⓪⑩ Memory
19歳か20歳、それくらいの頃によく行くお店があった。
そのお店はビルの一部屋を借りたスペースで営んでおり、とてもじゃないが5人同時などでは店内に居れない空間だった。
今となっては何故そこのお店を知ったのか忘れてしまったが、そのお店には頻繁に足を運んだ。
思い返すと5坪にも満たないほどの空間にみっちりと並べられた服、だがディスプレイは拘られており、なぜかワクワク感が行く度にあった。
加えてオーナーさんと話す事が大好きで、半ばそれを目当てに通っていた。
オーナーさんは当時の僕が知り得なかったブランドや服を沢山紹介してくれた。
特にその服の知識や歴史などについても惜しみなく伝えてくれた。
お店の服とは関係の無い事まで親身に話しを聞いてくれた。
今思えばオーナーさんのお店に通い、お話しさせて頂いた日々が、僕の接客に多大な影響を与えているんだと思う。
そんな日々を過ごし、お店に通わせて頂く中で店内に並べられた1着に惹かれた。
何でもオーナーさんの私物らしいそれは、当時の僕には表面的な価値のみ感じるデニムジャケットだった。
この時期すでにこのブランドにはハマってはいた。
ただこれは当時の僕の知識と理解の範疇を超えており、加えて絶望的に似合わなかった事を覚えている。
ペンキの艶感が残念な程に似合わなかった。
それと同時に初めて アーティザナル というラインを知った。
当時からボロっとしていたコレは購入を躊躇わせた。
ただ憧れのオーナーさんの私物を購入出来る滅多にないチャンス、それを勧めてもらえた嬉しさ、
それを足して 絶望的に似合わない現状 を引く、という計算を頭でしてみても欲しかった。
勇気を振り絞ってなけなしのお給料で購入した。
当時の僕には値段が高かったという事と絶望的に似合わないという事が、お店を出て街を歩いている時に多大な後悔の念と溜息を生んだ。
買って1年くらいは着なかった。
それはもう絶望的に似合わなかったから。
2年目
何とか着始める事が出来るようになったが、どことなく、なんとなくまだ服に着られている感覚があった。
3年目
最初からダメージの入っていたカフス部分から出ているステッチがチェーンステッチである事に気づく。
使用しているであろうボディは形やディテールから、年代はこのステッチによって気づかされる。
今でもこのステッチが着た時に手にピロピロ当たる。
なんとなく密かに個人的に愛着が湧いている部分。
4〜6年
なぜか雨の日に来たり、自分の中でテンションを上げたい日に着た。
購入当初から四つ角縫いの1つが取れてはいたが、もう一つも取れて残り2つのみとなった。
マルジェラのアイコニックでもある四つ角縫いが1つ取れて、
これは自分の物なんだと少し自覚する。
2020年
ついに1つのみになる。
これが全て取れた時自分自身のこのデニムジャケットに対する価値はどうなるのだろう。
と、たまにふと夜に1人で考える。
僕は仕事柄、拙いながらに沢山の服を見てきた。
それはもう本当に沢山の。
服の山も。
ただ僕が一つ言えるのは、後にも先にもこの服に代わるものには出会えないのだろうと今は思う。
オーナーさんから受け継いで僕が今着ているという事。
そのオーナーさんも実は尊敬する方から購入したという事。
今僕がずっと手離さずに着ているという事。
そしてやっと本当の意味で僕だけの物になるかもしれないというタイミングに出会えそうだという事。
長いようで短い人生でこんな体験をさせてくれる服に出会えたから、服を売る事の楽しさの一つの方向が開けたのだとも思う。
今となってやっとコレは、表面的な価値のみならず大切な1着になった。
多分きっとお店に足を運ぶって言う事はそういう意義もあって、便利さ以外の何かしらがそこにはあるんだと思う。
この思い出とこの1着は何にも代えられない。