20200829-言語化-阿吽の呼吸なんてそうそう無いよー!
たった10分。されど10分。
#モリゼミ のプレゼン発表(中間発表)がこの夏のひとつのでっかい山だった。
プレゼンも資料作りも、あまり得意じゃなくて、どちらかというと苦手意識を持っていた。
モリゼミの中での個人的な副題は、言語化とプレゼン発表を鍛える。
考えを整理して適切な言葉で伝える
とっても難しいし、
これまでとてもサボってきたな、と痛感しまくる4ヶ月。
これまですごく狭いコミュニティにいたな。
大体、「あ」って言えば、それが小倉知子として何を意味するか、わかってくれる人たちに囲まれて生きてきたな、と。
だから、直感で感じたことをしっかり言語化する、という処理をせずに、直感で得たものをほぼそのまま直感で保存していた。
それが、多様なひとがあつまるコミュニティに飛び込んだとたんに、
“共通言語”がうまく使えない、伝えたいことが伝えられない自分を
再発見して。
そこに、なんの予備知識もない研究テーマがのっかってきて、それをそのひとたちと一緒に研究を進めていく。
知らない大海原に、コンパスも地図も持たずに投げ出された感覚。
ある意味懐かしい感覚。
でも、まず自分の立ち位置を少しだけでも再認識できたこと、それがおっきかった。
いまさらだけど、“言葉”の大切さ、“伝える”大切さ、それにこのタイミングで気づけたことの大きさ。
あうんの呼吸とか、そんなん微塵もないよー!
でもまだまだ日本の縮図にはなっていないんだろうな。
自分は恵まれているのだろうか?
それとも自分で選んでここにいるのか。
よくわからない。
日本には相対的貧困層(金銭に限らず精神的なものも含め)がいて、
なんとなく知ってるけど、
個人的には、そういう世界にはできれば触れずに生きていきたいと思っている自分もいたり。
たぶん、目のあたりにすると気分が滅入るから。明日に希望を感じづらくなるから。明日から希望の光が消えることほど、辛いことはない、と思う。
それってダメなことなのかなぁ。
ひとは得意不得意がある。
そして、好みも。
国に奉公する精神で国家公務員になる人。
相対的貧困層をどげんかしたい!といって公共の仕事につくひと。
わたしは、あっかるい明日にむかってわくわくして顔を上げて走っていくことがすきだ。
影より光を求めて笑ってたまに筋肉痛をはらみながらも走っていたい。
そして、それが間接的にも、
多くの人に少しでも光をもたらせばいいな。
ある意味、大学を出たあと、
丸裸の飾らない言葉でぶっちゃけた話ができる世界は、狭まった。
それは、わたしの世界が広がったからかもしれない。
さまざまな人と丁寧に対話をするためには、新しい“自分の言葉”を見つけていかないといけないのだと感じている。
世の中は、きれいごとだけじゃ成り立たないようだ。
それぞれの正義が、やっかいなことにちぐはぐなのだ。
それぞれの琴線も逆鱗もぜんっぜんちがうところに隠れていたり。
でも、まずは、自分としっかり向き合って“自分の言葉”をもつ。
その言葉でひとと向き合って対話する。
それを今日よりも明日、明日よりも明後日、少しずつ実践の幅を広げていくことでその先にどんな未来が待ってるのか、みてみたい。
だから、実践、あるのみ。