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今やっと少しだけ、この経験を活かせているのかもしれない。
自分を立て直す、整えるために覗いてみた数秘の世界。
もともと、現実主義で、目に見えるものしか信じることしかできない私。
数秘なんて聞いたこともないし、目に見える安心が欲しいのに、スピリチュアル的なものは信用もできないからと、興味も持てなかった。
ただ、もうそんなことどうでもよかった。
ただのセッションで数秘と関わるということもできたのだが、私はあえてプレゼンターの資格を取った。
なんとなく、学びとして、身につけておきたかったら。
笑っちゃうほど、カラフルで煌びやかな教材。
もう入り口から、結局最後まで怪しいと思ってしまう私を、講師の先生は笑って受け入れてくれた。
ただ最後の最後で、私は得るものしかなかったことに気がついた。
0になった自分の思い込みを捨て、また自分をやり直すんだと思うには十分と思えるほどの気づきがあった。
占いではない、未来を決めるものでもない、ただ「自分を知ること」がこんなにも視界を広げてくれると思わなかった。
強迫性障害で不登校の娘との暮らし。
私はまだ「この経験を活かす」というところまではこれていないが、「この経験を殺さない」とは思っている。
このnoteも、どこかで、誰かの、何かに、という思いのもと始めた。
誰かに向かって断言することなく、押し付けることもなく、良くも悪くもある等身大の私の言葉で、「自分だけじゃないんだ」という「安心」を感じてもらえればいいと思った。
気がづいたらそれが、私が学んだ数秘のコンセプトとも合っていた。
決めつけや、絶対に受け取らなければならないものでも、変えられないものでもない。
受け止め方は自分次第ということ。
もともと数秘は誰かのためにというより自分のために深めたものだから、何かあれば自分で自分を癒すためのツールとして、見直そうぐらいに思っていた。
でも、子育てに迷っていたり、自己肯定感が下がっている友人にはついつい勧めたくなる。
自信のない友人にこそ、「あなたは大丈夫だよ。」「ちゃんと自分を好きになれるよ。」と伝えたい、それに気づけるきっかけをあげたい。
だからと言って、私から数秘を勧めようとすると、どうしても切り口が怪しくなってしまう。
それは、ちょっと前まで病んで弱ってどん底にいたのは私の方だから。
今を受け入れて、笑って話せるようになった私だけど、だからこそ、そんな私から、いきなり「数秘って知ってる?」なんて言えなかった。
何かの宗教にハマってしまったのではないかと思われかねない。
変な壺や宝石を売られるんじゃないか・・・って思われてしわないかと。
ちょっと前に、数秘を知る友人との会話の流れで、実はプレゼンターの資格を取ったという話をしたら、興味津々に話を聞きたいと言ってくれた。
初めて自分の学びを友人に聞いてもらった。
「迷いの中に指針ができた。何だか腑に落ちた。気づけてよかった。」
つたない私の話でも、そんな風に言ってもらえた。
その友人をきっかけに、自分から発信しなくても、聞いてみたいという人の輪が最近少しずつ広がっている。
「昨日より心が楽になった」と言ってもらえると、今日までの日々に感謝ができる。
私は、相手の持っている数のキーワードを伝えるだけ、それをどう受け止めて、どう自分の言葉で紐解いていくかは相手の作業。
むしろ私の方が聞き手になることもある。
でも、自分で自分を紐解くというのは、改めて自分を見直して認めるということ。
迷っている、混乱している、生きづらい、そんな人こそ覗いてほしいと思う。
経験が活かされている実感を得た今日このごろ。