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「また来るよ」彼が私にくれたたったひとつの言葉

こうやって今までの私たちのことを文字にしていると、色々と忘れていたことに気づかされます。でも、一度思い出すと今体験したかのように蘇る。本当に不思議です。

彼が日本でコンサートを終え、帰国する日のことです。一緒に行く友達が見つからず、私はひとりで空港に行くことにしました。

当時の国際線ターミナルは、今と比べ物にならないほどに小さくて、海外アーティストの来日公演があるとお見送りのファンで大混乱。その日も彼らを見送るファンが200人近くいたかと思います。

「ひと目でいいから姿が見たい」

私はそんな気持ちでした。
空港にはたくさん警備員。張られたロープの内側には大勢のファンたちがぎゅうぎゅうに入り込んでいました。

来るの遅かったかな。あそこに入れるスペースはもうないし、あの人だかりではきっと何も見えない。

ロープの内側に入れない場合は外に出るよう促す警備員たち。いつ彼らが来てもおかしくない物々しい雰囲気です。

「キャー!!!」

ロータリーの方から悲鳴が聞こえてきました。慌てて目をやると、2,3人のメンバーが正面入口から歩いてくるのが見えます。

あっ、彼がいる。

その姿を見た私の足が、ロープが張られた場所ではない方に向かいました。出国ゲートの手前にある、列を整理するために設置されたベルトパーテーション。なぜかそこを目指しています。

ファンがいるロープの前を通り、出国ゲートの手前へ移動していく彼。規制されているのか一般の旅行客の姿はなく、空港は黄色い声が飛び交っています。出国ゲートに向かっているその姿はご機嫌で、ファンに手を振ったりしています。

私は急に自分の目の前に道が開けた感覚がしていました。警備員の目をかいくぐり、自分の思うままに移動できているのです。私の動きに気がついた人たちが数人、私の後に続いています。

今でもちょっと信じられないのですが、私はなんの障害もなく彼の目の前にたどり着いていました。

私と一緒に移動した人たちが、彼の隣りにいるもうひとりのメンバーに話しかけています。どういう訳なのか、私以外の全員がそのメンバーとだけ話しているというシチュエーション。

彼と私、ふたりが向き合っていました。手を伸ばせば届く距離。サングラスをしていても彼の目線がこちらに向いているのが分かります。

「また来るよ」

優しく響く彼の声。その声が私の中からなのか、どこから聞こえたのか一瞬分かりませんでした。でも、紛れもなく私だけに向けられた言葉だということが理解できた。

私は自分の内側からこみあげる何かを必死で抑え、うなずきながら「はい」と答えました。

彼も微笑みながら小さくうなずくと、私に背を向けゲートの中に消えて行きました。

彼と言葉を交わしたのはこの一度だけ。私にとってとても大切な出来ごとです。嬉しいという感情よりもとにかく信じられなくて、国内線ターミナルまで泣きながら歩きました。

でもこの数ヶ月後、絶望感に苦しむ彼の感情に襲われた私が泣いて暮らす日々が来るなんて、その時は夢にも思わずにいたのでした。

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