『ベトナム南部 思い出 紀行』
【KindleUnilmited】なら0円で読める!
『ベトナム南部思い出紀行シーズン1』
『ベトナム南部思い出紀行シーズン2』
これはベトナム旅行では行けない所もにも1ヶ月間赴き〈自分が現地で感じたことを記録しただけの〉書籍である!
〜はじめに〜
『忘れたくないから』
何故、これを書こうと思ったのはまず何より
忘れたくないからです。何を忘れたくないのか?
普通の旅行とは違う旅なのだから忘れるはずがないと思いますし、海外は2度目で初めてではないのですが大切な人とその大切な人々とその時の感情をパッケージしたい!のと…
もう一つ、ベトナムで約1ヶ月滞在し、共に生活して日本では味わえない体験としても
日々、日本で生活している中で忘れそうな感情が
ベトナムでは感じられたからです。それを忘れたくないとの個人的な思いで書籍に綴ることにしました。
ぶっちゃけ!きっと多分、恐らく絶対
ベトナム旅行の参考にはならないでしょう。笑
そんなの知ってるよ!もしくは、間違ってる等々あると思います。ここで書いている事は個人の体験と感じた事ですので悪しからず!
そんな知らない奴の思い出話しを
「へぇ〜そんなだ!」って感じで読んでくれている、あなたが楽しんでくれたのなら
僕からの『ギフト』はそれで完成であり
何よりそのあなたの『感じた事』が僕にとって『ギフト』です。
〜追記〜
観にくい動画ばかり録画して編集しYouTubeにてUP予定!(今のところ発表の見込みなし!)
2023/1.6 Lo-fi Yellow Funk ヤナギサワ
①『出発時の思い出とキャリーケース壊してごめんね…』
〜荷物の量VS日本からのお土産VS…?〜
ベトナムへの出発は12月21日、親戚からお願いされた日本でしか売っていない物やお土産のお菓子の数々…
何を隠そう僕は去年の11月18日にベトナム国籍の女性と日本で出会い、結婚。
妻の家系は兄弟はもちろん、ご両親の兄弟や親戚が覚えられないほど多い。また、今回はご両親と初顔合わせとあって、ご両親挨拶の為の武器!というわけではないが妻曰く、日本のお土産をたくさん持っていった方が良いとのことで持って行かないわけにはいかなかった。
そこで問題になるのは、飛行機荷物問題である。
僕はお金持ちでもないので、当然の如く格安一択で
手持ちの荷物で7キロ、オプションをつけて20キロと「余裕あるじゃん!」と舐めていたらケース本体と合わせてとの事…
親戚の方から頼まれた、保湿クリームやお菓子、薬類…何とか詰められたのは良いのだが、ベトナムで結婚写真を撮る事も計画していた為、妻の衣装、化粧類等々…荷物が多くなり、必然と削られるのは僕の荷物である。
妻『MIDIキーボード(スマホで使えるピアノ)持ってけないよ。』
僕『あーっ…そうなんだ!仕方ないね。お土産あるし。』
現在も作曲活動をしているのだが、結婚してからというもの仕事も変え中々、この年は創作活動に時間を割けずにおり
日々の追われる生活から1ヶ月ほど解放される
“時間も出来るし、海外で作曲作業のチャンス!”
という夢は出発前に崩れ去ったのだ。
妻『ベトナムは暑いよ!靴下そんなにいらないよね!』
僕『あーそうか!向こうはサンダルだよね!』
妻『あっ後、靴下も一束でいいよ』
僕『うんうん…』
僕のカバンから前日に見繕った厳選した荷物は
妻という『税関』により飛行機に乗る前に没収される事となった。
妻『あっごめん!この化粧水入らないから入れてもらっても良い?』
僕『…』
そんなやりとりが続き結果、
なんやかんやで僕のカバンの中は…
自分の荷物7割!妻の荷物3割5分!
結果的には7割も抑え試合は終了。結局、荷物は充分であったのだが、出発前に「そう、僕はミニマリストなのだ!」と心の中で言い聞かせて、次の日の札幌〜成田、ベトナムへの出発に備えるのであった。
〜成田到着早々、借りたケースぶっ壊す〜
12月から数週間前から北海道はすっかり根雪。溶ける気配もない少し早めの根雪。
前日に重量制限のあるため、調整に調整を重ねた荷物を引っ提げ、地元周辺の街から千歳空港でバスで千歳へ向かう。
向かう途中は期待に胸を膨らませてはいるが、ベトナムから帰る頃には北海道の2月。クッソ寒い真冬中の真冬の積雪の事、その帰る頃には“次の月の生活費どうしょう?”など余計な憂鬱さを頭と心の中でめぐらせながら、しばらく会えない街並みを眺めながら巡らせていた。
千歳に到着、前日にたくさんお土産を詰めたキャリーバックを“カタカタ”と唸らせながら、成田へ向かう飛行機の出発時間をしばらく拝めない、コンビニの唐揚げとそんなに上手くないコーヒーを飲みながら待つ。
遂に搭乗する。キャリーバックを引く…
「う〜んっ引きにくいっ」僕は更に強く引っ張る。
カタカタ唸る上手く回らないキャリーバックの小さなタイヤはそこで悲鳴をあげていた事を知らずに。
病気だろうと何だろうと大抵“副作用”は付きものである。何の因果か…唸りを上げていたタイヤよりも先にキャリーバックを引っ張る“取手”掴むところが先にこの長旅をリタイアしたのである。
12月21日夜。成田空港にてキャリーバックの取手終身。
僕「…まずい…!」
”マズいのは飯だけにして欲しいものである。”
と心の中で言ってみるものの、現実は変えられない。
何てったって、このキャリーバック《妻の友人から借りたキャリーバック》であるからだ!
その短い生涯(僕にとって)キャリーバック取手くんと格好よく空港を一緒に歩き回る幸せなひとときはここで終わりを迎えた。
その後、そのキャリーバックはベトナム、ホーチミンに着く頃にはタイヤもろくに回らなくなり、その一生を終えたのである。
その借りたキャリーバックは妻の友人によると「うんうん!捨てても良いよ!」との事。
さよなら。キャリーバック。
そして、ごめんね。キャリーバック。
君が辛い思いをして運んだお土産の数々は今後、ベトナムのご両親をはじめ、親戚、妻の友人を笑顔にしたよ。
その蒼色のたくましい姿を僕は忘れることはないだろう。ありがとうキャリーバック!
〜移動、移動、移動!〜
慌ただしく荷物を受け取り、成田へ着くとすぐ予約した成田空港の外側にあるビジネスホテルまでバスで10分。地元バス〜千歳〜降りる〜ホテルまで行く〜…高まる期待と疲労。
着いたのは21:30頃。
明日、ベトナムへの搭乗は8:30。
時間が合わず寝るだけのホテル。
チェックイン時に告げられたホテルの朝食。
朝食開始は6:30。間に合わない。
「○ッソ!間に合わない…」(何でもホテルの朝食は美味いと思ってる。)
何故なら、ベトナム行き(ホーチミン)に限らずだが、決まって早めにチェックインをなにせ搭乗できない事があるという。
初めて天井から出るシャワー(ノズルではない)を浴びる。「きょっちぇ〜!」(翻訳:とても気持ちよいです。)
千葉の10時頃テレビに映る、地元北海道TV番組「水曜どうでしょう?」に興奮。
千葉地元番組を観賞。「地元タレントさんはどこも顔の雰囲気は同じ何だなぁ〜」とよくわからない感想を呟きつつ
SNSで知り合った方と協力して制作した楽曲の歌をスマホのみで録音を済ます。(NO修正)
(言い忘れてましたが、音楽活動をしています。笑)※音声配信のSNS「stand.fm」で『Lo-fi Yellow Funk』名義でその歌声という羞恥を晒しております。
チェックイン前に北海道にはないコンビニ(と思う)「ミニストップ」のお弁当を買って部屋に着くのも束の間。
部屋には電子レンジは無く、どうやらホテルの一階にしかレンジがなく、7階からエレベーターピストン。ようやく夜ご飯にあり着く。
ミニストップにありがとう…就寝…。
結局千葉の空気を味わうことなくミニストップの味という思い出のみを残し日本を旅立つのであった。
そして、これが最後の温かいシャワーを浴びれる日だった事は当時の僕は知る由もなかった。
〜“お尻がちぎれそうな”6時間半フライト!いざ、ベトナムへ〜
ベトナムの格安航空を使い、成田から飛行機で6時間(実際乗ったら6時間30分ぐらい)妻の親戚の方が気を利かせてくれて飛行機搭乗時にお昼ご飯をオプションでつけてくれた。
初の本番でのベトナム料理に心を躍らせたものの、いざ機内食を開けてみるとベトナムの食材を使った美味しそうな雰囲気をだしていた“タイ料理”であった。
僕のブクブクと膨らむベトナムへの想いを絶妙に逆撫でするような出来事に「焦らすねぇ〜」と日本人がほぼいないホーチミン行きへの飛行機でつぶやく。
格安航空ということもあり、席は狭く与えられた席も窓側と長時間フライトでトイレに関しては少々難があったが水をがぶ飲みしなければ大丈夫!
電子書籍もダウンロードしたし、音楽もダウンロードしてきた!有意義な飛行機旅になる予定だったのだが、そうそう、時間も経たないうちにお尻あたりにある違和感に気づいた。
長時間、飛行機、エコノミー…群とかではなく
そう、シンプルに《尻が痛てぇのである!》
良く「尻が割れちゃう!」などと車の長時間運転で冗談を話していた事を思い出したが、自分の運転歴では車の長時間は可愛いものだったのだ。
そんな痛みとの誰も知られず孤独な戦いが続く最中、そこに追い打ちをかけるのは着陸前の旋回しながら下にさがる際のあの
“落ちていく感じ”が小一時間ほど尻に追い打ちをかける。
これまでやってきた仕事…〈傾斜のある墓園での草刈り〉〈外交工事での経験〉〈スーパーでの長時間の立ち仕事〉…など、すべの仕事経験で培った足腰の筋肉たちに呼びかけ「オラに力を!」とまで思わなかったが、ある種のそれに近い何か
とある漫画のように本気で心で念じてしまったのは初体験だった。
この尻の痛みと飛行機での旋回攻撃を乗り越えた先にベトナムという自分にとってはまだ見ぬ素晴らしい世界が待っていると言い聞かせているうちに飛行機は無事到着。
長時間のフライトに耐えいざベトナムへ。
②『たまんねぇ〜ホーチミンとカオス感とニオイ』
《日本は「おもてなしの」国?》
『いや、違う!それはベトナムだ!』
この書籍で1番言いたい事、個人的に感じた事を書こうと思う。
いつだったか、日本で何十年ぶりにオリンピックが開催されるとの事で日本中が大盛り上がりしまくった、そんな時期が昔あった。
そこで流行語になったのは「おもてなし」という言葉。
この時使われた「おもてなし」は“何をもって”おもてなしと判断するかは僕はわからないが、僕が思うに“心のこもった”というのは間違いと思っている。
文字にすると《心を込めて接する。心遣い。》とでも言うのだろうか。
そして、何が言いたいかと言うと残念ながら“本当の意味で日本は「おもてなし」の国”というのは、何かが足りないとベトナムの人々と交流を交わす中で感じたことだったし、僕自身痛感した。
別に日本の方々のおもてなしが心が必ずしも、その心がこもっていない訳ではないのはもちろんだ。
では、“その足りないもの”とは何なのか?
ここからは個人的に感じたことを率直に話し、変な表現になるのは申し訳ないのだが、ここで語らせてほしい。
やっぱり現地のベトナムの人々との交流で感じる
【感情の全て(良いも悪いも)】、それを【伝えるまっすぐな素直さ】、何より【相手を気を使わせないとする心遣い】は日本で34年間暮らしてきた僕にとって、(2023年制作時)そういった僕の感じる本当の意味でのおもてなしは現在の日本では中々出会うことは少ないと感じたのは偶然ではないと思う理由は少なからずある。
今回のベトナムで確信したのはもちろん、その前に日本で妻の友人とあったり、技能実習生仲間の方々と食事などでの交流でも強烈に痛感したからだ。
僕は名も知らない言葉も通じないにも関わらず、感情が良くも悪くも真っ直ぐに伝わっていく感じ、心を広げ“生のまま魂に伝わる”あの感覚は本当に独特なものであった。
これは僕の主観なので聞き流して欲しいのだが
日本の方と話す時はどこか、捻じ曲がったといったら語弊があるが、相手からきたその感情が“何かに”絡まりながら伝わってくる感じは、正直ストレスになってしまう事がある。
もちろん、伝える側の自分も然りである。
人間には目に見えない居場所というものが必要であると僕は思っている。
仕事場での居場所、学校での居場所、家庭の居場所…様々あるが、居場所と言っても人の中にである。
その人=居場所は気遣い、思い遣りの心の中である。これは綺麗事を言ったのではない。恥ずかしいがかなり本気!
