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日本酒の新たな生酛造り、酸基醴酛とスマート山廃を知る

日本酒は古来の神事とも関わる伝統的でありながら、今も進化を続けている現代的なプロダクトでもあります。

今年は酸基醴酛(さんきあまざけもと)という製法を使ったお酒を見かける機会が増えました。
まだ呼称統一されておらず「スマート山廃」と呼ばれることもあります。
どちらも速醸酛と同じ明治時代に開発された製法です。
この酸基醴酛がなぜ熱いのか、紹介しようと思います。

ある程度日本酒を知っている方向けの内容です。
新しい製法のお酒があるなら飲んでみたい、そんな興味をお持ちの方は「酸基醴酛のお酒を楽しむ」だけでもお読みいただけると幸いです。


日本酒醸造と乳酸

酸基醴酛は米、米麹、水から甘酒をつくり、人工培養した乳酸菌を添加して酛を立てる製造方法です。
培養したものを加えるという観点では速醸であり、一方で酒母で乳酸菌発酵を行うため酒母で見ると生酛系に分類できるハイブリッドなものです。

乳酸菌の培養利用が酸基醴酛を特徴づけています。
この乳酸菌、その乳酸菌が生み出す乳酸は日本酒造りに欠かせません。
乳酸は液体のpHを下げ、雑菌を抑制して清酒酵母が繁殖しやすい環境を整えてくれ、製造工程で必要になるものです。

乳酸菌は一般的な菌で、空気中を含む様々な場所に生息しています。
この環境に棲まう乳酸菌を取り込む製法を生酛系と呼びます。
古くは菩提酛があり、江戸から明治にかけて広く使われた生酛(元摺り酛)、その生酛を発展させ山卸の工程を廃した山廃酛などがあります。
本記事ではまとめて「生酛系」と呼んでいます。

一方で現在流通している 90% の日本酒は速醸酛で造られています。
こちらは乳酸菌は関与せず、外部で製造した乳酸そのものを酒母に添加しています。

生酛系は個性ある酒が作れますが環境への依存が大きく、リスクがあり、高い技術を要します。
私も何度か低アル生酛で傷んだ酒を引いて枕を涙で濡らしたことがあります。
速醸の方が作業負荷が少なく、より安定的に狙った酒質が出せ、ここまで広く速醸酛が普及するようになりました。

生酛系への着目

それでも 10% 程度の酒は生酛系で造られています。
これは伝統的製法を守るというだけでなく、高品質化、差別化が求められるようになった現代において酒に個性を持たせる製造法として、我々飲み手からも生産者からも再び生酛に注目が集まっています。

花の香酒造 産土も生酛で醸される

味わいも伝統的な生酛造りに留まらず、軽やかで低アルコールの酒質のものも登場し人気を博しています。
新政、花の香酒造の産土、吉田蔵uなどがその代表格で、伝統的生酛に対してモダン生酛と呼ばれることもあります。
奈良県では菩提酛を復活させ、水酛を使った酒も稲とアガベなど幾つかの蔵が取り組むようになりました。

味わいだけでなく地の酒を醸す、自然風土の表現を日本酒として表す酒造りを目指す蔵も増えており、すべてをその地域の産物で完結させる酒造りにおいては速醸でなく生酛が選択肢になります。

ここで冒頭の生酛造りの難しさが浮かび上がります。
野生の乳酸菌を環境から取り組む生酛で酒質を安定させるには高度な技術が要求されます。
そもそも乳酸菌が付く前に雑菌が入り、雑味や酒質低下につながるおそれがあります。
乳酸菌も様々な種類があり、同じ種類でも菌株によって働きが異なるという複雑さがあります。
この問題を解決する術が、酸基醴酛です。

これまでは野生の乳酸菌を環境から取り込むか乳酸を加えるかの二択でしたが、酸基醴酛によって分離培養した乳酸菌を使うという新たな選択肢が加わりました。

生酛系の乳酸菌が野生品種だとすると、選別され培養された乳酸菌は栽培品種といえます。
環境依存のリスクを下げて品質を安定化させるだけでなく、乳酸菌の選別が可能になることで新たなアプローチから酒質設計、酒造りが行えます。
生酛をより安全に安定的に造ることができる酸基醴酛は現代のニーズに即した着目すべき製法といえます。

