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赦しの試み

「ゆるす」ことは、その時々の課題によって異なるものだと感じています。

私の赦しの始まりは、憎悪を少しずつゆるめることでした。
完全に捨て去ることができず、苦しんだ末、ほんの少しだけホッとする方向へ向かうことが精一杯でした。
固い結び目を少しずつほぐすように、最初の一手がきっかけとなり、次第に大きく緩んでいき、気づくと「もう終わったことだ」と思えるようになりました。

元々被害者意識が強く、毒親に育てられた私がここに至るまでには、長い苦しみがありました。
特に父との同居が続き、要介護になっても問題を起こすことが多く、サスペンスのような状況に追い詰められたこともありました。

ほとほと疲れて、100%の解消を諦め、1%でも楽になろうとしたことが、意外にも勝因となりました。


赦すことができた私には、さらなるご褒美が訪れました。
「もう済んだことだ」「相手にも事情があったかもしれない」「私にも同様の面がある」… 
心底そう思えるようになった時、少し自分が誇らしく、嬉しく感じました。
すると全く関りない方から「いつも親孝行やねぇ」と褒められたり、嬉しい言葉をかけられることが次々に増えました。

そして、元々疎遠だった従姉と30数年ぶりに再会する機会にも恵まれました。
今では彼女は私にとって温かい母性の存在、心の拠り所となってくれています。

赦すことで憎悪を手放し、代わりに感謝できる温かさを受け取ることができたのです。



次に赦す課題は、過去の体験でした。
特に、自分自身のこと以上に、我が子に起きた悲劇は非常に辛いもの。
息子はすでにいじめや差別を克服していますが、私はその記憶が不意に蘇り、心が荒れていました。

ある時、記憶の断捨離をしようと思い立ち、体験談を書くことに。
まずは一番重たいことから順番に、荷物を預けるように一つずつ話していくうち、私の中になかった視点が降りてきました。

そうして、辛い記憶のそれぞれに穏やかな着地点を見出すことができ、大きな痛みを癒し終えほっとしました。


この作業の後、初めてのひとり旅というご褒美もありました。そしてこの旅を通じて、視点を高め、魂の成長を得ることができました。



そして今、私が試みている赦しは、感じる全てのことへの赦しです。
条件反射的に「そんな風に思ってはいけない」「感じてはいけない」と批判し、封じ込めてしまっていた思いを、一つずつ丁寧に認めていくことです。
習慣化している悪癖のせいで、モヤモヤした気持ちになっていることにやっと気づけたのです。

どんな風に思っても、どんな意見を持っても、「いいよいいよ、そうだよね」と同意してあげると、その思いは安心して落ち着き、自然と去っていきます。
その結果、心穏やかに過ごせる時間が増えています。


まだ実験の途中ですが、やっと気づけたことにとても満足しています。
私の内側の世界を平和にするという目標に向かって、こうして課題が訪れてくれることにも感謝しています。

赦すことで得られるかけがえのない安心感、そしてサプライズなご褒美に、苛々やモヤモヤから解放され、私の世界はワクワクと楽しみに満ちていっています。



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