【 京セラフィロソフィー 】 ブラック労働を正当化する経営哲学 FirE第329回
昨日ついに、退職願を提出しました。
現在の仕事は、12年ほど続けてきましたが、ここにきての退職!
正直、なぜここまで辞めなかったのかわからないような
労働環境でした。
ブラック企業から
抜け出せないその理由を、分析します。
今ブラック企業にいながら悩んでいるは正常です。
悩みがなくなった人は、危険信号です。
【 社風 】
ブラック企業とは、誰が作るのかというと、実は、社員だったります。
トップの考え方が、社員に浸透するわけですが、
繰り返し繰り返し、トップからの話を聞いているうちに、その考えが浸透します。
そして、疑問に思っていたことも、そうなんだと納得させられる時が来ます。
そうなると、
社員が「こういうときはこうすべき」というルールを形成します。
それは、明確に文字になっていないルールです。
有給消化?ありえない
日曜は休み?仕事終わってないやつに休みなんかない
5時出勤な!タイムカードは定時まで打刻するなよ
18時に打刻してから事務所で作業しろよ
今日棚卸しだよ?有給なんて関係ない出社しろよ
土曜は人が少ないから早朝は無休で出社しろよ
こんな明示されていないルールが次々と生まれました。
そしてそれを守ることが「努力」と評価されます。
このような考え方の根本となる教育、
これが、「利他心」です。
【 京セラフィロソフィ ー】
京セラの創業者で伝説的な経営者である稲盛和夫氏が作り上げた経営哲学が
「京セラフィリソフィー」です。
稲盛氏は、京セラの創業者でありながら、現在のauを創設、経営破綻したJALをV字回復させた伝説的な手腕を持つ経営者です。
そして、その考え方をまとめた、京セラフィロソフィーは、多くの経営者に影響を与え、自社の経営にも取り入れている企業が多くあります。
うちの会社もその一つでした。
京セラフィロソフィーの中のキーワードの一つが、「利他心」です。
これは、他人のことを一番に想う心です。
この心は非常に大切なものです。
人が生きていく上では、自分のことばかりを優先するような人が、社会で幸せに生きることは難しいでしょう。
問題なのは、この利他心を、会社が従業員の強要することにあります。
【 利他心の強要は利己心なり 】
うちの朝礼では、
社長が「お前らには、利他心がない!だからうまくいかない!お前もや!お前も!お前も!」
と、名指しで、その人物の利他心の欠けていたエピソードを全員の前で暴露します。
この行為自体に、利他心などないだろうという話なんですがね。
利他心を持つことを、強要します。
つまり、他人のために自分を捨てろということです。
これは、他人のためと表現しているので対人間の場合を指しています。
しかし、その意識変革は、発展し、会社のために自己を捨てろという意味なのです。
それを「利他心」にすり替えます。
休日出勤、サービス残業、無休奉仕、長時間労働を、正当化するための言葉です。
会社という他のために、自分の時間と、労働力を無償で提供する。
それは、会社の経費削減となり、利益になります。その利益があるから、給料が出るというのです。その給料とは、パート従業員など、自分以外の人たちの助けになるというのです。
そういった意味で、休日出勤、サービス残業、無休奉仕、長時間労働は「利他」だという理論です。
はっきり言って、アホです。
こう言ったことを、社長一人がギャアギャア言っているだけで誰も従わなければ、「うるさい社長がおる」で終わりですが、
これに呼応して、
始業時間の4時間前に出社し、無休で働く一般社員が出てくるのです。
そして、いつしかその時間が、「出勤時間」となり、朝5時に遅れれば、「遅くなりました、申し訳ありません」と謝罪をして出社することになります。
誰一人、本当の遅刻などしていません。
これについても、はっきりと朝礼で叱責があります。
その朝礼も始業時間の1時間前にあります。
「なんで今日遅刻したんだ?」 「他人に迷惑がかかると思わんか?利他心がない」
そんなことを1時間説教されます。
この時間、1時間×10名 = 10時間を使って、ただただ演説があります。
タイムカード打刻前ですから、10時間分の人件費は発生しませんからね。好きなだけ時間を使います。
「指導」と称した、演説は、ただただ、「やれと言ったらやれ」という
なんとも無能な人物の論法です。
そんなことなら、誰でも言えるのです。
「やれと言ったらやれ」こんな簡単な指示があるでしょうか?