考えてみても、職場で周りの人から相手にもされず、“居場所がない”と感じるだろう。
その中で自分に優しく接してくれる人が1人でも居てくれるだけで、逃げ出したくなるような職場で、心の拠り所、居場所ができると思う。
思い遣り=思いを遣る、その人たちの心の器の広さをベトナムの方々と接せる中で今回、感じたことそれ自体が『ギフト』であり、今回お伝えしたいそれが、僕の思う“おもてなし”なのである。
どれほど物をあげたか、これをやればこうなるなどの方法論でも、戦略でもない。
そんな誠実なおもてなしが出来る、粋な人間になりたいと心から思う。
上手く説明できていないかもしれない。
出会う人全てが“おもてなしのできる人ではない”のはもちろんなのだが。
僕にとって第二の故郷はベトナムになった理由もそこにあり、それは妻の生まれ育った故郷という理由だけではない。
名も知らない、ベトナム語もろくに話せないこんな僕を優しく受け入れて、気遣い、僕の悪いところ全て受け入れて伝えてくれるそんな方々が
遠く離れたベトナムという国にいる。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、そういった気持ちが世界平和への第一歩であると僕は思う。
返しきれない宝物をたくさん頂きました。
ん…なんか終わりっぽい感じで締めてますが、またまだしょうもない僕の旅行記は続きます!笑
〜ベトナムの看板に感動!『色使いとカオス』と『良い加減』〜
空港を出るや否やたくさんの他国から帰る家族や友人のお出迎えの人だかり。
まるでスーパースターにもなった気分で空港を出ると、何より嬉しかったのはホーチミン空港を出て妻の親戚のお出迎え。
妻の親戚と会える喜びは4年間会えなかった思いでいっぱいに溢れて微笑ましい瞬間。
ベトナムは暑いと聞いて警戒していたのだが、摂取30度前後と聞いていた割に、当日は空気はカラッとしていて意外に涼しかった。
僕が驚いたのは何よりホーチミンの街に所狭しと立ち並ぶお店の看板に目を奪われた。
日本には無い、独特の色づい。見たことのない国の雰囲気、空気、匂いに興奮。
赤、黄色が多く、次に緑、青と、とにかく派手に目立つような色使い、飛び交う異国の言語に突然鼻をつく生臭さと日本では見れない、人々が交わり合いながら蠢く様な交通状況を観て更に興奮!
大昔に〈中国〉の支配下、その後も(〈日本〉の支配下の時もあった)〈フランス〉の支配下でもあったためか、言語もローマ字の影響しており、建物の装飾も【フランス風の建物に中国風の装飾】と影響が色濃い。(詳しくは知らんけど)
ここは社会主義国なのかと思うくらい、行き交う人々が自由気ままに働き過ごしている様に見えた。その日暮らしの方々もいると聞いたが妙に明るく生命力溢れる雰囲気と活気がたまらなく心地よかった。
仕事しているはずなのに寝ている人、反対車線をする人、上半身裸でバイク行き交う街並みをただ見ているオッサン…あげればキリがないが
その時に感じたのがここの人々は『いい加減』ではなくて、『良い加減』に生きていたという事だ。
これだけではないが、現代の日本で“失っている何か”がベトナムにはある様に感じた。
そんな見渡す景色が歪でありながら交わる“カオス”な雰囲気は僕にとってえぐられる様な斬新さを覚えながら、どこか心地よく懐かしい様な不思議な感覚を覚えた。
〜現地でバッサリ!叔母さん行きつけ
?の『美容室へ』〜
僕がまず現地でやりたかった事、日本以外の所で散髪をする。なんてたってこの日のために髪の毛を切りたい気持ちを抑え伸ばしに伸ばし、ほっときまくったのだ。
現地ではカットのみで日本円で200円!日本では最低でも1100円!これを期にベトナムの床屋さんを切らないわけにはいかないのである。
今、僕は2023年時点で34歳であるが、二十歳過ぎから白髪がかなり多い。日本で染めればもっとお金は空高く飛んでいく。
でも、ご心配なく!ベトナムでは染めるは少し高いが日本円で1500円だ。
つまり、合計1700円!ちょっとした床屋さんでもこの値段では染めてはもらえないだろう。
奥さんの育ての親のお母さん行きつけかどうかはわからないが、一緒に行って駆けつけた。
外観は普通で、ただ違うのは日本の様に細かく掃除をしていないのか、忙しいのか?そこらへんに散髪した髪の毛が散乱していた。
早くも日本との違いに驚きと興奮を隠せないまま
その美容師の男性に僕の伸ばしに伸ばした髪の毛を託す。出来上がりを見るとかなりというか、めちゃくちゃ良い!
その美容師のとても柔らかく、ほんのり乙女チックな声で…
美容師
「そうだねぇ〜こうやってぇ〜横に分けてセットすると良いよぉ〜」(僕の脳内変換ではこんな喋り方に聞こえた)
実は僕は10年以上、自分で髪を散髪していたのでこんな的確な髪型へのアドバイスなど受けた事がなかったので、新しい自分の発見にこれだけでも来てよかったと心から思えた。
(10年以上自分で散髪してた話は機会があれば!笑)
そして、その後も髪を染めてもらい、染めた髪を冷たくも熱くもない水で洗い流されヒャッと感じつつ、スッキリとして終了。
…よくよく考えたらこの記事〈ただ散髪してきたよっ!〉ていう個人的な報告になってしまいましいました。なんか、ごめんなさい。
良ければ、懲りずに読んでね。
〜トイレ事情とシャワーの思い出①『先客のG』〜
環境良し、食事良し、風土良し、などなど僕にとってベトナムの雰囲気はぴったりだと叫びたいほど大袈裟に表現したいのだが
やっぱり慣れなかったわけではないが、最初に来て“やりにくかった”のは【トイレ】である。
日本でも洋式よりも和式が使いにくい等々あるがそんなレベルのお話しではない。
基本どこでもお家は水性トイレはある。(全部ではない)大事なのは〈ウォッシュレットがあるか、ないか?問題〉である。
まずウォッシュレットが付いていても中々、その仕様に慣れない。何故か?
またこれも“日本のウォッシュレット”と考えて欲しくない。トイレに座り右か左の壁にトイレットペーパーがあり、その横にいわゆるウォッシュレットがついているのだ。(東南アジアでよくある)
日本の世界最高レベルのウォッシュレットを使い続けた日本人“トイレ温室育ち”の僕にとっては、それが中々、大変なウォッシュレットタイムだであった。
使い方として基本的に股の前から局部に狙いを定める。そして、そのウォッシュレットのレバーを引く。この時注意して欲しいのはレバーを引きすぎない事!
痛い程の水圧ではないが、日本の物とは違い〈シャワータイプ〉なので強すぎると水が当たっている場所から飛び散ってしまう。
もし、それが“大きい方”で
その大きい物が柔らかかった場合…
ご想像にお任せする。
それはさておき、夜にトイレに行きたくなるとベトナムでは少し勇気がいる。
止めてもらった妻の親戚宅は壁に風通しを良くするため、大きな隙間があるのだがガラスの様な塞ぐ物は無く筒抜けになっているので、夜、トイレの電気をつけ中に入ると、何か黒く蠢く先客たちと遭遇する事になる。
北海道生まれの僕には馴染みが無いが、そう、お察しの通りいわゆる『G』である。
G.O.K.I.B.U.R.I…
ほぼ見たことのない僕はGたちは“足が速い”と聞いていたのだが、思ったより早くはなく便座周辺に“たむろ”している奴らはこちらに気づいていても「おっ失礼!」程度の雰囲気で横にどけてくれたのだが
ごめんなさい。僕のお尻周辺から背中にかけ“感じたことのないゾクゾクした感覚”が駆け巡った。
僕は何事もなかったように、開けた扉をそっと閉める。
先客たちのお出迎えは旅が終わる頃まで続くのだった。帰国して思い返してこの文章を綴っているが今思えば、そんなトイレ事情も『夜の先客Gたち』も懐かしい程に思えて、胸がキュンとなっている。何故か切ない。まるで帰れない故郷を思うような気持ちのように。
〜『ホーチミンの市場』を歩いて〜
ホーチミンと言っても“何区”と分かれていてかなり広い僕の過ごした場所はどこかと聞かれると正直わからない。笑
中心街からgrabで2、30分〜の町だったはず
ちなみにgrabとは日本では馴染みがないが、タクシーやバイクを呼べるアプリで僕の過ごしたホーチミンは市場でお店がひしめいていている町なのでかなり重宝した。
その僕の過ごした妻の親戚のお宅は自宅件お店しかも、激狭の物件である。
窓はなく折り畳み式の檻のような扉だったので
蚊はもちろんGことゴキブリ、ヤモリ(2種類ほど)と一緒に過ごすこととなる。
目の前が魚や肉隣はドリンクのみを取り扱っている店(店ぽくない雰囲気、良くベトナムコーヒーを飲んだ)生きたまま売られる鶏の声と活気ある声、
嗅いだことのない生臭いにおいと現地の料理の香り、拍子抜けな音痴でも楽しく歌う人たちの歌声、
どこから来たか分からない野良犬…そんな騒がしさは朝4時過ぎにはこの市場を彩る。
そんなゾクゾクする様な所で生活できると興奮して過ごしていたことを思い出す。(また逆ホームシック発動中…)
それはいいとして、野菜や果物類のお店を突っ切ると表通りにスムージーのお店のマンゴースムージーはバカ美味いと語彙力のかけらもないコメントをするしかない程、本当に美味しかった。
その表通りを歩くと更にお店とバイクと自分の我が道を行く通行者がひしめく。
そこで暑いベトナムでは必須?の「サンダル」を購入。
来てそうそう現地で散髪し、サンダルを買おうものなら僕は“ベトナム人”に近づけたと海外生活を夢見ていた僕はニヤニヤが止まらなかった。
さらには短パンである。短パンは盗難防止のチャック付き、そして、半袖を着た瞬間
現地に着き3日4日…僕の前世はここベトナムだったのではないか?とちょっとスピリチュアルな感覚、スピった状態になり
その頃にはすっかりベトナム人になったつもりらしく、ベトナム語もろくに話せないくせに日本人という意識と生まれ育った故郷はどこか遠くの様な感覚になっていた。
よく海外で暮らすと日本食が恋しくなるとよく聞いていたが、1ミリ1コンマも感じなかった自分に後から気づき自分で驚いてしまった。
しつこい様だが本当に自分にベトナムの風土があっていたらしい。
とにかく、ここの景色を文章で伝えようと思った僕がバカであるのは承知である。しかし、これは電子書籍である。編集も可能だ。ここからは少しは出来る限り写真を貼りたいと思う。(書くのがまだ疲れた訳ではないよ…)
少しでも雰囲気を感じてくれると嬉しいです。
ホーチミンの街並みプチ写真集
〜ホーチミンの『街を外れた市場』と『観光では行けない卸売り市場』〜
ベトナムでは日本のようにいわゆる“正社員”が多数派ではなく、自営業の方々がほとんどを占めているらしい。
それだけ自営業が当たり前のベトナムでは当然の如く、卸売り市場もある。
僕の妻の親戚はホーチミンの中心部から離れた所の地区であり、親戚も当然、自営業で婦人向けの服を経営していた。
僕の家族へのお土産としてアオザイをプレゼントしようと市場へタクシーで向かう。
歩いてみると普通の市場とは違いやはり業務用で1つや2つの個別の販売ではなくまとめていくらという具合で、話によると一般の人は来ないのだそうだ。
その市場ないでは、まとめて仕入れをされたガムテープぐるぐるに巻かれたダンボール箱を何個も後ろに乗せて走るバイクや市場の近くなのか、屈強な男性が箱を持ち駆け回っていたのだが
その配達の男性がわざわざ激瀬の市場の通りを歩き、他の人に当たりキレられたのにも関わらず、当てた配達の男性の方が何故か逆ギレをしていたのも印象的だった。
卸売はそれとして、何よりもその卸売り市場の中でも飲食店が立ち並んでおり市場の中心に大きな屋根の下で現地ならではのベトナム料理屋がたくさん営んでいた。
そこで初めて飲んだ「サトウキビジュース」薄い緑色をした液体なのだが、まるで竹藪にしか見えないサトウキビを専用の機械でサトウキビを潰し
搾り取る。
そして、早速飲む!うん…バカ美味い!(基本これしか言えない)
でもちょっと待って欲しい。
あなたの考える観光地用のちょっと小洒落た健康にも美容にも良さそう的なジュースとは違う。
現地ならではの独自な風味と飲んだあと何かはわからないがザラザラしたような感覚が口の中で踊り出す。
なんだかんだいいつつ味は本当に最高!
