心理的安全性に「させる」のではなく「なる」には
「プロジェクト・アリストテレス」
ビジネスの場で、組織における「心理的安全性」という言葉をよく聞くようになってきました。心理的安全性というのは、組織やチームが成果を求めていく中で、「率直な意見・素朴な質問・違和感の指摘を、誰もが気兼ねなく口にできる状態」のこと
現在、会社組織に所属していない私は現場を知りませんから、少し的外れかもしれませんが、企業にいながら心理的安全性を得ることは困難ではないのかなと想像してしまいます。ただ新社会人として就職した中堅インテリア商社では、今思えば、心理的安全性がありながら働けてたような気もします。大正時代創業で、とても温かでかつ、自由な社風の会社でした(現在吸収合併され残念です)。
「心理的安全になることが、成果がでるから」と、上司に指示され、させられた時点でもうアウトになってる気がします。
極端な考えだけど、雇用関係があるということは、させること/させられることが成立してよいという場ではないのかな。そんな中で、心理的安全性がありながら大きな成果を出している企業があるということはすごいこと。
自営業なので、100%自分の「〜したい」で動きますが(ほんとに?できるだけね)、雇用とは、当たり前にその企業の枠の中での「〜したい」をやるという制限があります。その中で、それぞれの「〜したい」を実現しながら、互いにより良いチームビルディングどうやって構築していけば良いのでしょうか。
させる/させられるではない関係
SHIEN学では、「安全なシェルター」という大切なキーワードがあります。安全なシェルターがあってはじめて私たちの内側は動き出し、循環し、人間が秘めた大きな力が動き出していきます。そして問題が消えていき、予想もしない解に運ばれます。
一般的に言われる心理的安全性は、ビジネスの場の組織で語られることが多いのですが、SHIEN学の安全なシェルターとは、ビジネスも含む人生丸ごとが安全なシェルターになっていったらどうなる?という可能性です。
仕事、プライベート、人間関係、健康、環境などと、私たちは抱えていることがあって、分けて考えること自体が真の循環を生み出すのは難しいことかもしれません。
この領域まで辿り着きたいのですが、あえて、企業やチームで成果を上げるために活動するときに、させる/させられるではない心理的安全性を実現するとしたら。。。
noteを検索していたら、「心理的安全性をバリューに掲げたけど、ほぼ効果がなかった話」という思わず興味をそそられるお題にであって、読んでみたらすごく響いてしまいました。
応援するセカンドペンギン
最初のリスクを踏むファーストペンギンを聞いたことがありましたが、それだけでは世界は変わらないということ。
セカンドペンギン、サードペンギンの重要性が書いてありました。
フォロワー、応援する人たちの存在の大切さ。
応援したい!ともし心が動いたら、それはさせる/させられるの呪縛から解き放たれるときかもしれません。
ファーストペンギンに自分ができる応援をしてあげたいと思って、してあげたつもりでも、実は力を引き出してもらっています。循環する働きは誰かがひとりで頑張らなくていいし、互いが応援しあえてみたこともないものが立ち上がる可能性があります。
なによりしてあげたかった想いは自由で自分だけのもの。内側が本当に動いたときがベストだとはおもいますが。共にしてもらったりしてあげたりしながら、共に創るのです。
ファーストペンギンが得意な人、セカンド、またはそれ以上が得意な人いるでしょうね。どっちがいい悪いではなくみんな対等です。
そして気づいたら、心理的安全性のチームにになっていたりして。