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ロマンチズムと友達
インターネットの海に溺れて早うん年。
学生時代の私はチャットで人と他愛もない話をするのが好きだった。何事も決められたレールの上を歩かされる事に憤りを感じるタイプで、ゲームのような用意された娯楽には中々馴染めなかった。
そのせいか、私の興味は当たり前のように「人」に向かった。
人間は面白い。何故ならその考えや行動は読めないからだ。何を感じ、どんな経験をして、どう答えを出すのか、凡そ想像出来ない。それが私を魅了した。
当時、このコンテンツに手を出すのは大人ばかりで、自分よりも何歳も年上の人達から与えられる情報は、高校生の私にはとても眩しく見えた。しかしチャットとて人と人のコミュニティーには変わりない。ただの子供でしかない私は際だって浮いていた存在だったようだ。
それは心の根底にこんな言葉があったからだ。
「文字だけのコミュニケーション?いつでもやめれるではないか、ならば何でも思ったことが言える!」
その刹那主義の意識は最終的に私をこういった人格に押し上げた。
私は所謂「電波」だった。
電波とは、脈絡もない、特に深い意味もない言葉の羅列を適当に、好き勝手に書いてくる輩の総称で、当時の私はそれがかっこいい!!と思っていた。本気で思っていた。
だってね、馬鹿をやるのってとても頭が良くなきゃ出来ない。【正しくてまとも】な事を分かってる上で、それを外して笑いを取るわけだ。その結果、茶化し、ひょうきん者を全力で演じることで自分を作った。
そしてそれを後押しするように、このチャットの世界にはとんでもなく面白い人間が大量に蔓延っていた。文字だけで笑いを取り続ける人間がそこかしこに存在していた。
しかしそれを出来るのは一握りの許された存在だけなので、その頃のチャット人達によれば、何か頭のおかしい奴が来た、と言うのが私の第一印象だったらしい。
そりゃそうだ、私はずっと平仮名だけで話していたし、あふふ、とかちょっと馬鹿っぽい喋り方が自分の中の流行だった。何故か漢字を使ったら負けだ!という思考回路に支配されていた。
このチャットで私の人生は大きく変わるわけだけど、それはまた別の話。
一見希薄で緩いチャットの世界にもそこそこのルールや縄張りがある。その中でも私は「一匹狼」みたいな人が好きだった。
群れるのが苦手だったし、仲間意識が強すぎても無駄な争いが起きる事が多かった。
その中でいつも見てしまう人がいた。
ハンドルネーム純一郎、という男性風の人だ。とは言え、性別を偽るのが当たり前の文化だったので本当に男性かどうかは定かではない。そんな事はどうでも良かった。男だとか女だとかじゃなく、あの人に興味を惹かれていた。
その人が何故好きなのか、と、考えてみた。
普段彼は自分のチャットの部屋に居て独り言を呟いていた。不思議な事かも知れないが、チャットなのに独り言を話すために来る人がとても多かったのだ。
その独り言は他愛もない日々の羅列だったけれど、見ているうちにその人の事が段々と好きになっていった。あの独特の空気。最早雰囲気としか言えない何かだった気さえする。言ってみれば「匂い」のような。
柔らかい話し方も好きだったし、時々誰かと話している時は優しそうな言い回しも好きだった。
それなのにその中に鋭利な棘を持っていて、時々来る迷惑な珍客にはキツい態度が度々垣間見えた。そして彼が好意を持って話している人は皆、独特の世界観を持った素敵な人が多かった。類は友を呼ぶのだ、と私は思った。
そして私の中で確実に膨らんでいく。
「彼と話してみたい」という衝動。
しかしふざける事しか出来ないしがない電波者、何を話していいかすら分からない。この時初めて、チャットという広い世界で、暴れるだけだった原始人は漢字を使うことを覚えた。
彼と話す為に漢字を使おう!まともな会話をしよう!そして、真っ向から、普通に、自然に話しかけてみよう、と思った。特別な存在ではなく、ただの普通の人になった。なりたいと思った。
結果的に彼と私は話すようになる。
彼は滅多にチャットにはいないし、好きな人としか殆ど話さない。そんな彼とゆっくりと時間をかけ、私と話す事を喜んでくれるまで仲良くなれた。
私も彼と話す時は、ふざけたり、茶化したり、意気込んだり、変な人間を演じたり、その他全ての無駄な力を使わずに、ただ何となく日々の事を話したり出来た。それはとても優しい、満ち足りた気持ちだった。
「久し振りだね」
「最近はどうしてた?」
「元気そうだね」
そんな代わり映えのない会話ばかりをして過ごす。だけど決して個人的な事は聞き過ぎない。話したいとはいえ、連絡先も聞かない。時間とともに、口には出さないが私の中のルールのようなものになっていた。
私にとって彼は、無理矢理に逢う存在じゃない。本当に、偶然、町で擦れ違うみたいに逢えたら、最高に幸せな、そんな存在なのだ。けれど、どこかで彼を探している自分がいる。それが良い。
そして彼も私からその空気を感じ取っていてくれたと思う。
それは恋だ、と言う人がいたが、それは違うことだけは分かっている。恋愛としてではなく、人間として彼が好きだった。彼が男性でも、女性でも、外人でも、生きていなかったとしても、私は彼が好きだった。
もうあのチャットで彼を見かけることはなくなって、私もあそこには行くことは無くなってしまったけれど、時々思い出しては彼のチャットを覗く。
彼が私の名前を呼び、私も彼の名前を呼び、
またいつか、久し振りだね。
と話すのが一つの夢だ。
【あとがき】
noteの書き方が分からないのでテスト的な文章を。
実は彼はブログをしていて、一年に一度ほど書き込みがあり、最近もその投稿を見つけたのをきっかけにこちらを書きました。
彼は漢字を使い分ける人で「あう」を使う時に、会うと逢うは別物だ。と言っていたのを強く覚えています。
私宛に使う文字が「逢う」だった時の喜びも同時に。
好きな人を一方的に見ているだけで、私の心は割と満たされてしまうよう出来ているようです。
いつか指が震えなくなった頃、彼のブログにコメント出来たらいいなと思います。