火傷するような日差しの中で生温いサトウキビジュースは僕にとって良く言う“砂漠のオアシス”だった。
いざ観光地のホーチミンを抜けると、そこは現地に住む方々の生活の場になっていて、これもまたなんとも言えない生々しい“活気”に満ちていた。
僕はそんな生命力に道だ雰囲気が本当にたまらなくて。最初に観光地に行かなくて良かったと後になって思っている。
卸売り場周辺もそうだが、山積みになっているゴミや散乱しているゴミもあれば、
何故か上半身裸のオッサンが居眠りをしていて営業しているのか、いないのか分からない出店。
ぐるっグルに巻きついた使えているのか分からない電線の数々。
それを覆い被さる様に貼ってある謎のステッカーたち。
そして、何よりそんなことさえ気にならない、
ド派手も良いところな原色ギラッギラの看板の数々。逆にオシャレな地味な色使いよ方が目立つ程だった。
バイクが道路を逆走するのは当たり前だったりして、歩道にさえ平気で上がって走る人がいたりする。(ホーチミンは観光地以外ほとんど歩道自体ないことが多い)
現地にいる方、もしくは出身の方は“こいつは何を言っているんだ”“何もわかっていない”等々
そう思う方もいるかも知れないし、妻からも楽しい思い出だけあったから…等々言われたのだが
繰り返し言わせてもらうが、僕は楽しかっただけでこの気持ちになったわけではない。
僕の住む周りの日本では感じれなかった、現地の方の(妻もそうだが)〈感情がストレートに入ってくる〉【言葉にするには難しいあの感覚】
まるで純真混じり気無しの綺麗な軟水を飲み込むかの様に伝わる感覚。人と繋がりたいという感覚等々…それがストレートに伝わるのが本当に心地よかったのだ。
それは良い感情、悪い感情含めての話だ。
あっサトウキビの話しはどこへやら…。
〜ホーチミンからドンナイへ向かう!『ドンナイ行きバスの思い出』〜
ホーチミンからバスで約1時間。
ベトナムのイメージではおおらかな人達の様に
バスもおおらかな時間帯に来るのはある程度予想はできた。
時間表示などがない為、バスがいつ来るかわからない。「いつ来るの?」と妻に聞くと「多分30分おき?」と妻。
確かにそのくらいには来るが、乗りたい人が各町で手を挙げて〈私、乗ります!〉アピールをするもしくは、バスの乗務員から気づいてもらい
「お前ら乗るか?」的な感じで手招きされお互い同意なら、その行き先に乗る。そんな感じ。
日本の沖縄も手を挙げて乗るというのは聞いたことがある。でも今回は似てるね〜、似てないね〜の話をではないし、到着時間など時間におおらかと言うか、ルーズ的なことよりも
乗った時の話し、つまりバスへの搭乗時の方がどっちかというと、ちょっと話したい。
でもわざわざ書くほどでもないけど…
話したい!
搭乗員と運転手のツーマンが主流なのだが
乗る時、又は座る所まで行く時に何故かよくわかないのだが
なんか、めちゃくちゃ急かしてくる。
いやっそんなに急かす?ってくらい急かされます。ベトナムのバス。
言葉は悪いが来る時間もわからない
あんなに遅れたり、その逆でめちゃくちゃ早くついたり…(ダラットでは朝着く予定が真夜中についたこともあったなぁ)
あとね、運転が荒くてフラフラしながら座る所までヨタヨタ歩いていると「おい!危ないから早く座れ!」と言ってくる。
危ないのはわかるけどね〜
乗ってくる人はお年寄りが多い感じ!
バイクが運転できないからかな?
ちなみにお年寄りが運転できないというのは、ベトナムではバイクやバス、車はほぼ停まることをしない為、重宝されると推測…
クラクションもそんな連続で鳴らせる事ある?
と思う程の連射で鳴らすし、急ブレーキもバンバンくり出してくる。
んで、ようやくドンナイ行きのバスの話になるのだが…
この初めて地元のお兄さんのバイクで乗ってバス停へ行き、ドンナイ行きのバスへ乗り込んだ時の僕たちは一番後ろの席へ座った。
ベトナムではバスは人だけではなく荷物だけバスに預けて、経由する場所に届けてもらえる郵便局よりもサービスがあるのだが
その隣に居た歯のないおばちゃんは、バスの椅子に座っていたのか、はたまた、荷物と一緒に座っているのかわからない雰囲気で座るおばちゃん。
いや〜ベトナムのバスは荒いな〜なんて呑気に余裕をこいていたその時、突然バスはまさかの急ブレーキ!
僕の乗っていた席の椅子が元々取れていたのか
椅子と一緒におもちゃの“黒髭危機一髪”の様にダイブ!
僕は窓側だった為、とっさに妻の安否の確認一瞬右側を向い時、隣のおばちゃんも綺麗にダイブ。
一緒に積んでいた荷物の上に、まるでマット運動の様なポーズでおばあちゃん着陸!
そして、おばあちゃんはこっちを振り向き
混じり気のない優しい微笑みを僕たちにおばあちゃんは微笑み返してくれた。
その歯もない笑顔を今でも忘れられない。
そんなわけで、無事ドンナイへ…
③『胃を引き爆発するほど美味しい』ベトナムご飯攻め!
〜『命を食ってる感覚』 “お肉の新鮮さ”をみくびるな!〜
特に食事にそこまで期待してたわけではない。
というのも、僕は胃腸が少々弱いからだ。
どうせすぐ僕はお腹を壊すのがオチだと思っていた。
僕は今まで食事をしていて「美味しいな」と思ったり感じたりすることはある。
だが、正直なところ高い料理だろうが、美味いと言われる料理は僕にとってはもっとも興味のない一つであったし、普段の食事も「〜が食べたい」とほとんど思ったことはなかった。
正直な話し「日本の米」のどこに旨みがあるかも分からないほどだ。(その話しは後ほど…)
だが日々、妻の作るベトナム料理は僕の今までの“食”という人間には欠かせない行為の一つを
“変えた”…いや、違う。ちょっと待って!
…うん!よし!(しっくりくる言葉みつけた!)
『革命』を起こし、〈食べる〉という人間の本能的な欲求を見事に蘇生させてくれた“ベトナムの味”だった。という今回のテーマを語る時には欠かせない前置きだ。(早く本編いけ!)
すんげー申し訳ないのだが、あなたもベトナムのイメージといえば日本に比べ清潔さは欠けると想像するだろう。
少なくとも僕は想像しちゃってました。笑
と、まぁ本当にマジで日本と比べて清潔さは本当の本当に欠ける。
だが、そんなことはどうでもいいことなのだ。
でも、清潔とか清潔であるとかどうでも良くなるほど、現地で食べるベトナム料理の『味』はもちろんバカ美味いしか言えないほど良かった。
でも、僕の言いたいことはそんな“表面的な”話ではない。
申し訳ないが、わかりづらい事をこれから書く。
【食】において『味』というのは表向きの姿?だ。(ついて来れる人!こっちきて!)
なぜ、こんな事を話しているのかと言うと僕は今まで日本で食べてきた食事は言わば、全て“表向きの姿”しか知らなかったと現地のベトナム料理を食し痛感した事だ。
それは日本食やお店、何より母の味を否定している訳ではないし、日本の農家を否定もしていない。ただ感じた事を言わせて頂くなら
日本のスーパーなどで売られている生鮮系の全ての美味しく改良された“食材”は天然の美味しさにはやはり勝てないと感じた。
“天然は天才をも凌駕する。”ではないが
食事で『食べるという体験」においては
どんなに美味しく改良された野菜やお肉であろうと、やはり天然の素材には何一つ勝てない。
僕はそう強く感じたし確信した。
なぜなら、今で食にほとんど興味がなく生きるためのだけに食べてきた人生を送っていたこんな半分妖怪みたいなウジ虫野郎が、『食べるって幸せ』と感じられる自分になれた事。
「〜食べよう!」この言葉に嬉しさを感じられる自分になれた事。
そして、食べれる感謝それが脳みそでもない、心でもない、魂の奥底から湧き立つ感覚を得られた事。何よりもそれが全てだ。
例えば、鶏肉一つにしても歴然と違いをだと
初めて現地の鶏肉を食べた時、一瞬だが「あれ、硬いのかな?」と思ったが勘違いだった。
そのまま、その鶏肉に自分の歯を噛み埋め続けると
その“硬さ”と勘違いした歯応えは新鮮さゆえの“弾力”だったことに気づく。
その新鮮な鶏肉の弾力さは、さっきまで生きていた証だと訴えかけるようだった。
そして、肉を噛み続けるとブリブリした食感はこれは足の筋肉だったんだなと目が覚めるほど、生きていないはずのその鶏肉から“生”を感じるのだ。
そう、生命の形を口の中で感じ、噛み続けることで、日本では感じたことのない“旨み”が広がってきた。
そこで、これが『美味しい』というものなのか!
とハンマーでぶん殴られた衝撃が身体中を駆け巡った。それはどんな味付けがいいとか、そんな細かいことはどうでもいいことなのだ。
まさしく、命を食ってる。これが命を頂くことなんだ。と感銘を受け日本語の『いただきます』ってこう言うことなんだ!と体感することができた。
人生においてどれだけ、“本物を間近で触れられるか?”普通に生きていたら中々出会えない事だろう。それは人と人でも音楽でも何でも全て同じことだと言える。
そして、この“食”という事に関しても全く同じことが言えるだろう。
いつか人は形をなくし、死んでしまう。
この一つ一つ忘れられない魂で感じた体験を生きている間にどれだけ得られるだろうか?
そう思うと生きている今が嬉しくてしょうがないと思うし、実際ベトナムに滞在した間魂から湧き立つ感覚があったのは間違いなかった。
さっきまで生きていた鶏の命を今日も頂いて、ろくでもない、世知辛い世の中を僕は今日も足掻いて生きる事ができている。
④『ドンナイ編』
カッコ良く『ドンナイ編』と謳っているが8割型メシの話です。笑
グルメ雑誌には多分、恐らく、きっと…取り扱わないであろう料理もあるはずなので、流し見必須の素人食べ録!もの好きな方はどうぞ!
〜ドンナイで悟る「俺、ベトナムのお米好きだっだわ」〜
人間は性分を変えられない、変わらないと誰が言い出したのだろう?
世間でいう「あの人は変わってしまった。」と小説でも映画でも現実でも、一度は聞いたことのあるフレーズだと思う。
これは、個人的な意見だが
“人が変わってしまった。”というのは違うと思っている。
変わってしまう=退化ではないだろうか?