酸基醴酛の誕生

日本酒の歴史は古く、酒造技術もその時々、時代の要請に合わせて発展を遂げてきました。
商業的な酒造りが行われるようになった室町、安土桃山時代には段仕込みや火入れといった生産量の拡大や保存のための技術が生まれ、酒が一大産業となった江戸時代にはアルコール添加、寒造りなど、現代に通じる酒造技術が確立されています。

その酒造技術は明治時代で更に大きな発展を遂げます。
この時代の課題は酒造品質の安定化でした。
当時、酒税は国の税収の三割を占めており、一方で火落ちや腐造率は高く、一割を超えるものでした。

そこで国費を投じて国立醸造試験場、現在の酒類総合研究所が設立され、ここで現在の酒造りを支える協会酵母や速醸酛、山廃酛といった様々な技術が開発されます。

滝野川の旧国立醸造試験場。通称赤煉瓦。移転前は東京にあった

酸基醴酛はこのとき、速醸酛とともに開発された製法のひとつです。
他にどのような製法が検討されていたのかは、酸基醴酛を用いた清酒製造 により知ることができます。

1929年 江田鎌次郎「最新清酒醸造論」佐藤稔英氏 酸基醴酛を用いた清酒製造掲載

「加酸」とあるのは現代の速醸酛と同じく乳酸そのものを加えるもの、
「生酸」とあるのは乳酸菌を加えて酛の中で乳酸を生成するものです。
酒母の中で清酒酵母が優勢になればよいので、いっそ乳酸を加えず殺菌を行う「単純」という方法まで検討されているのが面白いところです。

当時の酒造設備で、当時のニーズに最も応えることができたのは図でいう速醸系 - 速醸酛 - 加酸速醸酛に当たる、現在の速醸酛でした。
大正から昭和にかけて優秀な酵母の選抜と培養も行われるようになり「きょうかい酵母」として頒布が開始されます。
生酛造り、蔵付き酵母が標準だった時代、速醸酛と培養酵母は省力化と安定化で大きな恩恵をもたらし、現在に至るまでの標準的な製法になりました。

酸基醴酛は図の中の、速醸系 - 速醸酛 - 生酸速醸酛にあたります。
製法としては速醸ですが、酒母中に乳酸菌を取り入れて乳酸発酵を行うため、酒母で見ると生酛系であるのが面白いところです。

酸基醴酛の概要

酸基醴酛は名前に醴(あまざけ)を含むとおり、米、米麹、水から甘酒を造り、乳酸菌を添加して乳酸発酵を経て乳酸濃度の高まった甘酒を、酒母造りや三段仕込みにおける米、米麹、水に代えて用います。

浦里酒造店が盛んに情報発信されており、生酛、速醸も醸す同蔵のポストを見ると省力化につながっていることもわかります。

蒸米、米麹、水を高温で混ぜ合わせ糖化を行い、甘酒を仕込みます。
そこへ乳酸菌を添加。乳酸菌が作る乳酸で環境を整えた後、酵母菌を添加・増殖させる製法が酸基醴酛です!
(中略)
生酛系酒母は蔵付きの微生物の力を借りて造る製法なので、手間と時間が掛かってしまうことだけがネック(楽しいけど…)なのですが、この酸基醴酛は生酛系酒母ならではのメリットや味わいはそのままに、省力化に成功した製法です!

浦里酒造店の投稿より

別の投稿では酸基醴酛の弱点についても触れられていますが、現代の醸造環境や設備であれば克服できることも記されています。

①早湧きのリスク
従来の生酛系酒母であれば、野生酵母などの弱生酵母を抑え込むメカニズムがあるのですが、本製法には存在しません。そのため、培養酵母添加前に弱性の酵母が増加してしまう「早湧き」が起こってしまった場合、発酵が途中でストップしてしまったり、意図しない味わいになってしまうことがあります。
②香味の不調和のリスク
本製法は短時間で乳酸菌を立ち上げるため、比較的高温で乳酸菌を増殖させます。しかし、添加した乳酸菌が立ち上がるより先に麹由来の乳酸菌などが増殖してしまった場合、燻製香などの意図しない香りが出てしまう可能性があります。
主にリスク①の解消は明治時代では難しく、また、より安全でスピーディな「速醸酛」が発明されることで酸基醴酛は廃れていくのでした。