人間の心というのは、複雑です。
納得のいかないことがあれば、素直に遂行できるわけがないのです。
しかし、
それもこれで一括。
「お前らは、素直さがない。だから成長しない。聞く耳がない。」
この「素直」というキーワードも京セラフィロソフィにあるものです。
このように、従業員を、命令に従う駒にするための道具が
京セラフィロソフィーです。
そう意図して作られたものではなかったはずですが、
会社によっては、そのように使われてしまっています。
実際に、京セラの会社の評判を検索してみてください。
ブラックぶりが明らかです。
【 幸福の追求 】
全従業員の幸福の追求というテーマが、フィロソフィーにはあります。
全従業員とは、すべての従業員です。
社長も含みます。
これも、ブラック労働を推奨するための言葉でした。
全従業員というワードがポイントです。
自分の幸福ではなく、自分とその他全員の幸福の追求です。
先ほども書いたように、
サービス残業で浮いた人件費が利益となり、その利益で他の従業員の給与が出るのだと。
君も、君も、他の従業員のために、個を捨てて努力しろと。
その個とは、自分の家族も含みます。
早朝から、深夜まで、休日までの仕事をし、会社という他に利益をもたらし、他人の幸福を追求することで、
家族との時間はなくなるのです。
それが、全従業員の幸福の追求です。
【 幸福の押し付け 】
社長は利他心を前に押し出すため、幸福の提供をしようとします。
その幸福とは、社内のバーベキュー、宴会、飲み会などです。
これからへの参加は、「全員参加」です。
これもフィロソフィのテーマの一つです。
参加できないと言えば、ものすごい態度を取られます。
他人の合わせる気がないと評価されます。
例え、予定が入っていても、それをキャンセルしてでも参加する必要があります。
そして、バーベキューなどは、休日にあります。
パート従業員も全員参加です。
そして、社長は、「従業員が喜んでいた」と朝礼で話すのです。
これが幸福であると。
誰の幸福かと言えば、自分の幸福なのです。
ただでさえ少ない家族との時間を、職場の行事に奪われるのです。
「全員参加」に縛られ、「利他心」に縛られ、
自分を捨てて参加するのです。
そして、次の日には
昨日はありがとうございました。
と、言うのです。
その感謝を間に受け、「全従業員が幸福だ」と錯覚するのです。
【 感謝の気持ちをもつ 】
感謝気持ちとは、持つべきものです。
というか、溢れてくるものです。
これも京セラフィロソフィーのテーマです。
素直に、謙虚に、感謝する
と言う、基本が書かれています。
これも強要してはいけないのです。
うち会社では、給料明細の封筒が各自のデスクに置かれるのですが、
社長へ「給料ありがとうございます」と挨拶に行きます。
給料をもらって当たり前と思うから、感謝の気持ちが生まれないのだと言う理論でした。
つまい、「ありがとうございます」と言わないやつは、
給料をもらって当たり前と思い、感謝していないと見なすと言う宣言なのです。
私は、これには、従わずお礼は言っていません。
労働力を売った、その分の代金が給料です。
会社側が、今月もご苦労さんと渡す方が自然だと思うのです。
ましてや、月間150時間以上のサービス残業をしているわけですから、なぜこちらがお礼を言う必要があるのか疑問です。
【 都合の良い解釈 】
本当に、都合の良い解釈で、フィロソフィーの言葉を捻じ曲げて利用しています。
それは、他社との比較にもあります。
他社の従業員は、若くして常務になり、こう言った努力をし、そこまで成長した、なぜお前らはそれができないのか!?
こういった話が、よく出ます。
しかし、その他社の労働環境のことは比に出さないのです。
従業員はのびのび働ける社風。
しっかりと分業された人員配置。
十分な数の人員。
しっかりとれる休日。
このような条件が全く異なるにも関わらず、
「同じ人間」と言う、生物的に同じ種であることのみに共通点を見出し、
なぜ、「同じ人間」のあいつがやっているのに、お前らはできないのか?
と言う、論法で迫るのです。
アホでしょう。
人間であれば、全員、同じくらいの能力になると思っているのです。
であれば、
この世は、全員、個人事業主です。
雇われる人など存在しないはずです。
【 終わらない 】
いくらでも書くことが溢れてくるので、
最後に、私がこの12年でも最も衝撃的であった、社長からの言葉を書きます。
「お前のクビ切ったるからな!!辞めさせるっていう意味ちゃうぞ!首を切断したる言うてんねん!!」
ワインを飲みながら、
13時から始まったバーベキューが終わった、21時から、翌朝6時まで
従業員数人を立ちっぱなしにさせて、
暴言を吐き続けた時の一言です。
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