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あなた方の中で罪を犯したことのない者から、石を投げなさい

おはようございます。
前御前崎市議会議員のさいとうけいこです。

一つ前のnoteに、アフリカ的な寛容さと、それが少なくなっている地域や日本社会でいいのだろうか?という疑問を文章にしてみました。

今日は上の文章を書いた後で、今私が感じてる事にぴったりの言葉を思い出したので、そのことについて書きたいと思います。

少し前にあるニュースが流れました。その内容については驚きで、文春砲もあるという事でした。

今の自分は(自分自身も色々と辛いことを経験したので)大変な目にあっている人については「果たしてこの人は、生きることを選択できるだろうか?」と思うようになりました。

人は強いし弱いもので、例えていうなら魔界が目の前に拡がっている瞬間もあって、ふとした瞬間に何を選択するのか?またその引き金が何になるのか?もわからない という事を自分も学んだので、尚更そう思います。

そして私が魔界の入り口あたりから戻ってこれたのは、「あなたを一人で辛い目に合わせてしまってごめんね」という一言をいただいたからです。
何を甘いことを、、と思う方もいるのは承知しておりますが、私としてはあの言葉がなかったら、今このように存在できてはいなかったと思っていますので、その言葉を発してくれた人には心から感謝しています。
何故なら、生きていなかったら、それも心身共にあまり壊れずにいられなかったら反省や回復すらできないですから。


以上の背景の上で、今日書きたかった事は以下になります。

あなた方の中で罪を犯したことのない者から、石を投げなさい
この言葉は聖書の一文です。

実際にはよく知らないから、有名人だからとか、自分と距離があって、その人が命があって揺らぎのある存在だという事がよくわからなくなってしまい、拳をふりあげたくなる状況は理解します。でも、それが誰かの人生や生命に関わる痛みの原因となるかもしれないという事への理解も同時に必要かもしれないと思うのです。

正義中毒という内容の本があるそうで(読んでみたいとも思うのですが、また読めていませんが)その著者の方の記事はこちらになります。

この著者によると、「人の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人など、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできてる」のだそうです。

だからこそ、2000年も前に聖者は「あなた方の中で罪を犯したことのない者から、石を投げなさい」という言葉を残したのかもしれませんし、アフリカでは長老がhuruma(慈悲)を諭し、日本では観音様はお地蔵様が慈悲を教えてくれているのかもしれません。

中にいたからこそ垣間見たのですが、政治の世界は表に出ているものは氷山の一角でもあります。マスコミの報道も目的によって表現が変わり、その事によってインパクトも変わります。そのような中だからこそ、先ずは、生命や心が守られることを希望しますし、生命や心が守られるようなコミュニケーションが行われることを希望します。





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