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 コリアンタウンとして知られるこのエリアだが、最近ではネパール、ベトナム、インド、ブラジル等々、東南アジアを中心にあらゆる国の人々がこの街へと移り住み、店を営む。エスニックな料理店が立ち並ぶメインストリートから路地へ。何気ないふうを装い、道すがらガラス張りの店内を覗くと、レジの前に背中を丸めた大男の姿――東京の多国籍地帯の一角に、かつて〝蒙古の怪人〟と恐れられたその男は店をかまえる。ひょっとしてモンゴリアン・チョップの一発でも浴びせられやしないかと怯えながら、中へ。いらっしゃい、とよく通る声で迎えてくれた。身長198センチ超の巨体の先には、スキンヘッドに鋭い眼光と髭。漂う雰囲気からは未だ覚めやらぬ殺気と迫力を感じさせる。
 キラー・カーンは、プロレス黄金期の日本のみならず米国マット界においてもスターダムへとのし上がった伝説的ヒールレスラー。名だたる強豪たちを相手に繰り広げたその暴れっぷりは、ファンの間で今でも語り草になっている。店の壁に飾られているのは、激闘の瞬間をとらえた一枚や、レジェンドレスラーたちとの記念写真、そして、カウンターの上にはなぜか尾崎豊のプロマイドが。
 腹をすかせた〝若者のカリスマ〟も、この店の常連だったという。好物の特製カレーライスをかき込みに。そして数日後、あまりに早すぎたスターの死は、日本中の悲鳴と叫びをもって、彼を本当の伝説にしてしまった。

 うまいよ、茄子の浅漬け、うまいよ、それからね、うちは中華はなんでもうまい。じゃ、茄子もらいます、あとハイボールで。’87年に現役を引退したのち、新宿近郊で何度か場所を変えながら居酒屋を営んできた。いつのまにやら殺気は薄れ、酒場のオヤジさんの風情がにじみ出る。ほら、憶えてるだろう、キラー・カーンだよ、プロレスラーの。混み合う酔客のなかで中年サラリーマンが同僚に耳打ちする。あぁ、本当だ、本物だ。振り向いた二人はそして、何事もなかったかのように仕事の話をし始める。

 席を立ち、無骨な指で小銭をまさぐる彼を待っていると、ジョッキがぶつかり合う音や厨房、笑い声が分解して聞こえる。
「キラー・カーンさん、握手をしてください」
差し出した手を丸ごとがっしり握り返してくれた。だが見上げてみると、彼の視線は店のどこかへそらされていた。
 終電を逃すまいと、大久保駅へ急ぐ。まだプロレスが危険な匂いを放っていた時代、ヒールレスラーたちはどこまでも悪役を生きていた。うかうか近づくファンを蹴り飛ばすなんてザラ。ツーショットを断るなんて当たり前。冷たい風が吹きつけたとき、ふと笑いがこぼれた。そうか、目を合わせなかったのは、ひょっとしてキラー・カーン一流のファンサービスだったのかもしれない。

text by. y.s.