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<祝、解禁>禁断の目隠しかくれんぼ。
ぴぃは4年生になってすぐ顕著な強迫症を発症し、日常生活に支障が出まくってしまった。
触れるもの全てが菌と思い込み、友達の手も、学校も怖いと言って、家から一歩も出れなくなった。
薬を飲み始めて、症状が寛解という状態になりつつある頃、よく遊びに来てくれていたお友達が数人いた。
病気のことを知らないお友達と、家の中でできる遊びをよくしていた。
その中に、『目隠しかくれんぼ』という遊びがあった。
当時、各お友達のお家で遊ぶといえば、室内かくれんぼが流行っていた。
押入れの中やカーテンや棚の裏、あまり掃除の行き届いてない場所に隠れられるのはちょっと・・・と思い、鬼が目隠しをして、鬼以外は隠れずに黙って部屋に佇み、鬼が手探りで彷徨って探すという、我が家のオリジナルかくれんぼ。
新感覚のかくれんぼをみんなで楽しんでやっていた。
月日は経ち、5年生になったぴぃたちのおうち遊びは、いつしかSwitchに切り替わっていた。
ただ、今まで来てくれていたお友達と、5年生になってからできたお友達が我が家でブッキングしてしまうと、Switchでは遊べなくなる。
そうなるともう、みんなでできる遊びは目隠しかくれんぼしかない。
何度やっても飽きずに楽しむ子供たち。
ところが、5年生の冬休みが明けると、ぴぃの強迫症状は再燃した。
ぴぃが自分の症状をひた隠していることて、依然それを知らないままのお友達。
目隠しかくれんぼをするたびに、目隠しをしたお友達が手当たり次第に家具や床、とにかくいたるところを手で触れて回る。
強迫が再燃しているぴぃにとってその光景はまさに地獄だった。
お菓子を食べた後の手で触ってほしくない場所や、触ってほしくない場所を触った手でいろんな場所に触れてしまう光景。
友達が帰った後のぴぃは泣きながら、いろんな場所を拭いたり、自分自身も菌だらけになってしまったと言ってパニックを起こす。
その頃から、遊びに来てくれたお友達が「目隠しかくれんぼしたい!」というと、ぴぃが不安げに私を見る。
私はぴぃの代わりに「ごめんね、掃除してなくて、埃だらけだから。しばらく無しで。」と言って断り続けた。
我が家の目隠しかくれんぼは禁断の遊びとなった。
6年生になると、来てくれていたお友達はみんな、塾やら習い事やらで我が家にやってくることは減った。
今日、学校が短縮日課だったことから、久しぶりに大人数のお友達が我が家に集結した。
「目隠しかくれんぼしよう!!」
そうみんなに呼びかけたのは他でもないぴぃだった。
お友達の1人が言う。
「やってもいいの!?!?」
ぴぃ「いいよ、やろう!ママ、目隠しかくれんぼするから、アイマスクと審判お願い!」
私「いいの?」←小声
ぴぃ「大丈夫だから、やろう!」
久しぶりの目隠しかくれんぼ。
もう6年生になった子供たちが、一年前とは変わらないテンションで楽しんでいた。
最近のぴぃはまた寛解の状態が続いている。
頻繁な手洗いも、安心おしぼりの常用も、確認行為もほとんどない。
車の中で誤って落としてしまったマスクも何食わぬ顔して拾ってつけるし、テーブルに落ちた食べこぼしも無意識に拾って食べるし、醤油をこぼした部屋着も着続けてる。
加害恐怖的な不安ごとも、なんとか自分自身で乗り越えようとしている。
強くなったし、受け入れる、受け止めることも少しずつ覚えて、たくさんの不安を乗り越えてきた。
乗り越えた先の成長でしかない。
ちょっと前に突然ぴぃは言ってきた。
「最近調子いいのわかる?ぴぃ、ミッケ(強迫観念)と仲直りしたの。」
そっか、ぴぃにとっては「乗り越えた」じゃなくて、「仲直り」なんだね。
その表現、なんかいいね。