こんなカッコつけたような事を言いつつこれからお話する事は
一人のお米嫌いの屈折した人間がベトナムに赴きお米に新たな価値と喜びを見出し覚醒した、なんて事ないただの体験文である。
話を日本の時に戻すと僕は「食べる」という行為が苦手であった。ベトナム料理の味を知ってしまった僕とって今思えば日本食に限った話なのかもしれない。
特に何が苦手かと言われれば、「ご飯」つまり白飯である。更に言うと“お肉”との組み合わせが僕の舌を長年にわたり戸惑わせたのだ。
その他にも色々あるが割愛させて頂き
そんなわけで、どういうわけか食べるという行為に難がある僕なのだが
やはりそこはベトナム!ガッチリと固定された味のプログラミングされてしまった僕の舌に革命を起こすのには時間は掛からなかった。
【ファーストインパクト】は妻の料理だった。日本で出会い結婚して日本で暮らしているのだが、味付けはベトナム専門店で購入すれば手に入るが、妻が作ってくれる料理の食材はもちろん日本産がほとんど。
日本食でどの様に“口中調味”をすれば良いか戸惑う僕を導いてくれたのは妻の料理であった。
ここでかなり“肉と白飯”の距離が僕の舌の上で縮むとは思っても見なかったが、妻から一言。
「現地に行けばとても美味しいよ!」
日本で生まれ、日本の味や食材を食べ続けて育った僕にとっては“日本の感覚の範囲内で”「あんな感じかな〜こんな感じだろう」くらいにしか思わなかった。
そして、ベトナムに行ける事になり…
ここで起きた舌の【セカンドインパクト】がとてつもない衝撃であった。前に書いたかどうか忘れたがとにかく感銘を受けた。
それは妻の料理がよくないという話では無い!ここで妻の言葉の意味が理解できたのだ。
米の話に戻すと現地のお米が特別な訳ではなかった。日本では“ボソボソ”の一言で語られるだろう。
良く“メインディッシュ”と言われるが、これは個人的な感想だが、日本のお米は目立ちすぎであると感じている。主食であってメインではない。
ふっくら…甘味が…等々
僕にとってはちょっと日本の米は
舌という表舞台に顔を突っ込み過ぎだも感じている。(お米を作っている方、関わっている方には申し訳ないが)
ベトナムのお米はどうだろうか。
食材の新鮮さや味など、その料理をメインディッシュを引き立てるような役割をいつも僕の舌の上で繰り広げてくれる活躍ぶり。
その“ボソボソ”という日本人は言うかもしれなけど、いわゆるその“弱点”が強みになっているのだ。
そこで、僕は気づいた。
僕は食べることが不得意、苦手ではない。
僕もご飯を食べて良いのだ!白飯と友達になれる!仲良くできるのだと!
現地での料理に触れた事で僕の舌はすっかり
“お肉を旨く転がす”かの如く今日も妻の料理を美味しくいただける様になっていた。俺、お米好きだったわ。
〜ドンナイで『食べた録』〜
〈金柑ティーではなくシークワーサーティー〉
食べた録と言いながら初っ端に飲み物で失礼!
でも、常夏のベトナムでは水分補給は必須である。
タイトルには金柑ティー、Twitterやインスタにも金柑ティーを美味い!バカ美味い!と連呼というのか、ずいぶんと投稿してしまったようだが、この写真のティーは「金柑」ではなく「シークワーサー」であった。
妻の実家の裏庭の様な所にも生えており、標高の高い場所で多少寒い事もあるが、比較的暖かい場所なので自然に生えている。
というか、タネを投げたら生えていたそうだ。羨ましい…
そんなわけで、日本円で約100円ちょいで飲める1リットルほど入ったバカ美味い「シークワーサーティー」ドンナイの近くの市場で飲めたのだが、住人によれば、ここが1番美味しいとのこと!
そこでそのお店をこの書籍でシェアしようと思ったのだが、僕は一度もそのお店に直接行った事はなく、いつも妻が買いに行っていた。
妻に聞いても「ドンナイの家の近くだよ!」としか言わず、結局分かりませんでした!笑
でも、ベトナムの市場では探せばあるらしいので観光地ではあるか不明だが気になる方は是非、宝探しと思ってホーチミン市街から離れた街を探索してみることをおすすめします!
味の感想も無く(バカ美味いしか言ってない)無理やり終わらせましたが「シークワーサーティー」を飲みに行くだけの価値はある!!
〜日本には無い果物の洗礼〜
〈ジャックフルーツに奪われて〉
「んっ…なんか臭いっ…でも、美味しっ!」そんなイメージだった日本で売られている冷凍のジャックフルーツの香り。
「それはそうだよね!ドリアンの仲間だしっ!」なんていう日本での一方的な固定概念。
そんなガッチガチな鋼の固定概念を跡形も微塵もなく破壊してくれちゃったのが…
そう…ベトナムである。
繰り返すが、日本ではそんな冷凍されたジャックフルーツを友人に食べさせた感想は決まって賛否両論どちらとも取れないリアクションばかりであり、ジャックフルーツくんには大変申し訳ないのだが、そんな扱いを受けているのが事実である。
現地ベトナムでは当然の如く、生でジャックフルーツを食べる事ができる。ここで説明といきたいが…こんなに文字を書いておいて、恐縮だが
“味の説明をするより、味を体験してくれた方が早い!”というのが結論であり、「じゃ、なんで書くんだよ!」「この文字を読んだ私達の時間返してよ!」とお叱りのお言葉をもらうかもしれない。
ごめんなさい!これは個人的なエッセイで、且つ僕のその時の感情を文字にしたいので
散々迷った挙句、文字にしちゃいました。
あっ!というか!これから文字にします。
現地では半分から4分の1くらいの大きさで切られていることが多い印象で、切られたジャックフルーツくんから黄色い実をちぎり取った瞬間、ふわっとジャックフルーツくんの甘美で妖艶な香りが周りをシルクの様に優しく包んでくれた。
「んっおっ!」その瞬間、日本との香りの違いに僕は五感が研ぎ澄まされたような感覚になった。早い話が新鮮な香りに驚いたのである。
その香りに誘われまま、黄色く輝くジャックフルーツくんの実を頬張る。
触った感触の通り、硬すぎず、柔らかすぎずな歯応え。
そして、その味はさっきの香りの印象通り
どこまでも優しい味が口の中と体中をすり抜けていく。噛めば噛むほど味は甘みを増し、飲み込む頃にはジャックフルーツくんの旨みが
僕の舌を満たしてくれた。
早い話がバカ美味かったのである。
でも、そんな甘美で妖艶なジャックフルーツくんはここ日本では〈生では食べれない〉
加工しないと日本には生食は持ってはいけないのが残念だが
どうか日本の味もも良いけど、現地ベトナムで是非、体験してほしいと心から願う。
あー…また食べたくなったわ〜笑
〜〈ロンガン〉〜
※名称は「リュウガン」等あるそうですが、ここではロンガンと呼びます。最初の出会いは、ホーチミンについてお世話になった妻の親戚の方が用意してくれた果物の盛り合わせの中の一つだった。
「食べてみて!」(アンレイ!)(ベトナム語で)うん!どうやって食べるの?って感じだったのだが、食べ方を見せてくれる。
茶色い木の実様な感じなのだが、中から水々しい透明な実が出てきた。
ライチに似てるがちょっと違う。(俺を妻に似てるねと話すと怒られる)日本では到底味わえない味で“日本ではコレ”という例えが見つからない味だった。かじるとプリンプリンな実の中に、間違ってかじったら歯が砕けそうなくらい硬い種があり、種も食べれるそうなのだが、僕は食べていない。
けっこう美味しくてベトナム滞在中はよく食べていた。話は飛んで帰国後、逆ホームシックが冷めやらぬ頃に近くのとあるスーパーに妻と買い物へ。そのスーパーには多くはないが海外食品が取り扱っており、ベトナムの食品もも当然取り扱っているのだが冷凍食品売り場で“そいつと目が合った”そこにいたのは、ロンガンくんであった。
彼と目が合ったその瞬間僕の中で坂本龍一氏が作曲で映画『戦場のメリークリスマス』(1983)が流れる勢いで運命的な出逢いをしたのである。
僕は言葉に詰まりながら「おかえり…」なんて囁きながら手を胸の辺りで数回振りながら、嬉しいけど切ないみたいな面をしている…
実際にはそんなことはないのだが
日本で会えないかもという所からの衝撃的な出逢いをしたという意味でそんなイメージを妄想してしまった。
こんな地元で近くに少しでもベトナムを感じれたことが嬉しかったというお話し。
ちなみにやっぱり現地の方が臭みがなくめちゃくちゃバカ美味いので、マジでご賞味下さい!
〈心残りのドラゴンフルーツ〉
ドラゴンフルーツ…その言葉を聞くたび、胸が締め付けられるのだ。だって一度も食することなくベトナムを離れてしまったからだ。
ベトナムへ帰省前に妻とよく話していた。
マンゴーも美味しい、ジャックフルーツは絶対食べよう、そのほかにも食べたことない果物たくさんあるよ!…等々
そう、その中の果物とはドラゴンフルーツも然りである。あのリンゴには無い赤々とした奇抜な赤色と同時に混在する緑色に刺々しい葉っぱがついた奇抜な未知の果物。ドラゴンフルーツ。(僕にとって)
名前だけでも何かよくわからないけど
「むっちゃ格好いい気がするぅわぁ〜」
「どんな味で僕の舌を楽しまてくれるのぉ」
そんなことを思いながらベトナムベトナム向かう飛行機、空港からホーチミンの街へ向かう途中に見える市場や屋台の数々に目を奪われながら、思っていた果物への思いは膨らむばかり…
その中にドラゴンフルーツが未知の世界へ導いてくれるのかと、どれだけけ思いを馳せたことだろう。
しかし、「そんなにも、こんなにも思っていたクセに忘れていやがるぅ!めぇっ!」
そんな風に自分に対して僕は心の中でムチを打ち続けたのである。
先程のリュウガンやジャックフルーツくんも
スーパーに行けばベトナム産のドラゴンフルーツは売っている。
いやいや!そういうことじゃないんだよ!
現地のがいいの!って僕は思っている。
では、現地で見てないのかと言われれば
見ましたよ。ドラゴンフルーツ。
しかも、市場ではなくダラットへ向かうバスで。
日本の売られたいものより何倍もデカいし安い!噂によると味も全然違うとか違わないとか…
でも、ここでドラゴンフルーツを食べれなかった事は悲劇ではない。むしろそれで良かったのだ。
何故ならまたベトナムへ行く!いつでも行ける様な自分になる!と腹を決められたからだ。
全ての事には意味があるし、例え無かったとしても、“意味のある事に己からしていく”
心に残っているのは“後悔”ではなく
“決意”なのである。
※なんかいい感じにまとめたと思っていたが、ドラゴンフルーツの食べた録ではないですね!すんません!
〜初めて『犬』を食べる。そして、感じた事〜
あなたにとって犬はどんな存在でだろうか?
