ぶつかりおじさん
コロナ以降在宅勤務、フレックスタイムが基本になっています。先日久々に帰宅ラッシュの東京駅をサバイブしてきました。久々に見る無表情の人の塊、その流れの速さに驚きます。そんな帰宅ラッシュの流れをスイスイと進める自分に感心しながら、人波を切って歩いていたら、突然対向者に肩がぶつかってしまいました。反射的に「すみませんっ!」て振り向くと、小太り?ガタイのいい?スーツのおじさんが、こちらを振り向きもせず、普通に立ち去って行きます。一瞬何が起こったのかわかりませんでした。ぶつかるような距離感ではなかったし、それにかなり激しくぶつかったようで肩が痛い。それなのに相手はまるで何も無かったかのように人混みに消えて行くのです。
これはおかしいと、まずは自分の服とか髪の毛とかを確認します。とりあえず肩の痛み以外に被害はないようです。そういえば何年か前に駅の雑踏でぶつかってくるおじさんがいると何かで読んだような気がします。そんなことを思い出しているうちに、なんだか腹立つというよりも、河内弁で一言言えばよかったな、と思った。都会の人の渦に変な人や危険な人がいるのはわかっているけれど、それでも私の目の前に躍り出てきた理不尽にはちゃんと対処したい。社会人の責任として、一人一人がそうやって社会を良くしていくんだ。電車に乗りながら、なお痛い肩を気にしながら、ネットでさまざまな事例を見ていたら、その場でぶつかりおじさんに文句を言った人の報告を見つけました。その報告ではぶつかりおじさんがいきっちゃってとても話にならなかったみたい。東京のサラリーマン、イコール、ストレス溜め込んでいる人、って言う構図がある。電車の中で私の周りにいる人達を見回してみたら、やっぱりどの人も怖い顔をしていて、こんにちは、とか普通の人としての会話ができる気がしない。そして自分だってすっかり防御モードの表情を纏っている。
通勤ラッシュ、帰宅ラッシュの電車はサバイバルだ。痴漢されないように、電車が揺れても自分を支えられるように、スマホ操作や本が読めるように、変な人がいないか目を光らせながらスペースを確保する。それから自分のカバンや髪の毛やスマホが周りの人の迷惑になっていないか、ヒールで周りの人の足を踏んでしまわないか。そうして電車が止まるたびに、人が入れ替わるたびに再燃する、シート争奪戦、スペース争奪戦。電車から降りる時だって、エスカレーターに乗る時だって、とうとうと流れ来る人の塊の中で、割り込みになるかならないかの絶妙なタイミングで、でも私の後ろの人達の為にも着実に進んでいかないといけない。そこには人間らしさを持ち込むスペースは、無いのだ。
以前フランス人の友人が日本に来た時に、日本の電車では居眠りしてもたれかかってくる人がいるんだよ〜。超嫌で、肩にスパイクつけて乗りたいくらいって話したら、彼は日本人は働きすぎなんじゃない?誰だってそんなに働いたらそうなっちゃうよ。って言うんだ。日本の異常性に気づかされると同時に、自分のキャパが狭くなっている事に反省しました。
私もコロナ前は毎日ただ淡々とロボットの目でラッシュの人波を乱さずに東京駅を歩いていたんだ。この日は久々に都心でクライアント会議があり、しかも会議がうまくいってぽけ〜っと嬉しそうな顔のままに歩いていたからターゲットにされたのかもしれない。人間らしくなれた自分に気づいて、ちょっと嬉しくもあり。そうしてそんな私と対照的に、クレイジーな都会の波にどっぷりと浸かるぶつかりおじさん。他人事とは思えないです。
ぶつかりおじさん、リラックスリラックス。今度もしぶつかりおじさんに出会う機会があったら、河内弁で文句つけるんじゃなくて、きっと後を追いかけて、大丈夫ですか?って、一言声をかけたい。大阪のおばちゃんらしく、あめちゃん攻撃とかどうかな。咄嗟にあめちゃんあげれたら更に良いじゃん。よしっと鼻息荒く、早速練習中。