Dialogue in the Dark
完全な暗闇を皆さんはどう感じますか?
表題のイベントは私のお気に入りです。先日、数十年来の親友と久しぶりに会う機会があったので、このイベントにお誘いして2人で行ってきました。私のお気に入りなんだって言いつつ、このイベントに行ったのはもう10年以上も前。あんまり良くは覚えていなかったんです。でも真っ暗の空間に一歩足を踏み入れた途端に、一気に解放されていました。
音。風。温度。空間認識。世界が私の支配下に入ったんだ。見えないのをいいことにこっそりと、あちこち探検したり、寝転がったりして存分に空間を楽しんだ。Dialogue in the Darkでは目の見えない方がガイド役としてグループを案内してくれる。そしてイベントの90分の間中、彼女だけが私の行動を感じ、かつ暖かく見守ってくれて、彼女ともののやり取りをする時だけは暗闇の3次元の世界でピッタリと手が合う。
イベントが終わって、友人は目が見えないってこういう感じなんだね〜と、教育的体験として楽しんだ様子。お互いに、明らかに互いの楽しみ方が違うと感じていたんです。友人は暗闇って怖いよねっていうのだけど、私は暗闇に無限の広がりを感じてワクワクしてしまうんです。しかも自分の様々な感覚が一気に開花して喜んでいる感じ。そして底しれぬ、それこそ暗闇に溶け込んだ安心感が漂っているのです。お互いになにも見えない状況で誰もわたしに危害を加えないという安心感。自分の動物的価値と感覚を全身で存分に感じて表現して良い。そしてこの優越感というか開放感というか安心感というか、自分への絶対の信頼には、実は親しみがある。海外旅を楽しんでいる時の感覚に似ている。
海外を旅すると、騙されまいと肩肘を張っている人やビクビクしている人、観光名所とか押さえどころをはずすまいと、これまた肩肘を張っている人に出会うことがあります。もっと力を抜いて、波に体を委ねてむしろその動きを楽しんだらいい。そして、「これはやばい」と感じた時は素直にかつ機敏に応じる。完全に波に体を任せているからこそ、人の悪意という異質を敏感に感じ取るのだと思う。パリの地下鉄でジプシーの女の子が私のカバンに手を突っ込んだ瞬間。カンボジアのホテルで泥棒が私の部屋の鍵を窓から掠め取った瞬間。
人生のこういうコントラストこそが、「生」を感じる、私の人生の喜び。
イベントの後から自宅では全ての電気を消して暮らしている。暗闇ってなんでこんなに落ち着くんだろう。しかしどうやらこういう感覚は一般的ではないようだ。誰かこんな私の感覚を理解して説明してください。