ペット?いやいや家族?そもそも興味ない?少なからずここ日本では
“食材として認識”はしていないと思う。(きっと、多分…)
子供の頃、テレビでどこだかわからないアジアの国では犬を食べるらしいと認識はしていたし、知っていた。
動画サイトでいわゆる“ゲテモノ”扱いで食べてリアクションするコンテンツとして“観る”という体験も今では容易であろう。
(モンド映画名作「世界残酷物語」(62年)では昔からネタになっていた。)
ここでは犬を食べる文化を善悪やゲテモノ扱いし面白おかしく書くつもりもない。ただ、その時に感じた事を率直に書くつもりだ。万が一、気分を害されたり反対意見などあるならば、それは致し方無いと受け止める次第である。
といいつつ堅苦しく書くつもりもないので「そうなだ」程度で読んでいただけると幸いである。
その時は突然来るもので妻から一言。
妻 「犬、食べる?」
俺 「犬…?あー!食べる!」
僕も何も考えず、何だかよくわからない反射力で答えてしまった。
妻 「じゃー買ってくるわ!」
妻は親戚の叔母さんに頼まれた夕ご飯のついでに買ってきてくれるらしい。
親戚の家には二匹のワンちゃんが叔母さんと暮らしている。
そのワンちゃんの事は別で書くことにするが、そのワンちゃんと待ちながら一緒に過ごす。
妻が帰宅し早速、その調理された犬の肉が袋というベールに包まれながらついに僕の目の前に現れた。
「はい〜どうぞ〜。」と、妻。
その見た目は丸ごと一匹ではないが、なかなかのボリュームでどこの部位かは不明だがこんがりと焼かれた肉の一部、おまけの?ソーセージ風に調理された犬の腸であった。
意外に良い香りで牛に近い感じに色味はやっぱり焼いた牛肉っぽい。
ソーセージに関しては見た目が不謹慎で本当に申し訳ないが“ウ●コ”にしか見えなかった。
みんなで食べるものだとてっきり思っていたが
僕だけのために買ってくれた様で妻は「私は食べたくない!」のだそう。独りで食べることに。
そして、一口。
見た目も牛肉っぽいのだが、味も牛に近い味はするが若干、獣臭がするかな?という感じで
味付けも良いし、魚の内蔵と調味料を合わせたソースを葉物とつけながら食べる。
うん。意外に美味しい。
僕が何か食べるたび近くに寄ってくる親戚の2匹のワンちゃんを横目に恐る恐る箸を進める。
ここからが問題であった。
味や見た目は全く問題ないし、僕自身も犬の肉を食べている認識はあるし理解していたつもりだ。
よく“身体は正直だ”と言うが僕自身美味しく頂いていたつもりだったのだが犬の肉を食べているうちに無意識に何故か吐き気を模様してしまうのだ。
何度も繰り返すが自分の意思で分かっていて肉を頂いた。そして、僕が感じたことは
一つ目は、育ってきた環境や文化の違いでどんなに頭で理解していても体はもちろん、その奥にある命、魂まで日本の食文化で育った感覚がここまで入り込んでいたんだということ。
二つ目はそれに総じてになるが、どんなに頭で理解し、解っていたとしても心、魂まで変えるのは本当の覚悟がいるということ。
最後、三つ目は上記にも書いたと思うが
命を頂くということ。日本では既に加工された肉が流通している中で、それが悪いわけではないがその命を頂く感覚が無い、もしくは薄いということ。
何だかふんわりしてしまったが、また改めて気づけば『note』というサイトに投稿しようと思う。
その食糧となる生き物、育てる人、加工する人、運ぶ人、売る人、調理する人…そういった様々な繋がりや本当の自分の事をこの一回の食事で体感したことに僕は改めて感謝をしたい。
月並みな事かもしれないがこんな感覚はベトナムに来て強烈に腹の底から感じれた事だったので書かせて頂いた。
やっぱり異文化に触れるのは本当に大好きだ。
また自分の知らない宝探し(気づき)をしたいと思っている。とても良い思い出であった。
〜親戚宅の『賢いワンちゃん』〜
人間と犬って似てくるんだなぁというお話しで
ある日、妻に聞いた話しである。
ベトナム戦争の時、ベトナムの兵は私服に化けて当時戦っていたアメリカ兵を騙して撃ち、罠を仕掛けて倒す等々
様々な戦略がネットでもどこでも知れる時代であるが、僕が妻から聞いたベトナム戦争時の戦略はこうだった。
戦場で地雷を仕掛ける戦略なのだが、ただ地雷を設置しても気づかれると思った当時のベトナム兵達。
そこで考えたのは、川の側でアメリカ兵が水を飲みに通るであろう道に罠を仕掛けるというものである。
だが、それだけではない。
その通り道(森の中)にベトナム兵がまさかの人糞!“ウ◯コ”を設置!その上に葉っぱや彼はなどをワザと置き
あたかも、“ここに地雷があるぞ”と思わせる。
そして、戦場を歩くアメリカ兵は気づく。
地雷かもと疑い、地雷を除去するためにその嘘の仕掛けに手を触れる。その瞬間、案の定お手ては“ウン◯”まみれ!
アメリカ兵 「うわぁーばっちぃ〜!」
と言った具合に、都合良く近くに川があるじゃありませんか!?
アメリカ兵 「よぉーし!これで僕のお手てもピッカピカだーい!」
手を洗おうと川の近くにかけるよるアメリカ兵。
その瞬間!“ドッカーン!” 爆発!
会心の一撃!!
つまり、◯ンコ爆弾は子供じみた嫌がらせではなく、実は川の側に設置した地雷まで誘き寄せる二重の罠でした!という嘘のようで本当のお話し。
聞いた瞬間、不謹慎極まりないが、ベトナムの人のその賢さに感動と人糞を選ぶセンスに心を奪われてしまった。
そんな訳で、ここから本編!(短い話し)
ドンナイの親戚の家で滞在していた時にいた白いのが1匹、黒いのが1匹の2匹の小型犬。
日本と同じように小型犬はよく吠えると思うが、ベトナムのワンちゃんの違うところといえば
“日本の犬より甘え上手”?なところというか
「おい!俺をかまってこい!ほら!」と言わんばかりに椅子に座るや否や飛びかかって舐め回してくる。可愛いが実に迷惑でもあった。
そんなある日、片方の白い1匹の足の様子がおかしい。怪我でもしたかな?足を引きづって歩いている。
滞在中も2匹は喧嘩し、時に一緒に遊びあっちこっち飛び回り、まぁ落ち着きがない。
怪我をしてもしょうがないなーという程の落ち着きの無さなので
いつも構うと面倒な事になるのだが、確認してみる。
妻に「この子の足が変だよ!』伝えると妻も確認してくれた。
そこで妻が気づくのだが、以前からこの白い子は
新しく来た慣れた人に対してこの“必殺の僕足が痛いの!可哀想でしょう?”を炸裂しまくるらしく
新しく出会った僕にその技を繰り出してくれていたらしい。まんまと引っかかり少しイラッとしつつ撫でてやりあとは終了。
しばらく、引きずって歩いていた白い子は、バレたかと言わんばかりに、つぶらな瞳でこっちを見つめる事を止め、元気に両足で走り去っていった。
先ほどの話しではないが、僕はそのワンちゃんの構ってほしいその一念と考え編み出した技に感動してしまった事は言うまでもないが
とにかく、ここに住んでいる人々や犬達までも目的を果たすために知恵を出す生命力と頭の賢さに驚くばかりであった。
⑤『ドンナイ〜バスで6時間!観光地ダラットへ』
〜6時間バスの予定が4時間で到着
ダラットの『バス旅』〜
※今までの文法に少し飽きたので今回だけ少し変えてみようと思う…
やぁ!みんな!旅してる?
ドンナイからダラットへ向かうバスでの楽しい思い出なんかを今回は話しちゃうよ!準備は良いかな?
ドンナイから約6時間程のところに観光地ダラットがあるんだ。(ベトナム中部に近いよ)
山並みにダラットはあるんだけど
ちなみに僕は全くその街の存在を知らず乗車約6時間と聞いて、山の奥にでもあるのかと思って心配になっちゃった!
ついにとんでもない(と言ったら失礼だけど)田舎に連れてかれるのではないかと心配していたけど、
着いてみると素敵な街並みだった事は後にわかったんだけどね!
その時は23時ごろから朝の6時頃に着く予定だったんけど
尻が割れるとしつこく話しちゃってしつこいけど
今回も日本の交通機関の整備とは比べてはいけないよ!ビックリするくらい体が痛くなるような硬い椅子でおもてなしさ!
だけど、心配は無用だよ!
救いなのは寝ながら座れるリクライニング状態のままの席で長旅も安心!しかも、映らないテレビ画面付き!それだけで、もうワクワクだよね!?
なんってたって、キンキンに冷えてやがる車内のクーラーと南国ベトナムとはいえ12月の山に近いダラットはホーチミンに比べて最高気温10度も低い気温で冷えた体を手厚くお出迎え!
おまけに夜の眠りを妨げる様なエッロエロなピンク色と青々とした怪しげな間接照明の光たちが車内での夜の寂しさを和らげてくれるんだ!
それだけじゃないよ!極め付けは、光さえほぼない夜道をまるで糸を縫うが如く突っ走り、お決まりの連続クラクションを真夜中に惜しげもなくおみまいされるんだ!
人が寝てようがお構いなしさ!
ねぇ!?楽しいでしょう!?
そんな環境で6時間僕は場所もわからない予定も奥さんから聞かされず、写真を撮るとしか聞いていないから、ちょっとしたミステリーツアー気分!
しかも、予定では朝日の昇るカフェでお茶の予定がバス運転手のおもてなしで予定より2時間早くダラットに着いちゃったんだ!しかも真夜中の4時!
人っこ一人いやしない!
予約したゲストハウスも開いちゃいないし、電話したらめちゃくちゃ機嫌悪そうで、もう大変さー!
そんな中、予約した10時まで時間潰し!
無理を言って家主にバイクを借り、夜のというか朝方のドライブをするこたができたんだ!家主に感謝だね!
そこで忘れちゃいけないのが防寒着!
さっきも話したけど12月朝方はベトナムと言えど寒さを舐めちゃいけない!
さっきまで30度近くあった場所からいきなり寒い場所まで行き、キンキンに冷えた空気でバイクを走らせるんだから、ビックリするけど体温が追いつかなくなるんだ!
僕は厚めのパーカー1枚で来たんだけど、全然役に立たない!体中ちげれるかと思うほど寒かったんだよ!君も12月のダラットに行く時があるのなら寒さを舐めちゃいけない!要注意だ!
そんな寒さを和らげる為にフォーのお店で暖をとったんだけど、寒さでトイレが近くなって用を足しに行ったら手が凍えて表のドアを開けられなっちゃって、奥さんにようやく開けてもらったんだけど!
でも、そこからがもう大変!
用を足し終わり振り向くと内側のトイレの“ドアノブが無かったんだ!”
自分で閉めてないから気づかなかったんだね!
数分出られなくなっちゃって、凍える手でスマホを操作して奥さんに電話して助けてもらってよかったけど
その時、数分電話しても気づいてもらえなくて色んな意味で“冷や冷や”だったんだぁ!
なんやかんやで、オシャレなカフェで日の出を拝めたんだけど、その話しはまた後で!
バスに乗る時もトイレの時も日本の感覚で行くと痛い目にみるから、みんな良くよく確認して素敵なベトナム旅を楽しもう!
ダラットで有名な
“おシャンティー”なカフェ
ここでオシャレに目がないSNSにあげちゃいがちなオシャレ好き女子がヨダレを垂らしながら目を血走りながら食いつくカフェネタをぶち込んで
そんなオシャレ好き女子たちに一泡吹かせたいと書くのが普通?だと思うのだが
なんせ、媚びを売りたくない僕の思考と性分
何より店の名前もわからないし、思い出せない頭の悪さを恨みつつ、思い出だけは残ってるから
そんなオシャンティなお店の思い出を二つほど語らせて欲しい。
“山沿いの朝日”が楽しめる「24時間営業」のカフェ
先ほども書いたが長いバス旅を終え、朝方着く予定が夜中の4時に着いてしまった。
コーヒー好きな僕を気遣って妻はカフェを下調べしてくれていたのだが実はここは急遽行く事になったカフェであった。
理由は上記に書いたとおり早く着き過ぎたからである。
そんなく◯寒い中、ゲストハウスから借りたバイクでくらい迷路の様な街ダラットを付き走る。
街中から数十分、ここにあるのかと疑うほどの山道を冷たい風を受けながら目指す。
一度、フォーのお店で温まった身体は冷え切っていた僕の頭の中は“カフェの暖かいコーヒーで温まる事で一杯だった。
小高い山にそのカフェはあり、着いて早々コーヒーで温まる期待はそこで砕かれた。
3、4階程の建物なのだが、壁はほぼカウンター以外に無く前席筒抜けで冷たい風を思いっきり全身で楽しむ様な仕様であった。
24時間営業!早速注文!
「あれ?店員さんいないのかな?」なんて思っていたら、突然下からムクっと現れた寝袋で包まれた若い男性店員。
夜中に着いたのでどうやら寝ていたらしい。
お互いに眠たい目を擦りながら、コーヒーを注文。
明るくなり始めたが、まだまだ薄暗い壁のないカフェでキンキンに冷え切った椅子に腰掛ける。
寒さで止まらない鼻水とそこまで温かくない美味しいコーヒーをすすりながら日の出を待つ。
(早く温かくならないかなぁと思いながら)
寒暖差で日の出はほんの少し霧がかって太陽が神々しく見え、ダラットの山々の緑と混ざり合いそれもまた悪くなかった。
12月のダラットは寒くておすすめはしないが
しっかり防寒の準備をしていればなんて事はないとても素敵なカフェなので是非、行ってみて欲しいと言いたい所なのだが
あいにく場所や名前を忘れた…
調べれば出てくるかも!?きっと…
ダラットの『カラフルな街並み』を楽しめるカフェ
当初予定では先に着くはずだった、SNSで写真をあげれば間違いない有名なオシャレなカフェ。
もちろん、妻が選んだくれた場所でコーヒーにしようと思ったが、ガン決まりするほど強いカフェインのベトナムのコーヒーを飲んでしまったので
レモンエキス入りの黄色く透明なタピオカが入っているレモンティーを注文することに。レモンの味や香りが日本のものとは違いまるで、
レモンの輪郭を思い浮かべてしまうような本物のレモンに近い本当に美味しいタピオカ入り紅茶だった。
ベトナムに来てから今まで現地の生活をしているため、ほんのりバックパッカー気分に近い感覚で過ごしていた為、いわゆる“観光”はここが初めてだった気がする。
入り口からフランス風?な花で飾られたアーケードを通り過ぎると、周辺には写真映えする様なスポットが数箇所に小さい池に見たことない様な花が僕たちを迎えてくれた。
カフェの中は恐らく古い建物を改装したシックな作りで全て廃材から作り直した家具が並び、当然のごとくWi-Fiは完備され受電の差し込み付き!
