茶道スタートアップ WACHAの誕生秘話⑥
私は自分の同期からの紹介により、同じ会社でも全然関わりのなかったR&D領域の人たちと繋がることになりました。
そのなかでも最初、天才的なハードウェアのエンジニアの方と知り合います。その方は私のアイデアを親身に聞いてくださり、大変面白く、将来性があると言ってくださりました。
ただ一方で、自分は何年も会社にいて、実はなかなか新規事業がうまくいかないことを見てきた、とも。その中でも良く覚えているのは、Gの付く会社が身売りに来たことがあった、と言われたことでした。
「えっ!??あのG社、がですか!?信じられないです!」
「そういう時があったんだよ。今では考えられないよね」
「それは…すごいことじゃないですか!買っていれば今頃、全然違ったのではないですか?」
「そう、その通り。それがね、当時誰もGの凄さを誰も理解できなかったんだ。僕はとても興奮したけどね」
「そんな…」
そう、当時、誰も、それから世界を支配することになる巨大企業の凄さを理解できなかったのです。
ここ、テストに出ます!!!!
どの大企業も昔、みんなベンチャーからスタートしているんです。
そしてだいたいスタート時、誰も何をやっているのか、理解できないのです。理解できないから、評価しない。評価、できない。
ただ、自分がそれを理解できないから評価できないのと、
それに”価値があるか”は、全くの別問題なのです。
みなさん、考えてきてください。
原始時代に、電話を持って行ったとしましょう。
原始人にそのすごさを教えるとしましょう。
彼らはそれを理解し、評価できるのでしょうか?
当然ながら出来ないことは、容易に想像がつくと思います。
人間は自分の認識できるもの、認識したいものしか見えません。
その認識バイアスを外さない限り、物事を本当の意味で正しく評価するのは不可能です。
これから世の中を変える大きな変化を理解できる者とは、どんな人でしょうか。常識の枠を大きく外れた想像力がある人間にしか、
物事を正しく評価するのは不可能なのです。
だからこそアインシュタインは、想像力は知識よりも重要である、と説いたのです。
『想像力は知識よりも重要である。
知識に限界があるが為に、想像力が世界をとりまき、発展を刺激しつづけ、進歩に息を吹き込みつづけているのだから。
間違いを犯したことのない人は、何も新しいことをしていない人だ。』
大企業を創業したことのある経営者が何故ある一定の年齢になると引退を決めるのか。それは肉体的な衰えだけの問題ではなく、『見えなくなる自分が、自分で理解できているから』です。未来が予測できない経営者は、会社の行く末を正しい方向に導いていくのは、理解できない物事が増えるほど、判断が難しくなることを理解しているのです。だからこそ、引き際を考えるのです。(もちろん、それだけではないですが、1つの大きな要因だと考えて差し支えないでしょう。)
話を戻すと、天才エンジニアとのお話で、実際で会社で私のアイデアを実現するのは、ヒマラヤ山脈に登山する並みか、それ以上の難易度だと、
明らかになったわけです。
ただ、それで諦めるわけにもいきません。
どうにか突破できる道はないかと、模索が続きます。