していた。で、純文の賞を調べてみたところ、一番最初に出した文學界新人賞がヒットした。あれって純文の賞だったんだ、と思った。なんとなく思い入れもあるし、そこを焦点にして書いてみようと考えた。そのときは、田中慎弥や高橋弘希にはまっていて、作風もそこに寄せていた。で、できたのが「沼の畔」という作品。巨大なひょうたんの形をした沼の周辺で起こる不思議な出来事、といったテーマで描いたもので、これは文學界の2次選考まで残った。はじめて文芸誌に名前が載って、読まれてたんだすげえ…、などと思った(「おれ純文の人じゃん…」)。このときは、自分の文体とかなく、なんで通ったのかも分からなかった。
次に描いた作品が、重複尿道を持つ男を視点人物に据えた「潜熱」という作品で、これは新潮に出したのだけれど、一次も通らなかった。いま考えると「これは完璧」「現代の三島由紀夫」と自信に満ち満ちていたのが敗因だったと思う。そんなもの通るわけないだろうが! 自分の作品には半信半疑であれ。ここでまたかなり反省して、もうちゃんとやろう、自分はぜんぜん書けないから、すごい作品とかを模して書こうと思ってできたのが、「蛸を縊る」という作品。小5男児の性、いわゆる第二次性徴について書いたもので、これは図らずも文學界の最終に残った。正直出したことも忘れているくらいだったから驚いた。でもいま考えれば謙虚だったな、と思う。作品に対して、しっかり半信半疑だった。
で、それ以降は、中・長編の賞には出していない。長いのが書けなくなったからだ。なんとなく書いてきたつけが回ってきたというか、お前ちゃんと自分の文体とかそういうの考えてやれよ? な? みたいに試されている期間だと、自分では思っている。だから短いのを書こうと思って、しばらくは短編の賞に出すようになった。出すようになった、といっても、出したのは文藝短編とカフカショートストーリーコンテストくらいで、文藝短編はなんと3作出すも3作とも予選通過ならず! このときは失禁しかけましたね…。してたんじゃないですかね実際に。でもカフカのほうは優秀賞に選んでもらえて、まあ一命はとりとめた感じです。で、文藝短編のほうが自信があったんですよね、なんか分かんないけど。カフカは例によって出したことも忘れていた。そういうもんですよね…。
そこからもまあ中長編は書けておらず、ここでなにを考えたかというと、「もう真面目に書くのは疲れたから、怪文書でも書くか!」。ふざけてえなあ~みたいな感じになったのです。どこかが壊れたのだと思います。もともとmixi時代にふざけた文章を投稿していたこともあり、そういう気持ちもあったのでございます。いろいろ探したんだけど、怪文書の受け皿が少なすぎる。ほんとうに少なすぎると思うんですよね。正当なものから明らかにずれた「(いわゆる)いまなに読まされてるんだ」系の文章を受け入れている媒体が本当にすくなく、探したかぎり、anon pressくらいしか見当たらなかった。ただ逆に、そんな中でのanon pressは圧倒的に光っていて、これに載りてえと切に願いながら書いた「金玉」という作品は無事に載っけていただきました。「金玉を見せてほしい女vs 金玉を見せたくない男」を書いたもので、そういうの楽しくないですか? そこから怪文書のことばかり考えるようになり、つづいて「Gメン」という万引きGメンの生涯みたいなものを書いた作品も載っけていただきました(この間に没になった作品もあります。「パンとご飯」というそれで、パンを知らない男の話です)。
で、至現在、という感じです。いま思うことは、2つあって。まず1つは、やっぱり中・長編が書きたい、ということ。ただこれにはもう少しインプットが必要だと考えていて、明確にちゃんと勉強が必要なのではないか、いままで読書をおろそかにしていたのではないか、という思いから、しっかり読書をしたうえで、何年かかってもいいから書いていこう、という感じです。ほんとうに本を読んでこなかったので…。太宰とか三島とか、ちゃんと読みます。もう1つは、楽しく書いていきたい、ということ。自分の原体験はやっぱり「◯◯◯殺人事件」で、顔の知ってる人に読んで感想をもらえるというのが一番うれしい。そういう意味で、アンソロジーとかに呼んだりしてもらえるのが、それに適っているというか、いろいろ満たされますよね、というところで、いまお声掛けいただいているものもあるので、全力で応えていこうと思っています。
どんな作品を書いていても、公募に出すのも出さないのも、わりと常に楽しくて、だからなんかすでに満たされてしまっている感じがあり、プロになって大変そうな作家の方とか見ると、あれいまが一番楽しいんじゃない? とか思ってしまうけど、でもプロになったらもっと楽しいんでしょうね知らないけど。正直けっこう、なってもならなくてもどっちでもいいな、と思ってしまっている。賞がただの指標になってしまっている。それで、でもいいのかな、とも思う。「◯◯◯殺人事件」を超えるものを、まだ書けていない。
みなさんの作品も読ませてください! 希望があれば僕のも送ります!