一瞬、ラフすぎる服装で来てしまい場違いな感じはしたものの本当に雰囲気の良いカフェで現地の若い女性やベトナムの他の地方から来た人たちが血眼になりながら自撮りをしていたのが印象的であった。
と、まぁ感想といえばお洒落なカフェには慣れていないド陰キャな
僕にとってはこんなもの…
最後にどうでも良い思いで話を一つ…
僕はほぼ英語で会話をすることができないのだが、
ここのカフェのいかにも
“僕、ここでおしゃれな店員してますが。聞きたいことでもあるの?
この僕に!?’…と勝手なイメージを考えを巡れせながら、そのイケメン店員に緊張を隠しつつ…
僕は眉をひそめながら「バスゥルゥームっ?」と単語のみを連呼するだけの初の“英語でトイレの場所を聞く”という体験をすることができた!笑
トイレへ行きたいのとベトナムで過ごし外国人慣れというか妙な度胸がここで確率していた為、綺麗でオシャレなカフェに僕の「バスゥルゥームっ?」という滑稽な発音を響かせながら聞いてみると
イメージとは違いとても優しいイケメンの店員さんは手厚く僕をもてなし案内してくれた。(しかも、めちゃくちゃ綺麗なトイレ!)
とまぁ、そんなわけで
生まれた時から引っ込み思案な性格で20代から引きこもりも経験。海外生活なんて夢も思わなかったあの時の自分には信じられないだろう。
結局、ほとんどカフェの情報は相変わらず皆無だったがダラットのカフェでの思い出はこんな感じ!
とにかく穏やかに過ごせた時間と貴重な体験を過ごすことができた。
⑥〜緊張の『結婚写真』の撮影の思い出〜
実はダラットに来たのは、ほぼコレが目的であった。結婚写真である。
ベトナムでは高額な日本円で4万円!日本では10万はするであろう衣装も貸し出してくれメイクやヘアセットはもちろん、様々なアドバイスにプロのカメラマン付き!
前日には衣装合わせと撮影場所など正味、1時間以上の打ち合わせをするほどの念入りさ!そんな本格的な撮影スタジオに親や親戚の方々と会う事よりも何故か緊張していた。
ここの社長と思われる大阪の技能実習生を経験もしたという20代前半の綺麗な女性が経営してるらしく、思従業員たちも同じくらいの年齢だろうか?、その子達を華麗に指揮をしつつ、打ち合わせが流れるように進んでいく。
その多分社長と妻が笑いながらロケ地?等々の話しを聞きつつ、僕は何故か緊張のせいもあり舐められぬよう微笑むというよりか、ほくそ笑む感じになっていた。今考えてみても、無理に気張っていたのは自分でもさっぱりわからないが、とにかく敷居の高そうなスタジオであった。
この後もこの緊張しながら気張っているそんな自分がちょいちょい邪魔をすることとなる。
真夜中の3時。初っ端妻が寝坊。
ゲストハウスを真っ暗な街中をバイクで駆け抜けて訳30分。
例の女性社長は朝早くからいたのかソファで横になりながらスマホをいじっているのを横目に早速お着替えタイム。
やはり、花嫁が主役である結婚写真なので
妻の準備は訳1時間、僕は数十分。
そんな中、「ヨォウ!宜しくなぁ!」と言ってそうな雰囲気で挨拶しながら陽キャなカメラマン登場。
ただでさえ日本人より明るい方が多いベトナム。
このカメラマンは良く喋る。
ちなみに遅かったのは彼も遅刻したそうだ。
ドライバー、カメラマン、アシスタントと僕ら夫婦を乗せた車は真っ暗な街からどんどん離れ、かろうじて薄明るい街頭にボロボロな家が点々するところを抜け更に森の方へ…
相変わらず弾丸トークをつづける陽キャのカメラマン。現場の経験が少ないのかキロキロするアシスタント。あまり喋らないドライバーに
おめかしして、これから始まる撮影に目を輝かせている妻。そんな雰囲気を作り笑いでやり過ごそうとするそんな僕…
舗装もされてない森へ差し掛かり、ガタガタする道に飛び跳ねる車はきっと側から見たら
B系な奴がローライダーの真似をしてるのではないかと思うほどだった。
そのガタガタに盛り上がるカメラマン。
そんなわけでようやく撮影現場に到着。
初めは暗くてわからなかったが朝日が見え始め外に出てみるとどこから湧いたかわからないほどのカップル達が思い思いの正装とドレスでごった返していた。
僕は照れ臭さを隠しつつ使ったことのない顔中の筋肉を使い渾身の笑顔をカメラに繰り出す。
カメラマンからポーズを指示されるもポーズどころか写真もまともに映ることのできない僕は「僕は少林寺に弟子入りしたんだ!」と、
また必殺のマインドコントロールを試すも、前日のバスの疲れ早起きと作り笑顔のしすぎで顔どころか体中がガチガチだったらしく
カメラマン曰く、「硬いよ〜!今自分はスターなんだ!って感じでさー…」等々言ってくれていたのだが、最後の方ではもう、終始カチカチの僕にカメラマンもイラついていた。
お昼ではよだれを垂らすボディランゲージを実ながら『ん〜お腹空いたゼェ〜』と僕にアピール。
みんなで途中のご飯屋へ立ち寄るもやはり同じ結婚写真を撮っている休憩中のカップル達で溢れていた。
そこでカメラマンが今だに固い僕に気を使ってくれたのか、ただのイタズラなのか
「この唐辛子かじって食べるんだよー」と僕に唐辛子を渡してくれたのだが、そのままかじる物ではないのでかじった瞬間舌から激痛が頭脳から肛門まで突き刺す様な本場の唐辛子を味わって和やかに過ごした。(ちなみにご飯は僕たちが全部奢り)
そんなこんなで3つ程撮影を行ったが使われていたのは初めの方が多め。
最後に行った時もカメラマンが予定の時間を押していたので流しながらな雰囲気だったのも今では申し訳ない。そのくらい僕は写真を撮り慣れていないのである。
何とか撮影は終了。
最後にカメラマンが僕にアドバイスをしてくれた。
カメラマン(脳内翻訳)
「よぉ!お前立つ時は真っ直ぐ立つんだよ!撮影の時はね!」
「だから、もう“くの字”になって立つなよ!なっ!」(バンっ!手で背中をたたかれる)
僕は今まで勘違いをしていたことが30年以上生きてきてやっと気付かされたのだ。
僕は真っ直ぐ立つ際に背筋を伸ばそうとしているつもりが臍の下あたりを前に突き出した感じになっていたらしく
側から見たら完全にくの字の様になっていたらしい。例えるなら某ディズニーランドの某キャラクターの感じで立っていたらしい。
くの字で立っていたのは僕自身恥ずかしくなかったが、一生の思い出になるであろう結婚写真を台無しにする様なくの字立ちを決め顔でかましていたことを楽しみにしていた妻には申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたが
妻は「良かったっねぇ〜撮影が!」と喜んでいたのでそれはそれで良しとしよう。
そして、くの字を指摘してくれたカメラマンありがとう!
『偏食野郎を黙らせる』ダラット飯をちょっと紹介
ダラットで有名な『カ○ルの卵とし料理』
ベトナム料理と言えば何を思い浮かべるだろうか?「フォー」(ファーといった方が通じる)「生春巻き」…数ある中でも地域で様々である。
特にダラットはベトナムの中でも、(地域特有の味ではなく)ここしか食べられない“料理”が多い印象。
その中で特に記憶に残っているのはカエルの卵の黄身を溶いてパンにつけて焼き、しょっぱめのタレをつけながら食べる料理で、少しフレンチトーストに似た感じで、味は意外にも鳥の卵の黄身と同じ味、風味を少し薄めた感じ。
ついにゲテモノ登場か?と期待していたが表現はおかしいが、案外ちゃんとした料理で残念ではあったが、これもまたバカと言いたくなる程の美味しさ!(カエルのお肉も食べたが、鶏肉のような食感で手や足がメインでその部位のお肉を食す)
ダラットのみの有名なご当地グルメで名店らしく、どこからともなく現地にの若者たちが押し寄せており、僕を含めた他の海外旅行者も多く見受けられた。
ちなみに、そのカエル料理を食べられるすぐ隣には、またもオシャレ女子ヨダレものの雰囲気の良いカフェがあり、待ちながら外で飲んだアイスコーヒーは言わずもがなバカ上手く、写真におさめている若い女性たちが印象的であった。
今思うのはもっと様々なベトナム料理、魅力が日本をはじめ世界に知られることを願っている。
ダラットで有名な『幻?のパン屋』
ダラットで過ごした数日間はベトナムに来てやっと観光やしいことができた。
その中で、海外旅行者のみでは辿り着くのが難しい美味しいお店はもちろん、特に難しいのは屋台だと思われる。
妻も地元がホーチミンなのでダラットは来ているそうだが決して詳しい訳ではない。
妻がFacebook(ベトナムでは良く使う)調べてくれたおばあちゃんが1人でやっているパンの屋台があるという。
もちろん店舗ではないので、常に同じ場所にいるとも限らないので、とりあえず目撃情報を調べ捜索!どこどこのこの辺らしい…という情報の元屋台発見!
坂道の多いダラットで景色の良い小高いところで、歩道の脇、えっそこ?みたいな絶妙な所で営業しておりダラットでは話題になっているらしい。
笑顔で答えてくれる雰囲気の良いおばあちゃんであった。
早速いくつか注文し、ダラットを一望できる歩道でバイクを止めてパンを食べた。
やっぱりパンの質が日本と違い味だけでは無く、香りも食感もたまらなく美味しく、味で誤魔化さないのがさすがベトナムのパンである。
観光ではまず見つけることのできない屋台なのでもし、バイクを運転ができるのならダラット探索ついでに、その幻のパン屋のおばあちゃんを探してパンを味わってほしい!
お好み焼き?みたいな味のライスペーパー?
ダラットで有名な市場、その名も「ダラット市場」!住は無いけど、衣食はもちろん、日用品もお土産におもちゃ、屋台!なんか良くわからないパフォーマンスに演芸、何でもござれなダラット市場!
蓮のお茶やイチゴなど果物なども有名らしく、ホーチミンの市場に比べお土産屋が多い印象。
そんな毎日お祭りの出店状態のダラット市場で抑えておきたいのは、「塩イチゴ」!
塩分過多確実の塩にピリ辛使用!酸味多めな甘酸っぱいイチゴが合わさったなら、日本人が体験したことのないイチゴに出会える事ができる。
基本的に塩イチゴは屋台で売っているのだが、ベトナムではよくある話しで、決められた場所以外では商売をしてはいけないのが国の定めたルールがある。
そんなルールお構い無しにあちこち合法、非合法やら、あちらこちらに点在し見つけ次第すぐ注文して欲しい。
何故ならダラット市場では警察が定期的に巡回しており、その気配がするや否やさっきまで活気のあった屋台通りが、けっこう寂しい感じになるほど違法屋台がいなくなるからだ。
実際、何度か塩イチゴを買ったことがあるが、ある時一つ注文し終えて屋台のおばさんが作り終わるや否やパトロール中の警察に見つかり腰に手を当てそのおばさんに指を刺した瞬間
スッ…と仕事道具の台車と共に引き去って
おばさんこっちに向かって笑顔でテヘっ!
捕まるのではないかと思っていたが、僕が観光客だと分かり警察もその時は注意だけで済んだらしい。本来ならしょっ引かれるそうだ。
そんなエピソードと一緒に甘酸っぱいくてしょっぱい塩イチゴの味は格別で今も忘れられない。
ちなみに買っている側は捕まらないので安心してほしい。
そんな非合法だからといってぼったくりはしないし(声かけてくる人以外)味が落ちるかと思えば、そんな事は無くむしろめちゃくちゃバカうまい!