今回、酸基醴酛にチャレンジしたのは、現代の醸造環境や設備であれば安定した醸造が可能だと考えたからです。

同浦里酒造店の投稿より

醸造環境や設備の進化と時代のニーズの変化により、115年前の製法が現代で再び脚光を浴びるとは、胸熱なストーリーだと思います。

野生から栽培品種の乳酸菌へ

日本酒の歴史は野生品種から栽培品種への移行と改良に支えられています。
新政酒造や宮坂醸造といった名酒造場から酵母が分離培養された協会酵母はいまの高品質な日本酒醸造を支えています。
麹菌も室町時代には既に座を形成するまで商業化されており、野生とは違う選抜された品種が使われてきました。近年では黎明平泉のように県独自の麹菌も開発されるなど、歴史的に安定的な品種を選抜、培養して使っています。
麹菌、酵母と日本酒にかかわる微生物が野生品種から栽培品種へと移行してきましたが、このラストピースが乳酸菌です。

添加される乳酸菌は人工的に選別、分離培養されたものです。
乳酸菌は Latilactobacillus sakei、 Leuconostoc mesenteroides のように二名法で分類されますが、同じ分類の中でも菌株ごとで特徴が違うという多様性を持ち、ひとつの醸造環境の中からも様々な乳酸菌が見つかります。

発酵デパートメントによる土田酒造と微生物を解析しながら酒造りを行う「菌の見える木桶酒」の企画ではセオリーと違う働きをする Leuconostoc mesenteroides が発見され盛り上がっていたのを思い出します。

これら乳酸菌の中には人間や酒質に好ましい効果をもたらす乳酸菌もいれば、そうでないものも存在します。
その乳酸菌を選別して利用できることが酸基醴酛の最大の特徴です。

現在茨城県と岩手県の蔵が酸基醴酛に取り組んでおり、茨城県で使われる乳酸菌としては茨城県産業技術イノベーションセンターが開発した「Leuconostoc mesenteroides 19-5」、同センターが浦里酒造店から分離培養した「U2」があります。

今回使用した乳酸菌は弊社の生酛から分離した乳酸菌(U2株)を使用しました。茨城県産業技術イノベーションセンターにて分離・性質の調査を行い、超優良な乳酸菌だという事が分かっています。
U2株はLeuconostoc messenteroides(ロイコノストック メッセンテロイデス)という球菌で、栄養要求性が低く増殖が早いことから、酸基醴酛に向いているタイプの乳酸菌です。

浦里酒造店の投稿より

同じ茨城県で酸基醴酛に取り組むもうひとつの蔵が村井醸造です。

村井醸造では「安全・安心」な酒造りを掲げられており、汚染リスクの低下、抗酸化能による品質維持の向上といった観点から乳酸菌を選別され、酸基醴酛を評価、採用されているのが面白いところです。

乳酸菌は乳酸以外も生成し、どんな成分がどれだけ生成するかは菌株ごとに異なります。
菌株を選別することは味覚や酒質だけでなく、例えば生体アミンを抑え人体に負担の少ない酒を造る、保存性に長けた酒を造るといった様々な面での貢献が期待できます。

豊かな蔵の環境が乳酸菌を育む

浦里酒造店は生酛の商品もリリースされており、発酵を行う微生物にとって豊かな環境を造られているのだろうと想像できます。
浦里酒造店の酒造りに適した U2株が分離できたのもその証でしょう。

土田酒造の「菌の見える木桶酒」のストーリーも、面白いほど生酛を突き詰める土田酒造ならではの菌たちの住まう空間ができているのだろうと想像させられます。

よい酒造りが微生物たちが豊かに住まう酒造環境を整え、その酒造環境から生まれた乳酸菌を技術が見える化し、分離培養を通じて整えていくプロセスには人と菌の面白い織り成しを感じます。

この流れは前述の、その土地、自然風土を日本酒として表現しようとする蔵の方向性とも合致します。
日本酒の材料となるすべてをその土地の産物で賄おうとした場合、速醸は難しくなりますが、浦里酒造店のように自社蔵から分離培養した乳酸菌を使った酸基醴酛はその選択肢になり得ます。

乳酸菌の分離培養は酒造会社単体でできるところは少なく、工業技術センターなど自治体レベルの支援とプロフェッショナルの関わりが必要です。
酸基醴酛の論文を検索すると岩手県、茨城県の工業技術センターの研究者の方の執筆に行き当たります。
両県には酸基醴酛といえばここという紫波酒造店と浦里酒造店があるのは偶然ではないでしょう。
私もそんな官民関わった挑戦に感謝しつつ酸基醴酛のお酒を楽しんでいます。

