メイクというセレモニー
しばらくの間、夢中で没頭することがあって、身なりに構わない日々が続いていました。
でも、最近ふとメイクを再開してみたところ、心に魔法のような変化が訪れました。
鏡に映る自分に「歳を取ったのだから仕方ない」とあきらめモードで直視してこなかった日々。改めてメイクを再開してみると、眼鏡で隠していたアラが警報を発しているのに今更ながら焦りました。
久々にコンタクトレンズをつけてメイクをした翌朝、昨日の私とは別人のように、独身時代の自信満々な面影が鏡に映っていました!
あの頃は毎日がワクワクで、どんな出逢いが待っているのか期待でいっぱい。まるで世界的スタアにでもなった気で、いつでも最高の私を演出し、ファッションやメイクを心から楽しんでいました。
その刺激的で新鮮な感覚が、その朝に蘇ってきたのです。
戻ってきた感覚は、私が自分自身を宝石のように大切に扱っていた気持ちを思い出させてくれました。
私にもこんな風に思えていた時期が確かにあったのです。
いつから私は自分を2番手、3番手…最下位にしてしまったのでしょうか。
それから数日後、従姉とのちょっと豪華なランチ会を開きました。
いつもは彼女に合わせて背伸びしたお店で、少しお酒が入らないと余裕を持てなかったのですが、今回は心から私らしく楽しむことができました。
この小さな違いは、頭では理解できていても、心掛けていてもなかなか取り戻せなかった魔法でした。
その翌日、たまに買い出しに行く美味しいお肉屋さんで、思いがけず12年ぶりに母とばったり居合わせました。
後から気づいた私の視線を避け、すぐに行き過ぎてしまったほんの数秒の出来事でした。
良くない母子関係を後味悪く終えた仲で、これまで思うことは沢山ありました。
でも今では、すっかり憑き物が落ちたようで、実際に遭った母の元気そうな姿を見て、意外にもホッとした私の心の余裕に嬉しい驚きを感じました。
またその数日後には、10年前の辛い記憶の相手とも偶然出会いました。
その時は少し会話を交わすことになりましたが、私らしく大らかに対応できたことに満足感を覚え、自分を褒めてあげました。
予期しなかったどの瞬間も、自分自身と心の余裕を大切にする時間でした。
長年、卑屈になっていた自分を解放できた気がしました。
今では、ちょっとしたことで後悔したり反省したりするいつもの癖が出たときにも、「私は最善を尽くせた」と自分を褒められるようになり、これがスタンダードになったようです。
思えば、再びメイクを始める前の数週間、なぜか辛い過去の記憶がフラッシュバックし続けていました。
その思い出たちを持て余し、霧が晴れないような日々が続いていました。
それが、ある日、ふとしたきっかけでメイクを始めたことで、こんな風に不思議な展開がいくつも起こったのです。
最近も、苦手だった集団行事にも優位な気持ちを保ちながら参加できました。
これらは何気ないきっかけや日常のイベントでした。それが私にとっては成長に導く『sign🌟』だったのです。
メイクは、若い頃の、誰かに見てもらうための自己表現から、今では、私を整え、自信を持たせてくれる儀式的なものになりました。
そのセレモニーを経ることで、抱えている重荷を降ろす機会を与えてくれる禊の役目も果たしてくれるようです。
この調子で感謝を忘れず、もっと私自身を喜ばせられるよう、オシャレへの興味も復活させたいと思い始めました。