強迫性障害の子どもの声と、その家族へ(前編)
ぴぃが強迫性障害と知った日、強迫性障害についてたくさん調べた。
その病気のことを知れば知るほど、私は同じ症状を持っている人、またはその家族の話が聞きたかった。
こんな病気です、ということはだいたいわかった。
じゃあまずどうすればいいか?ということが知りたかった。
調べても調べても、だいたいは「まずは専門家に相談しましょう。」という文言で締め括られていて、具体的に道標を指し示してくれることはなかった。
専門家?まず誰ですか?最初にどこですか?
それを教えてくれるところはなかった。
私自身が行っていたメンタルクリニックでも、「泣きながらどうしたらいいかわからない、助けてください。」という私の話をただ聞いて、薬を出すだけの先生がいるだけだった。
薬物治療が怖くて考えられなかった私は、子供の強迫性障害を専門とし、認知行動療法をしている研究室を見つけて通い始めるが、ぴぃの症状は悪化し、結果的に薬物治療を勧められる。
その時の唯一の相談相手は、週一回の小学校のスクールカウンセラーさんで、県内の大きい病院をいくつか勧められ、一番早く予約が取れた病院に通う事になる。
児童精神科であっても、専門家と言えるのか、ぴぃの強迫行為への対処法や、巻き込みに関して、学校のこと、家でどうすればいいのかを教えてくれる場所ではなかった。
私の精神状態はボロボロだった。
結局私は、ただ巻き込まれるだけで、どうすることもできなかったのだ。
ぴぃはこの先どうなりますか?家族は何ができますか?希望はありますか?
それが知りたいのに、調べれば調べるほど、悲痛な叫びばかりで、前を向いて希望を持って、強迫症の子供と向き合ってる家族の記録を見つけ出すことができなかった。
友達の知り合いで、1人だけ娘さんが強迫性障害という方に繋がった。
その娘さんは、今は何とか自分自身でコントロールできるとこまで成長されていると聞いた。
ただ、その娘さんは中学生になってから発症しており、重症傾向にあるため、入院、転院を繰り返していたと聞いて、当時4年生のぴぃと重ねるには、少しステージが違う気がしていた。
病気のことも、不登校のことも、今どうしたらいいのかわからないのに、誰に相談していいのかわからなくなった。
この病気を知らない人には当たり前のように思いが伝わらない。
たとえ家族であっても、共有したいこと、共感してもらいたいこと、本当の辛さ、なかなか伝わらなかった。
1人で調べて、1人で抱えて、1人で向き合わなければいけないのかと思うと、怖くて孤独しか感じられない時期があった。
この思いを相談できる専門家はどこの誰ですか?
薬のおかげか、ぴぃの症状は落ち着き始める。
ぴぃの症状が落ち着いて意欲的になってきたことをきっかけに、私はやっと自分自身の立て直しを図る。
私がぴぃの未来を信じて、希望を持って、今を大切と思える人になればいいんだということに気がついた。
ただ、ボロボロになっていた自分も自分で、もし、あの時の経験が、どこかで誰かのためになるなら、記録として残していこう。
そう思って始めたnoteだった。
私はまだ出口も見えぬトンネルの途中にいて、私が欲しかった確かな希望と言えるところは正直見えていない。
それでも、何となく光が差し込むトンネルの中にいるような感じがしている。
今の幸せが未来の幸せにつながると信じて生きていくと決めたから、
どこかの誰かに、1人じゃないよ、光はあるよ、と伝えたい。
そんな時、
昔ながらの仲間の娘ちゃんが、3年生の始まりとともに体調を崩し、学校に行けなくなっていると聞いた。
様子を聞くと、細かい症状は違うけど、ぴぃと同じ強迫性障害という診断を受けたという。
娘ちゃんの強迫観念による癇癪、学校のこと、仕事のこと、自分の気持ちを分かってもらえないもどかしさ。
ママちゃんの母としての苦悩や葛藤が手にとるように分かる。
私はいまだに、一番キツかった時にぴぃにどうすればよかったかの正解は分からない。
もしかしたら、正解なんてないから、道標が見つからなかったのかもしれない。
でも、母親としての気持ちは理解できる。
そして、きっとぴぃも、娘ちゃんの気持ちを一番理解してあげられる。
私の何倍も孤独を感じていたぴぃの経験も、誰かのためになれるのかもしれない。
私は、ぴぃに娘ちゃんの話をするべきか、話すとすればどう切り出すか、少し慎重になった。
心強いと思えるのか、自分との重さを測って比べてしまわないか、ぴぃがどう受け止めるかが分からなかった。
でも、ぴぃを信じて話してみた。