酸基醴酛のお酒を楽しむ

浦里酒造店 URAZATO PROTOTYPE 4

浦里酒造店では生酛、速醸も造られていますが自社蔵より分離培養した乳酸菌 U2株を使って PROTOTYPE 4 を醸されています。
Instagram でも酸基醴酛について投稿されており、本記事でも大変参考にさせて頂きました。

福岡では住吉酒販で浦里酒造店のお酒が購入できます。

URAZATO PROTOTYPE 4、私もおいしく頂きました

紫波酒造店 廣喜

酸基醴酛といえば岩手の紫波酒造店さんを取り上げないわけにはいきません。
2022年に日本酒キャピタルが事業継承された同蔵ですが、小野杜氏を筆頭に面白い酒造りに取り組まれています。
紫波町自体が地方創生の文脈で注目の集まる地域で、同蔵の醸す「紫宙」もその酒質の高さから一気に日本酒ファンの間に広まりました。

紫宙は速醸で、廣喜は酸基醴酛で醸されています。
廣喜は冷酒で飲んでもよく、燗づけしても旨味の味わえる酒として設計されています。

日本酒キャピタルも田中社長を筆頭に日本酒造りに熱のある方々が集われており、イベントを覗くとお話を伺えることがあります。
紫波酒造店、注目の蔵です。

福岡では博多酒場ソルリバで紫宙、廣喜を見かけます。

博多酒場ソルリバにて。紫宙も見かける

村井醸造 MAKABE

浦里酒造店と同じ茨城県にある村井醸造の醸すフラグシップ「真壁 MAKABE」は茨城県産業技術イノベーションセンターが開発した乳酸菌 Leuconostoc mesenteroides19-5 を使い、酸基醴酛(乳酸菌添加酛)で醸されています
乳酸菌の抗酸化能に着目されているのも面白いですね。

高い抗酸化能を持つこの乳酸菌の特徴により、酸化によるお酒の品質の変化を穏やかにする可能性があることから、従来の日本酒よりも出荷後の品質維持が容易になることが考えられるほか、地元産の乳酸菌を活用した発酵により、風土の味わいを表現することを目指しています。

リニューアル商品「真壁 MAKABE」について、より

平六醸造

2024年にクラフトサケの醸造を開始した平六醸造ですが、一期目とは思えない充実したラインナップとハイレベルな酒質のお酒を出されています。

こちらは発芽玄米使用酒母とされ、酸基醴酛に似ているが違うと言及されていますが、同じ速醸系でつくる生酛系酒母として挙げさせて頂きました。

酸基醴酛(さんきあまざけもと)に似ていますが、仕込水だけを乳酸発酵させていることと、乳酸発酵後に火入れしている(乳酸菌を本発酵に持ち込まない)点で異なっています。どちらかというと水酛のそやし水に近いかもしれません。

note 投稿より

「自由を、醸そう」とはクラフトサケブリュワリー協会のスローガンですがいまのクラフトサケはそれに相応しく、清酒に適合しないよう醸造方法を変えてその他醸造酒に合わせるという域を脱し、これまでの技術資産を継承しながら新たなアプローチで酒を醸すフロントランナーとなっています。
土田酒造など幾つかの酒造がその他醸造酒免許を取得してクラフトサケをつくり始めているのはその証でしょう。

平六醸造のお酒たち。初年度リリースの酒は全て頂きました

私もクラウドファンディングに参加しましたが、一期目にしてこれだけの商品をリリースされたのには驚きました。
その酒質の高さと造りの面白さから以後も買い続けています。

福岡では酒匠菅原が取り扱われています。
東京であれば SAKE STREET が充実して取り扱われています。

蔵元、業界関係者の情報発信が有り難い

これだけ面白い酸基醴酛、スマート山廃ですが、浦里酒造店の投稿、佐藤稔英氏の論文と日本醸造協会誌のインターネット公開がなければ実情を知ることは出来ませんでした。
また平六醸造の note も、酸基醴酛を取り巻く様々な疑問に応えてくれる貴重なものでした。
こうした情報を公開してくれている方々に感謝を表したいと思います。
情報公開にも手間がかかり、深い情報であるほどわかりやすい反響というのは少ないと思います。

酸基醴酛に興味を持ったのは廣喜を飲んだときだったでしょうか。
その興味を繋げられたのはそれぞれの資料、投稿が公開されていたおかげです。

Appendix