歯が痛くなるまで、ぐるぐるした言葉
今日の昼間に歯が痛くなって辛くて、用事をだんなさんにお願いして、頭痛薬を飲んで休んでいました。
今、ちょっと楽になってnoteを書き始めています。
「昨日もらった言葉がとっても悲しかったんだな私」って思ってて、それを今も考えると、悔しくてまだちょっと泣けてきてしまう状態で、それくらい私にとっては大事なことのようです。それを気づかせてくれたことには感謝しています。(だから反面教師という単語があるのだと思うんです)
昨日聞いた言葉が「○○のお荷物」っていう表現の言葉でした。
人間を「○○のお荷物」って捉えるものの見方を私はしていないっていうか、結局のところそれができない人間です。
そういう「役に立つか・立たないか?」的な価値観だったり、心ない言葉を迂闊に使えてしまう社会に傷ついたり、今も我が子のために子どものために様々なカタチで闘っているお母さんたちの顔がすぐに浮かぶし(それも何人も)、この価値観に多少なりとも辛い思いをしている若者たちの様子も就労支援サポーターとして見聞きしていることもあって、きっと無意識にずっと奥歯を食いしばってしまったのだと思うのです。
私は大学で福祉を学んだのですが、老人福祉学の講座の時に、教授が私たち学生に投げかけてくれた言葉が今でも忘れられないのです。「長寿は長い間ずっと人類の夢だった。それが叶ったというのに、どうして私たちはそれ(高齢化)をあたかも悪いもののように捉えているのだろうか?」
生まれてすぐに命をなくす子どもを一人でも減らしたかった。そうやって頑張って日本は今出生時に子どもがほとんど死なない国になったそうです。途上国では命を落としてしまう赤ちゃんも生命をつないでいくということは、ケアが必要な子どもが増えたということでもあると、ある小児科のドクターの講義を聞いたこともあります。
先日若いお母さんのエピソードを聞きました。
若い女性が「私何もやってません」って自己紹介したんです。で、その何もやってない女性、妊娠中だったんです。身体がすごい細胞分裂してて、命を育んでいるのに「何もしてない」って言うんですよ。
タンザニアで仕事をしていた時に、現地の若者からこう聞かれたことがあります。「タンザニアよりずっとずっと豊かな日本で自殺する人がいるって聞いたけど、どうして?」
その時にはうまく答えられなかったけど、今の私ならこう答えると思います。タンザニアのような寛容さが少ないからだよって。
何かが課題だって捉える自由も権利もあると思います。ただそれを権威や責任ある立場の人が発言するなら、「じゃ、どうする?」とセットであってほしい。そのためにどんなチームを組むのか?とか、どのように難しい立場の人をサポートしていけるのか?とか。それがない「お荷物」という捉え方だけで進む未来に私はYESとは言えません。
でも、そういう論旨明快な強い人を私たちはつい信頼してしまうし、そこに舵取りを任せようとついしてしまって、優しい人のことは弱い人って思ってしまうよね。これってきっと、今だからこそ、私たちの寛容さや多様性への認識が試されているのだと思うのです。
だから私は、自分にできることとして、迷惑をかけるとかお荷物とかって考える方向性からの呪いを受けるのをやめようと決めました。
呪い受けたらすぐに↓浄化の呪文を使えるようにします↓↓↓
「誰一人取り残さない No one left behind」
by SDGs
優しい人に対してこの浄化の呪文は必要ないけど、経済の効率性とか〜、、、って論調に出会ったらぜひ使ってください。国連が2030年までの人類の共通の方向性として決めた魔法の言葉ですから。
私の歯を痛くした件、誰がそれを発言したのか?とか本質から外れた詮索はいらないと思っていて、多少事実をぼかして書いていますコト、ご理解ください。
今日もお読みいただきありがとうございました。