こんな映画を観た②ー『アメリカン・スリープオーバー』2010.デヴィッド・ロバート・ミッチェル
夜の映画が大好きである。
あてもなく街をブラブラと歩いているだけの映画ならば、尚良い。照明が全て落とされた真っ暗な空間に身を埋めながら画面上の夜に浸っている時間は、何物にも代えがたいくらい心地が良いと思う。
デヴィッド・ロバート・ミッチェルのデビュー作『アメリカン・スリープオーバー』は、あまりにも正しいティーンエイジャーたちの「夜の徘徊映画」だ。女を求めて男は歩き、男を求めて女はさ迷う。そこに明確な目的地は存在しない。その単純さが、良い。
プールで視線を交わす、互いの名前も知らない男女(プールではない場所で再会したとき、彼らは「プール・ボーイ」「プール・ガール」と呼び合う!)。スーパーマーケットですれ違う男女……幾つもの即席ボーイ・ミーツ・ガールが果たされ、そして曖昧な関係性を纏いながら、長い夜へと足を踏み入れていく。スリープオーバー(=お泊り会)を抜け出した者だけが味わうことの出来る一夜は、ティーンエイジャー特有の危うさをサスペンスに変換させながら深さを増していくのだった。
この映画の面白いところは、一夜の間に人間の感情がくるくると変わってゆくことだ。ジェームズ・グレイの傑作『トゥー・ラヴァーズ』のように、元々ある人物の為だったアイテムが、別の人物の元に渡ってもよしとする残酷さ。運命の相手の存在などこれっぽちも信じていないしたたかさがそこにはある。身も蓋もない言い方をしてしまえば、「相手なんて誰でもいい」かのように登場人物たちは振舞うのだ。
夜なんて毎日やってくるのに、この一夜に全てを賭けている彼/彼女たち。その懸命さが、なんだか妙に愛おしかったりする。
ロバート・ミッチェルは、本作の後、『イット・フォローズ』という、これまたティーンエイジャーたちが夜をさ迷うホラー映画を監督する。そこで笑ってしまうのが、「エロ本」と「プール」が共通項として浮かび上がってくるということだ(時代が曖昧、というのも共通している)。その二つが作家性ということでいいのか。はたまた、十代の若造なんて「エロ本」と「プール」だと高を括っているのか。もしかして無自覚なのか……?いずれにせよ、今から次回作が楽しみである。
text by K.M