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温故知新

Twitterで少し話題になったので、今日は私が今の仕事に就くきっかけについてお話ししたいと思います。これから同じ道を目指す方々の参考になれば幸いです。少し照れくさいですが、思い返すとやはり自分の経験が今につながっていると感じます。

私は小学生の頃地元のクラブで野球をしていました。平日は学校が終わるとすぐにグラウンドに直行し、暗くなるまで練習。土日も練習試合や大会があり、特に夏はほとんど毎日野球に明け暮れていました。冬になると日が早く暮れるので、少しだけ夜に余裕ができましたが、それでもほぼ野球一色の生活でした。
クラスで一番背が低かったので、スポーツにはあまり向いていなかったかもしれませんが、チームの一員として一生懸命に取り組んでいました。

中学に進むと、野球から少し離れて生徒会執行部に所属することになります。生徒会では、人数が少なかったこともあり、いろいろな役割をこなしていました。毎月の委員会出席、中央委員会での報告、議事録やレジュメの作成など、今思えばかなり実務的な仕事をしていましたね。運動会では聖火台を自分たちで手作りしたりしていました。生徒会での経験は、責任感やリーダーシップを学ぶ良い機会だったと思います。

一方で、私の小中学生時代は、テレビや映画とはほとんど無縁でした。しかし、ある時を境にその状況が変わります。中学生の頃、自室でラジオを聴くようになり、そこで初めてエンターテイメントの世界に興味を持つようになったんです。特に夢中になったのが、伊東岳彦さんの漫画を原作としたラジオドラマ「宇宙英雄物語」。毎週放送を楽しみにして、欠かさず聴いていました。このラジオドラマのエンディングでは、主役の草尾毅さんが原作者や脚本家の名前を紹介し、出演者が自分の名前を役名なしで言うという独特な形式でした。そのため、誰がどの役を演じているのかは、声の特徴から推測するしかなく、これが声優への興味のきっかけとなりました。

ラジオだけでは物足りなくなり、番組を毎週カセットテープに録音して繰り返し聴くようになりました。しかし、当時のお小遣いではカセットテープをたくさん買うことができなかったんです。そこでひらめいたのが、VHSテープに音だけ録音するという方法でした。VHSの3倍モードなら6時間録音できるので、毎週の放送をまとめて保存できるようになりました。この工夫は、今でも良いアイデアだったなと思います。

そんな時、友人に「宇宙英雄物語」の話をしたのですが、興味を持って一緒に聴いてくれる仲間は見つかりませんでした。しかし、ある友人が「草尾毅って、日曜朝にやってるスーパービックリマンに出てる人じゃない?」と言ってくれたことが、私に新たなきっかけを与えました。それを聞いた私は、アニメのエンディングを録画して草尾毅さんが出演している作品を探すようになり、そこからアニメを見る時間がどんどん増えていったのです。そして、高校では自然な流れで漫画・アニメ研究部に入部することになりました。

高校時代は、部活に打ち込む日々でした。周りの部員たちは、小中学生の頃からずっとアニメや漫画に親しんできた人たちばかりで、私は少し遅れをとった感じでしたね。でも、声優に関しては少し詳しかったので、その分を強みにしようと思っていました。ちょうど近所にレンタルビデオショップができたので、見逃していた作品を補うために、毎日アニメをたくさん見ていました。1日に30分アニメを4話、多い日は長編を3本も見るほどでした。

そんな頃、部活では声優志望の仲間が多かったこともあり、ラジオドラマを制作するプロジェクトが始まりました。私は、録音、編集、効果音の作成や選曲を担当しました。これが今の仕事に直接つながるきっかけになったんです。当時はまだパソコンで音を編集する時代ではなく、ダブルラジカセを使って手作業で編集していました。今振り返ると、黒歴史と言えるかもしれませんが、あの限られた機材の中でできる限りの工夫を凝らしていたと思います。

今思えば、あの経験がなければ、今の自分はなかったでしょう。あの頃から、自分なりに工夫して作り上げる楽しさを知り、それが現在の仕事に活かされていると思います。これから声優や音響に興味がある方、ぜひ自分なりの方法で挑戦してみてください。どんな経験も必ず未来につながります。


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