耐えがたき事が起こっている
ああ、もう限界だ。
そう思いこの記事を書いている。衝動的に書き始めた。いい加減吐き出さないと、耐えられない。私にできるのは書くことだけなので、書く。結果的にそういった話にはなるかもしれないが、別にこれは現政権への否定的な意見をまとめるために書き始めたわけじゃない。とにかく、いま、私がどれだけ辛いか、苦しいかを文字にして、客観視したい。そうしないと耐えられない。一旦辛さと苦しさを、自分の中から手放したい。
暗い気持ちにさせたらごめんなさい。
生き甲斐が無くなれば死ぬしかない
「演劇お馬鹿ちゃん」を自称している。それくらい演劇が好き。観るのも好きだし、作る側で関わるのも好き。大学を卒業し、一般企業に就職したが、忙しさと自身の責任感の強さ(敢えて自分で言うよ)や完璧主義の性格が災いして、演劇を観る機会が激減した。…ことが主な原因(だと今は思う)で、私は精神のバランスを崩し、会社を辞めた。当時書き起こした日記を見ると、「死にたくないから死なずに済む道を選ぶしかない」と書いてあったが、まさにそんな感じだった。演劇と離れることで命の危機を感じたのだ。正解だったと思う。正直、仕事である程度の評価はいただいていたし、向いていなくはないと思っていたけれど、そういう問題じゃなかった。だって、演劇の現場でめちゃくちゃいじめられても、やめてほかの道に行こうとはならなかったから。その人からは離れたけども。大変なことや予想だにしないことしかむしろ起こらない演劇の現場だけど、ここなら死なずに済むと思って、がむしゃらに続けている。
生活のすべてを演劇まみれにしてやろうと思った。キャリアも全然なかったけど、演劇作りにとにかく関わりたいと思っていろんなところに顔出した。もはやセクションも関係なく、とにかく演劇に関わりたかった。演劇に関わる仕事だけで生きていきたいと思ってやってきた。
お陰で大きな舞台にも関わることができるようになって、それなりにお金ももらえるようになって、現場に呼ばれない期間は劇場のスタッフとしてアルバイトするようになって、晴れて、私の生活は演劇だけになった。
休日も演劇を観に行く。もはや昼夜ハシゴで観に行く。現場のOFFの日に観に行く(ときどき疲れすぎからか寝る)。するとパンフレットに挟まれたチラシが目に入る。何ヶ月も先に、私の大好きな作家さんや俳優さんの作品が上演されると知って、それまではなんとか生きようと思って帰路につく。帰路で観た演劇についての感想をTwitterに書けば、同じく演劇好きな友人たちからまた別の意見が届く。それに返信してなるほど、と思ったりする。LINEもする。一方的に観た芝居の感想を書く。すると毎回同じくらいの分量で返信してくれる相方がいる。話は脱線していくが、根底にはその作品があって、これが考えを深めるってことなんだろうと思ったりしながら眠りにつく。演劇で稼いだお金で、演劇を観て、そこから得たもので演劇を作って、劇場さんやスタッフさんにお金を払って、また演劇で稼ぐ。それが私のここ数年の生き方なのである。死なないためにこの生き方を選んだのに、まさかこんなことになるなんて。
閉じていく劇場、中止になっていく公演、仕事が無くなったと話す同業者、演劇を続けるものへの心無い中傷の言葉。演劇がなくなっていく感覚を肌で感じて、私は、死んでしまうかもしれない、と思った。精神が弱り切って底をつきそうになったあの時の感じに、自分の心が近づいていくのが分かる。耐え難い。
大げさだとは思わない。演劇だけじゃなく、文化は人が作っているから、それをやる人がいなくなったら、その文化は消滅する。今回のことで演劇自体はなくならないにしても、これをきっかけに無くなる劇団や、廃業する俳優、スタッフは間違いなく出てくる。それは複数の文化が消滅したと十分に言えると思う。しんどい。本当にしんどい。しんどいんです、今。
精神的にも殺されてるし、社会的にも殺されてるし、
先述どおり、精神的にかなりまいっている。「泣いてみ?」って急に言われても涙を流せるくらいにはまいっている。演劇が無くなってしまう、作品が人目につくことなく消えていく、考えるだけでしんどい。そしてそれがいつまで続くか分からない。蝕まれているのを感じる。
精神面でもかなりやられているが、社会的にもかなりやられている。
上演を続ける人々や劇場に対するバッシングは、弱り切った私の心にさらに追い打ちをかけてくる。想像つかないかもしれないけれど、演劇でお金を稼いで、演劇でご飯を食べている人々が、いるんですね。私も、そうなんですけど。演劇を続ける=悪という図式が正しいとされてしまうと、本当に生きていけないんだけど、なんか、それが正しいような風潮になりつつあるのがとてつもなく恐ろしい。それは私が生きていることが悪と言われるのと似ていると思う。先述したのは、私の心の状態についてで、それは最悪私が頑張って耐え忍べばもしかしたら持ちこたえられるかもしれないけれど(そのためにこれを書いているわけで)、実質的に、収入が絶たれれば私は死んでしまう。これは心の持ちようとかそういう問題ではない。物理的に死ぬ。
「演劇をやめろ、集まるな、ただし補償はしない。劇場費も俳優のギャラもスタッフの人件費も宣伝費も何もかも主催者が背負え」
これによって少なくとも主催者が死に、宣伝用チラシを刷っていた印刷業者が死に、それを配る担当だった業者が死に、スタッフたちが死に、俳優たちが死に、劇場スタッフが死ぬ。
飛んでくる「上演やめろ」の言葉は今の私にとっては「死ね」と聞こえる。しんどい。自分が言われるのもしんどいが、周りが言われるのもしんどい。そして実際上演をやめる決断をした人々や劇場は、文字通り断腸の思い、というか腸くらい切れているような状態で半分死んでる。これからどうなるか分からない。その様を見るのもしんどい。
でも世間の大多数は「演劇なんてやめろ」が正しいと思っていると思う。だから、ああ社会に殺されているなあと思う。「どうしてやめないんだ!」って怒りをぶつける前に、お願いだから本気で「どうしてやめないんだろう?」と考えてほしい。ウイルスで死ぬか飢えて死ぬか選べって言われてる状況シンプルにしんどい。
声を上げている人に向かって「演劇人たるものがお上に金を無心するとは何事だ」って言っている人がいたのを見たんだけど、これもやっぱりシンプルに死ねってことなんですかね。てか無心って、彼らの金はもともと私達の金なんですけど。は??
ちょっと回復したようだ
哀しみよりも怒りのバロメーターの方が増えてきたので回復してきたようです。これでダラダラ書き続けると、ただの愚痴と説教みたいなことになってくるので終わりたいと思います。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
吐き出しただけのものですが、もしも、少しでも共感し得る部分があったのなら、こういう人もこの社会で生きているのだということを覚えておいてくれたらと思います。
自分と違う立場の人間にどれだけ共感し気を配れるか、が世の中を良くするために一番大事なことだと思うので、どうか、何卒。自戒を込めて。
演劇人、アーティスト、プロレスラー、イベント業者、DJ、歌手、すべての死にそうな人々に適切な補償が迅速になされるよう求めます。
精神的にはもうすでにかなり死んでるんだからせめて社会的には救ってくれマジで。