ライスペーパーみたいなやつの話になるが、名前はいまだに聞き取れずわからない…。
ライスペーパーみたいなお好み焼きの様な食べ物で、ベトナムでもダラットは味が少し違う。
というか、日本のお好み焼きの味に似ており、見た目は薄く焼いたお好み焼きという感じで、食感もパリパリで暖かく、寒いダラットでは格別に美味しかった。(現地で見ればわかる)
僕が食べた屋台というかほぼ個人で焚き火でもしてるのではないかと思う様な屋台で、風呂場で使う背の低い椅子に座り、おばあちゃんが焼いてくれるそのお好み焼きの様な食べ物は何度か食べた中でもそこが1番美味しかった。
教えたいところだが、おそらく非合法なのでどの辺にいる!と明確な事が教えられないのが残念だ。
ちなみにホーチミンでも同じお好み焼きの様な食べ物を食べたが全然味が違う。
美味しくない訳ではないが、日本人の舌にはダラットが合うと思われる。
ダラット市場では自分だけのお気に入りスポットを是非、探しに行ってみてほしい。
その他ダラット『食べた録』 〈写真集〉
〜シェアハウスにお泊まり〜
トイレ事情とシャワーの思い出②
前の話した爆走夜行バスから無事降り、朝方の4時から最終日の訳3日間お世話になったゲストハウス。
3日で日本円にして2,000円ちょい!
ベトナムは全体的に安いが3日でこの値段は貧乏人には支援でも受けたかの様な価格設定でありがたい!
部屋はめちゃくちゃおシャンティ!
オシャレ好き女子はよだれ物の素敵な部屋であった。
だが、安いだけあって共同トイレ(シャワーと合体してるヤツ)
二階建ての下の階のリビングが管理人の部屋で
管理人が音楽好きなのかギターを爪弾き、歌うまでならまだベトナムらしいな!で終わるのだが
無理やり自分でリノベーションしたのか2回の床に隙間があり、音が一緒に過ごしているかの様な臨場感が味わえるほどの音漏れ。
しかも、さすがは音楽好き!って感じでスピーカーも大きな立派な物を使っており、いつも音楽がゲストハウス中に響いていた。
正直、それも僕は気にしなかった。
(センスの良い選曲だったし)
それよりも、やはりトイレ事情である。
ホーチミンの洗礼を受けたがオシャレで観光地、ダラットはどうだろうか?
まず、トイレからいってみよう!
海外では珍しくないトイレとシャワーが一緒になっている。そこまでは良いのだが、別に宿泊している海外の旅人達なのか?はたまた、管理が行き届いていないのか?
座ってトイレをしたいのに、そのシャワーが隣にあるため便座が水を大量にぶっかけたのかと疑うほどびっちょっびょ。
最悪僕はそれも楽しいな!って思えるが困ったのは水を流す部分が軽い水没の様な感じで詰まっていて流れが悪い。
運が良ければ、そこそこ良い感じのトイレライフを過ごせるのでもし、来た時はそんなドキドキ感を楽しんでみるのも悪くない。
最後にシャワーの件だが、水圧は合格!
問題は日本のシャワーとの使用の違い。
何が違うって日本の様に親切に水とお湯で分かれてはいない。
まず、水の蛇口の様なレバー?を回し、次に温度設定!「HOT」と書かれていればそこに針を回せば一安心!
ほんのり暖か〜い感じのぬるま湯とも言えない絶妙な温度のお湯が冬の寒いダラットで冷めた体を癒すことができる。
そんな訳で日本の性能の良いシャワーも良いのだが、ゲストハウスでであった完璧とはお世辞にも言えないシャワーをまた浴びにベトナムへまた行きたい程、書いている今も恋しい。
〜ダラットプチ写真集〜
⑦『妻の実家へ観光では行けない田舎町の思い出』
『バナナ酒』と「お義父さん」との思い出
よくある話で、婚約前に結婚相手のご両親にあいさつ!「うっわぁ〜緊張するなぁー…」等々…
現在の妻と結婚する前の当時、いつかの女っ気の微塵も無いバリバリの独身の僕は、ありもしない結婚前の挨拶の妄想に独り胸を焦がしながら締め付けに酔っていた夜をふと思い出す。
そんな僕はきっとこの先の未来婚約者と実家へ行き、「娘さんを下さい!」いやいや物じゃない!
「結婚させて下さいかなぁ〜!」とか、何かもう
しょーもない事を思い巡らし、脳みそを無駄なカロリー消費とキャッシュデータを溜め込んで
こじらせに磨きをかけていたあの頃。
当時のそんな頭の中、お花畑いっぱいの自分に言えるなら伝えたい。
〈今の俺〉「そんな妄想する前にお義父さん日本語通じねぇんだよって!」(微笑みながら)
当日の僕はそんな事実の前に
なんと言うのだろう?
もしくは何も言わないのかな?
というかそんなことはどうでもいいよね?
ごめんなさい!ここから本編に入ります。
妻の父。
お義父さんは佇まい、背中で語る様な人であった。
何故と聞かれれば言葉が通じないという理由は大きい…。だが、そんな簡単に済ませられれば良いがそれだけじゃない気がする。
まず、ドンナイから夜間バスで5、6時間(だったはず)場所は言えないというか、わからないので言わないというか様々な理由で教えられないが
隣の国、カンボジアの国境まで訳60キロの所にある様な
ホーチミンやドンナイと比べたら超のつくほどのど田舎である。観光ではまず訪れる事のない赤い土と自然が広がる美しい場所であだった。
そんな実家ではコーヒー豆を育てており
何を隠そう僕はコーヒーが大好物?大好飲?何というのか…まぁ、とにかくコーヒーが大好きなのだ!!
会う前はやはり緊張はした。しかも、
厳格な昔ながらの男というより文字にすると「漢」という感じの風格である。
(ちょっと前にTV電話でお見受けした。)
バスが夜中に着く予定なのに待っていてくれ笑顔で迎え入れてくれた。
妻が日頃から家族とビデオ通話で話しており恐らく知っていたのであろうか?
父は会うや否や「ほら、コーヒー豆だよー」と言わんばかりに指を刺し、昔の雑誌の怪しい広告の札束の風呂の如く、山積みになった宝の山を目の前に嬉しそうに話してくれた。
僕もうなずきながら笑顔で答える。
その日の夜遅くに妻(娘)との再会も嬉しいはずなのにお義父さんは満面の笑み程ではないが口角を上げながら
娘に「親戚に挨拶はしたか?」
「どのくらいここに居れるんだ?」と淡々と話していて、厳格な父をやっているご様子。
積もる話も残しつつその日の夜は就寝。
僕もだが英語も話せない昔ながらのお義父さんは僕のお酒がこの世から無くなっても良いがコーヒーは絶対に残って欲しいと思うほど好きな事を知ってか知らずか?(いや、知ってるんだけど)
毎朝ベトナムコーヒーを淹れてくれた。
ご両親の所へは数日の滞在だが、僕はやはり連日寝坊してしまい、少し冷めたコーヒーを毎日飲ませてくれることになるのだが、それでも淹れてくれる優しいお義父さん。
そんな思い出もありつつ、話は変わるがタイトルにもある様にバナナ酒である。
合法か非合法かはわからないが、お酒に熟しすぎた食べれないバナナを大胆にふさごと漬けただけのシンプルなもの。
アルコール度数は高く20度以上とのこと。
先程も話したとおり僕はお酒は好きではない。
滞在した頃は毎日夕食をみんなで囲み会話と食事を楽しむ。
その時に、お義父さんは満面の笑みで毎回ベトナム語で「飲むか?」とジェスチャーしてくれる。
僕は断れずというか断る理由もないのでそのままお義父さんと軽く『ヨーッ!』(日本語で乾杯)
チビチビ飲みながら食事を楽しむお義父さん。
やっぱりどの国も同じなのか、会話は
お義父さんの精一杯のコミュニケーション必殺。質問攻めである。(著者の勝手なイメージ)
イメージ日本語訳…
お義父さん「どんな仕事をしているんだ?」
「家はからどのくらいの距離だ?」
「家は買うのか?」
「それは日本か?」…等々
そんな世界共通の父の質問攻めを心地よく浴びながら
また笑顔でお義父さん振る舞ってくれたベトナムの家庭料理の食べ方をひとつひとつ丁寧におしえてくれた。
早速、酒の弱い僕はここバナナ酒を一口。
臭いかなーとか、言葉にできない味かなー?くらいに思っていたが、味は日本酒そのもので甘くスッキリして飲みやすく、その後に喉と舌にお酒独特の辛さと共にバナナの甘い香りが鼻を抜けていった。
そう、これがバカうまい!
その後もバナナ酒以外にも『サイゴンビール』をあの満面の笑みで「飲むか?」と勧められて飲んでみる。
東南アジアに広まっている「タイガービール」より苦味があるサイゴンビールだが日本のビールが飲めない僕でも水の様に飲んでしまった。
そんな男同士酒を交わし合った思い出。
今、改めて感じることは
遠くから、わけもわからない日本などという右肩下りの国からやって来た、甲斐性も無いこんなダメ男に対し笑顔でコーヒーや自作?のお酒を勧めてくれる。
その行為は無口ながらも振る舞いや佇まいは
こんな僕と繋がろうとしてくれたこと、お酒を勧めてくれる時の笑顔が忘れられない。
繋がろうとしてくれる、その優しさが嬉しくて堪らなかったのだ。
“いつでもベトナムへ帰れるようになる!”
これが僕の今の生きる原動力の一つである。
ここで、実家周辺プチ写真集!
現地で食した“名前のわからない”ベトナム料理写真集〜コメントを添えて〜
そろそろ、この書籍も後半の終盤に差し掛かり…
今更だが書くことが疲れてきたので【名前わからないけどめちゃくちゃ美味かった料理】の写真をできるだけ網羅したいと思う。いやー疲れた。書籍って大変ですねぇ〜。
『キリスト教の教会』へ赴く
滞在中は何度か教会へ足を運んだ。
特にたわいもないエピソードばかりで少し迷ったが共有してみることにする。
ある日妻と妻のお母さんと一緒に地元の教会でお掃除をするというので手伝わせてもらうことに。バイクで10分程のど田舎中のど田舎だ。
一緒に掃除をする両親のご近所の方々といざ、教会へ。
そこにはたくさんの「パッションフルーツ」畑が成っていて、教会の裏にちょっと怖くなってしまうくらい広大な森とこの教会も数十キロ先にはカンボジアの領土も見える様な小高い場所であった。
ふと、教会横を覗いてみると、石灰石で作られた長椅子がたくさん並べてあり
その長椅子には寄付をされた名前はもちろんお店の名前と住所、電話番号が刻まれていた。
みんなが集まるコミュニティーの様な役割をしている教会に宣伝をぶち込むのはさすがだなと感心。生粋の商人ベトナムだと感じた。
ベトナムのほとんどの人々がキリスト教であり、妻の家族、親戚はもちろんである。
僕はキリスト教ではないが掃き掃除と拭き掃除をさせてもらう事が出来た。妻のお母さん達は一定の期間で教会に飾っている花束を取り替えに来ていたらしい。
決められているのか詳しくわからなかったが、自発的にやっている様に見えた。
親戚の家をお邪魔する際にキリストの言葉が綴ってあるポスターを良く見かけるが土着的かと思っていたのだが、皆さん思っているより敬虔な方々が多い印象。
別日にはたまたま、親戚の子が“洗礼”があるとのことで僕も一緒に式に同行。
教会に行くと毎回お祈りの時間があるのだが、牧師(だったはず…)が歌い出し、後に続き集まった人たちが後を追う様に繰り返す。
独特なアジアテイストの旋律にベトナム語が乗り僕のキリスト教のイメージとは違うベトナム独自のお祈りは不思議な感覚であった。
せっかく来たので同じくお祈りを試みようと思っていたらお義父さんに「やらなくて大丈夫だよ!」と笑顔で止められてしまった。
その洗礼の際に白く丸い水につけた物を牧師の所に腕を組みながら列になり、それをもらい口に含んでいく。
その白い物には神様が宿っており、自分の心の中に神様が入っていく儀式なのだそう。(間違っていたらごめんなさい)
僕も挑戦してみようとしてみたが、止められてしまった。キリスト教の方のみできる儀式らしく、僕は失礼にも「あれは美味しいの?」と聞いたら皆に笑われてしまった。ちなみに味はしないらしい。ちょっと経験してみたなぁ。
⑧体調不良と『逆ホームシック』
〜蚊に刺され続けて発症〜蚊のアレルギーと7年ぶりの風邪〜
ベトナム滞在も残り3分の1という所で持ち前のアレルギー?なのか、何なのかわからないが発症。
実は僕は蚊に刺されると人の2、3倍腫れ上がってしまい紫色に変色してしまう体質なのだ。刺された所は“かゆい”のではなく、“痛い”ほどだ。
蚊と言っても日本の蚊とは毒が違うのか良くわからないが、2、3倍どころの騒ぎではなく5倍晴れており見て明らかに違う。
あちこち刺されてしまったが特に酷かったのは“足”であった。
足の裏まで晴れており歩けない。
そもそもどこで刺されたかと言うと妻の親戚の旦那さんの会社の忘年会があると言う事で僕も参加できることに。
その親戚の勤めている会社は看板などに印刷を請け負う会社でホーチミンではかなり成功していおり、参加した忘年会では豪華な料理に、お酒、抽選で当選者に日本円で数万円のお年玉付き!
