【音楽評論】邦楽史における2000年代J-POPの価値
音楽に惚れ込んだ13、14歳頃から今まで製作をしない時など無かったが、近頃はその流れを意識的に塞き止め好きな小説を読んだり未知の音楽の歴史や知識を摂り入れる日々を過ごしている。
特に以前から気になっていた邦楽の歴史を学び、各年代に自分なりの価値づけを行っている中でひとつ気がかりが生まれた。
私が青春を過ごした2000年代の価値だ。
例えば邦楽史における2000年代、続く2010年代は"暗黒時代"と称されることが多い。
蔵人が唸る所謂"実力派"なミュージシャンはチャートの影に隠れ、商業的な側面が目立つアイドルや、"アイドルではないがアイドル的な立ち位置のグループ"がメインストリームを賑わした。2010年代は特にそれが顕著に表れ誰が見てもあまりに酷い有様だったが、そこはハッキリとクッキリとそれを捉える事が出来るので理解に及ぶ。"恥ずかしい歴史"としてキチンと明言出来るからだ。
ただ私情の混在もあると思うが、なんとも腑に落ちずらいのが2000年代である。
80年代後半から90年代のJ-POPは言わずもがな、今や世界で評価されているし、実際に空間にそれらの楽曲を放ってもその評価に頷ける効果を感じる。
シティポップならず、他分野においても曲が良い。
そして現代のJ-POPも同様、Creepy Nutsの『Bling-Bang-Bang-Born』をはじめ、再生したその瞬間に空間を一気に彩る威力は世界のチャートインを実現して納得である。
ではその間の期間はどうだ?
私自身が実際に心酔した2000年代の邦楽は、この国のポップミュージック史に確かに存在していた。しかし、、現代のアーカイブブームの中で全くと言って良い程目が向けられていない現状は、果たしてまだ未開なのか、それとも評価に値しないのか。
気になって調べてみるが、宇多田ヒカルの衝撃+小室哲哉の衰退で片づけられてしまうのがほとんどだ。ミュージシャン個体の歴史でそこを語られることはあっても、俯瞰して当時のメインストリームを取り上げられることは珍しい。
2000年に小学生を終え中学生になった私にとって、思春期ど真ん中だった2000年代だが、振り返ってみると宇多田ヒカルから始まったR&B色が色濃く浸透していた様に感じる。そしてそのR&Bが下地になったサウンドムーブメントと、『世界の中心で愛を叫ぶ』から始まった刹那的な愛を憂う"感染性感傷"から生まれたメロウな楽曲の量産こそ、2000年代J-POPの象徴的な事象ではないかと思う。言わば”メロウ合戦"だ
ASAYANから華々しいデビューと記録的なヒットを出したCHEMISTRY
そのASAYANオーディション参加組からボーカルを2名引抜き結成され、同じく華々しいデビューとヒットを量産した初期EXILE
代表シングル『楽園』でチャートのトップランナーに躍り出た平井堅
『永遠に』で実力派として名を知らしめ、『ひとり』のスマッシュヒットでメロウ合戦に躍り出たゴスペラーズ
メインストリームでは前出程の活躍は無いが、蔵人からの評価が圧倒的だったSkoop On Somebody
あげればキリがないが、こういった"R&B系"のサウンドメイキングによるメロウ楽曲の量産が凄まじかったように感じる。そして更にここへ"R&B系"ではないバンドやソロミュージシャンが参戦し、正に"メロウ合戦"が繰り広げられていた。
ただ、こうしたメロウ合戦が「音楽」という視点から見て、邦楽史における黒歴史だったとは思えない。
"メロウ合戦"の立役者は間違いなく松尾潔氏だろう。CHEMISTRY、平井堅、MISIA、SPEEDなど多くの"メロウなR&B”をプロデュースしヒットが生まれ、それが狼煙となった印象はある。
そしてそこに対するのがFace 2 fAKEの2人組。EXILEのデビューヒット曲となった『Your Eyes Only』を初め、これまた多くの"メロウなR&B”でヒットを量産した。
