目指すは本所松坂町🏃💨
今から322年前の12月14日、47人の赤穂浪士が
吉良邸への討ち入りを決行した。
浅野内匠頭の「衝動」から始まった一連の騒動は、
たくさんの人間の事情や思惑を絡み付かせながら、
赤穂浪士46人の切腹で幕を降ろした。
これほどの有名な事件、今までたくさんの人が
持論展開や考察をしているので、これ自体に
今更私が言えることは たぶん何もありません。
ただ…
ずっと以前から感じていた違和感が、昨日 偶然
ほどけたので、それを書きたくなりました。
「元禄15年12月14日に討ち入りが行われた」のは知っています。ですが…
「14日の深夜」に集結して 吉良邸へ向かい、
未明に上野介を討っているのです。てコトは…
討ち入ったのは15日じゃないの?
…って思ってました。ところが…
昨日、たまたま見たネット記事で「一日の区切り」が
江戸時代と現代では違うことを思い出したのです。
今は、午前0時が一日の区切りです。
そのモノサシだと未明の討ち入りは「15日の出来事」になりますが、江戸時代は「日の出」が一日の
区切りになっていたので、それだと14日の夜更けに集結し夜明け前にケリがついた この出来事は
「14日の出来事」に収まることになるのです。
毎年、今時期になると赤穂浪士の行動を時系列で
空想しようとしては、違和感に混乱してウマく
行かなかったのですが、これで漸くスッキリしました。
てか、何で もっと早く気付かなかったのか…😫
故 杉浦日向子先生の著書の おかげで、
「明け六つ」とか「暮れ六つ」の鐘が生活の基準になっていたことは知ってたはずなのに…
何で結び付かなかったんだろう…悔しい😝
そんな思いを抱える2024年12月15日の
夜明けなのでした。