その現地で外国人は僕だけだったようで、とても仲良くしてくれた人もおりとても楽しい時間を過ごすことができた。これからのベトナムの勢いを痛感した。(そこの社長の家にも訪問させてもらったが超豪邸!池に鯉!使用人付き!その話は別の機会に…)
調子に乗り、普段飲まない酒をがぶ飲みし(大好きなタイガービール!)
仲良くしてくれたベトナム人と何度も乾杯するというベトナムの洗礼も受けた。(ちなみに会社の人らしく名前は知らない)
そんなこんなでたくさん刺された理由としては野外での宴会であったのと、ホーチミンでも普段と違う場所で長時間での滞在に加え、酒を飲み汗を出せば当然、蚊の恰好の的である。
その夜、トイレに行くため階段を下がる際に足を踏み込むと足の上の辺りがはち切れそうな感覚があるやいなや、皮がちぎれそうな痛みが襲う。
「いや、気のせいだ。本当でも明日には治る!だって僕は強い子だから!」
行きにくいトイレから薄暗いベッドに戻りながら自分に暗示をかけた。
何故なら僕は小学校4年の頃、全身を蚊に刺されまくりボッコボコに腫れ上がった経験がある。
僕を見た当時の母は「おいわさんじゃん!」と言われた挙句、親戚一同に言いふらされ笑い話にされ、貴重な北海道の夏休み治療で棒に振るという何とも言えない苦い思い出がある。
今の仕事を無理を言って1ヶ月以上も休みをもらい、ベトナムまで遥々きて小4の二の舞には絶対になりたくない。
翌朝、映画『エレファントマン』とまで言わないが、腫れ上がった足に虫刺されの薬「ムヒ」を武器に体内に蔓延る毒を浄化作業に安静にしつつ勤しむ。
自分の宿命とでもいうべきか…腫れ上がった足も冷めやらぬ中、30代前半最後の年の洗礼か?ここにきて7年ぶりの風邪を引いてしまった。
もちろん、ベトナムのお正月「テト」ではお祝いムードの中、別室で休むことに。妻の友人に二人に会う約束を守ることもできず悔しい思いをした。
蚊に刺されても忘年会への参加や現地の方の交流は他には変えられない思い出であった。(その時見たとある方の変形した足の指の話は別で…)
まぁ、とにかく海外では違う匂いのする人に蚊は近づくので体質が弱い人はベトナムに来る際に要注意だ。
〜ベトナムの旧正月テトの思い出(1月22日)〜
ベトナムのビンゴゲーム『ロト』とルール不明のトランプゲーム
1月1日、日本では盛り上がるはずのお正月。近年様々な出来事で子供の頃見ていたお正月の雰囲気は年々姿を変え、世紀末なのでは無いかと思うほどさみしい感じになっている。
2023年、ベトナムでお正月を過ごしたベトナムでは旧正月であり「テト」と呼ばれているベトナム人にとってとても大切な日である。
聞いた話によると、旧正月がない日本で在日ベトナム人はテトの日は全く働く気が起きないで仕事が進まないという話もあった。
ちなみに、中国や台湾も旧正月だが特に“中国”の旧正月と同じだと思っているあなた!ベトナム人に怒られます!!怒られますよ!!
やはり、一般的な1月1日はベトナムでもテトほどではないが意外に盛り上がっている。ダラットでは花火大会があったり、なぜかグラインダーが飛んだり…それは別の時に話しをしようと思う。
タイトルにあるが旧正月の思い出はほとんど「休んでた」で終わってしまうので、「テト」の時に良く遊ぶベトナムのボードゲームの思い出を話したいと思う。
1月22日、妻の親戚一同がドンナイに集まった。相変わらず僕は足と風邪を拗らせながらベトナム滞在残り1週間。モヤモヤしていた。
妻から「ゲームやるよー」と一言。
正直、やる気が起きない。何を隠そうボードゲームは嫌いではないが自分でも謎な部分だが僕はボードゲームを一人でプレイするのが好きなのだ。
そんなねじ曲がった理由で一回目を丁寧にお断り。自分でもどうかと思うがその時はそんな気分だったからだ。
結局、妻からの何度目かのアタックで渋々承知し、ゲームに参加。
数時間後僕はそのゲームの虜まではいかないがとても楽しい時間を過ごした。
まず、トランプゲーム。名前がわからないゲームでとにかくルールを覚えることにした。
ルールは「ブラックジャック」に似ており、親がカードをプレイヤーに配り「21」の数字に近いプレイヤーが勝つのだが、親が数字の弱そうなプレイヤーを選び最後のプレイヤーと親が数字を競い合い高い方が勝ち!というシンプルなもの…。
文章にすると何が面白いのがわからない感じになってしまうが、ポイントを話すとこのゲームの醍醐味は心理戦にある。
親は相手の言動、表情を読みプレイヤーは読まれないようにする。ちょっと「人狼」に早変わり!しかも僕はベトナム語が分からないので洞察力が試された。大人から子供まで楽しめるトランプゲームであった。
続いて「ロト」というゲーム。某宝くじと同じ名前だが関連性はわからないが似ている所を上げるとすれば“数字を当てる”という点だ。
では、どうやって数字を当てるのかというと、ランダムに数字が配置された用紙があり、くじ引きを行い出てきた数字が合えばその用紙に穴を開けて縦、横、斜めで数字が埋まれば当たり!!早い話が日本でいう「ビンゴ」のようなものである。
町のお祭りでも「ロト」は行われ、「テト」の時期では、そこらへんの屋台や店で「ロト」ゲームセットが売られており親戚みんなで遊ぶゲームのようだ。
「ロト」の用紙の数字はランダムなので、くじ引きの際は後半に差し掛かると何と言っているか詳しくわからなかったが、くじ引きしている人が“終わりの確認”をすると、まだ当選していない人は「チューアー!!」(まだ!)と叫ぶ。
何だかよくわからないが、お祭りでも親戚の間でやっていても異様な盛り上がりを見せる。こっちはシンプルでわかりやすいため誰でも盛り上がる。
お祭りではくじ引きを引くさい出てきた数字を独特なメロディに載せ歌い上げる。この話はまた別の時に…。
そんな旧正月を過ごし感じたことは、今でこそスマートフォンの普及でいわゆる“スマホゲーム”で遊ぶ子供達をベトナムでも見るが、皆で顔を合わせ遊べるベトナムのゲームは国を問わず今後、重要なコミュニケーション、文化になるかとを期待したい。
〜そして、『逆ホームシック』とありがたい誤算〜
あーー…ついにこの書籍も終盤である。
そんなことを書きつつ今も一ヶ月間以上過ごしてきたが未だにこの時の思い出が頭をはじめ心が締め付けられるまで僕の中で“良い意味”で侵食してしまっている。
今年の一月末に帰国したが、帰国後二、三カ月間は鬱のような感じになってしまい仕事も何とかこなしていたが心は遥かベトナムへ飛んでしまっていた。そう、「逆ホームシック」を患ってしまたのだ。
毎日のように飛行機チケット比較サイト「スカイスキャナー」を取りつかれたように調べまくり気が紛れるどころか更に病を末期にまで進行させてしまった。
出身国の妻に至っては平気だったらしく、むしろ日本に早く戻りたくらいに思っていたらしく、僕と正反対な感情にちょっとした行き違いのようで切ない感じもした。
ちょうどこの頃、1月2月といえば原油サーチャージが高い時期であり、路線もほとんど復活しておらず、慰めの台湾力だ!!と思っていたがコミコミ4万円でお釣りが出る台湾でさえ二人で20万〜30万は当たり前…
貧乏な僕にとって飛行機チケット(アジア)の高騰は末期になった「逆ホームシック」という大病にとどめさされ、死を宣告されたような思いであった。
この原稿を書いている今、(令和5年8月31日)逆ホームシックというある意味での病気を乗り越えたかと聞かれれば全力で「いいえ!」と答えられる自信がある。こんな書籍に半年以上かかっているのもそれが原因である。
でも、その時と違うのいはこうして原稿を書き、イラスト、活動を続けている音楽制作の力になっていることは間違いない。
これから生きていく上での「糧」、原動力になっているのだ。
いやらしい話を最後にするのは気が引けるが、正直に言いたいのは
少しでもこの書籍がお金になり、またベトナムへ帰りたい!!なんてことを目論んでいる自分がいるのだ!
初めの方に戻って読んで欲しい。綺麗事を並べ“忘れたくないから”とほざいているだろう。でも嘘ではない。
何故、忘れかくないか?もう一つ言うと
「思っているだけで何もしないのが嫌だ。」これに尽きる。
あなたはどうだろうか?やりたい!行きたい!と思って何か始めているだろうか?旅費を稼ぐのに書籍だ!絵だの音楽だの売って稼ごうなど考えている自分に「どうかしてる」と思う。
このある種のハングリー精神を育てるための“苦い薬”と思えば、逆ホームシックはありがたい誤算であり、何よりこんな経験とこんな思いになることができてとりあえず今のところ「日本一の幸せ者」であると確信している。
今、深夜の12時を過ぎ、9月になってしまった。
まぁとにかく下手でもできなくても全てベトナムへ繋がっていると腹を決めまた、面白いことを続けて旅へ出かけようと思う。では!!!!
最後に〜あとがき〜
一言でこの書籍は長すぎてしまった。
写真も上手く撮れず、容量が大きすぎて消えた写真もあった。(動画も言わずもがな全然ダメ…)
ベトナム到着時から書けばいいのに長々とあまり内容もない話しを書いてしまったと後々気付き痛感。
半年以上も掛けてやるような内容ではないよね。また、これを値段をつけて販売しようと思っている自分でももどうかしてる!なんて思っている。でも後悔はしていない。
個人的にそんなイタイ感じがたまらなく好きだ。
ベトナムの詳しい情報を知りたいなら書籍や動画が山ほどありいつでも知る事ができる。
しかし、感じた事をメインにしたコンテンツはほぼ無いに等しい。(売れないという理由であろう)
しつこくなるが、この書籍を残そうと思ったの情報だけではない自分だけが“感じた事”を残そうと思ったからだ。感じた事、体験は僕だけの宝物である。
みんな同じ国に旅行を行こうがその国で感じる受け取り方は十人十色様々。なので紀行風?エッセイ?的な形で表現させて頂いた。
これからどんどん発展を続けるベトナムを筆頭に東南アジア諸国。発展する前に東南アジアを逃す事なく味わいたいと思っている。
今回はたまたまベトナムへ行くことができたがもし、万が一また書くことが許されるなら、またベトナムはもちろん違う国へ行く際にはこの様な書籍で僕の“感じた事”を残しておきたいと思っている。
何より、こんな僕を受け入れてくれた妻とベトナム現地の家族、親戚、友人、お店の人、出会った人達…。
恩返しができる様精進して参ります。
敬意と感謝を込めて。Cảm ơn
Kindle版
読んでくれた方々本当にありがとうございました。この書籍は最終的にAmazon Kindleでおまけエピソード付きで手作り感満載で発売中!
Kindle Unlimitedなら0円で読めちゃう!
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