この両名だが、それぞれのバックボーンにちゃんとしたメロウなR&B”をヒットさせる文脈を持っている。各々が持つ文脈の上きちんと良質な楽曲を製作、R&B系のサウンドプロデュースを行い、互いに成果を出し合い、しかもその成果を量産していたということだ。
しかしここに前述の『世界の中心で愛を叫ぶ』から始まった刹那的な愛を憂う"感染性感傷"ブームが乗っかる形で愛について書かれた歌詞が溢れた。結果的に"ラブソングの大量発生"という事象が歴史的俯瞰によるマスキングで音楽的な価値を損失させてしまったではないかと思う。
実際、あの頃良いと思った曲を掘り返して今聴いてみても、普通に良い。
それは個人的で世代的な感想と思われるかもしれないが、ハマリまくっていた当時と違い今は音楽経験、知識を圧倒的に持った上で聴いている。日本の楽曲は特にだが、一聴すれば大体の楽曲のインスピレーション元を予想出来、その上でのJ-POPへの落とし込み方、アレンジ、音質、リズム等分解を行った上で各項に評価する術も身に付けている。
その上で、いいものは良い。2000年代のJ-POPだって良いと私は素直に思う。
歴史を辿れば邦楽史においてR&Bのアプローチはもっと前からあるが、宇多田ヒカルが茶の間に定着させたことは間違いない。そこから邦楽上でリズムカルでソウルフルなアプローチが活性化し、その成果で2000年代に一気に花開いた。私は個人的に邦楽R&B史において2000年代こそが最も重要な時代だったと評価付ける。現在世界レベルの評価を得ているK-POPも、2000年代の邦楽アプローチからも影響を受けていることだって事実なのだから。
ただ、当時の風潮に習って愛をテーマに書かれた詩の陳腐さや、「歌詞だけ書く」スタイルのシンガーの台頭でメッセージ力が低下したことは否めない。故に大衆が理解しやすく、「歌いたくなる」という誘発が同時に生まれたことは興味深く、その事象に伴いサビの過剰な演出を代償にイントロの素晴らしいグルーヴがAメロで一気に失速してしまうことが、リズムを重視する欧米等でシティポップよりも評価が落ちる原因となっていると推測する。(特に、重要なベースグルーヴが無くなってしまうアプローチが多い)
↑ このアレンジでリリースされていたら印象が違ったかもしれない
ようやく世界から邦楽が注目され、「世界で通用する」ということが認知された今だからこそ、日本は2000年代をもっと語るべきだと私は思う。そこには重要な過渡期が存在する。だって世界のアート、ポップ市場の核はやはり欧米だ。欧米が持つ市場のルールにおける評価基準からR&Bは切り離すことが出来ない。だからこそK-POPは評価されているし、藤井風のソウルフルなナンバーも首位を獲得している。R&Bに茶の間が沸いたあの時代から学ぶことはまだまだ沢山あるはずだ。
もしこの記事を読んでくださった方でApple Musicを愛用の方は、簡単にこのメロウ合戦をまとめたプレイリストを作成したので参考にして頂きたい。
最後に、余談だが、このメインストリームの中で2001年にBUMP OF CHICKENが天体観測で、2004年にアジアンカンフージェネレーションがリライトをヒットさせ、GLAYやラルクとは違う邦ロックが地位を確立する重要な出来事も起きている。
その更に裏側(アンダーグラウンド)では、ELLEGARDEN、10-FEET、GOOD4NOTHINGといった現在の邦ロックの礎となる重要なバンドが多くデビューを果たし、2006年にはELLEGARDENが5枚目のフルアルバム『ELEVEN FIRE CRACKERS』で首位を獲得するという快挙を達成し、邦楽リスナーに対し音楽の選択肢を大きく拡大させたことも邦楽史における重要な出来事だろう。
長々と書かせていただいたが、私個人の記憶による偏愛も加味されていることを認めようとも、やはりもっともっと議論が白熱しても良いと思う時代だと思えてしょうがない。現在邦楽が世界で評価されている事は紛れもなく事実なのだから、そこへ紡ぐまでの道のりをちゃんと振り返ることはとても大切なはずだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?