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「流水不争先」

 「像と、バックの壁との距離が出てはおらん。空間が描けておらんな」「どうしたら距離なんて出るんだい」「バカ! 俺にきく奴あるかい。"空間" にきいて工夫しろ。一尺離れていたら一尺の、二尺離れていたら二尺の距離が出せぬうちは油絵などに手を出すな」
 あとで、鴻児は私に言うのだ。「あんな先生ってねえよ。それだけ言って帰っちまやアがる」「なるほど、そんなものかね、絵の修行というものは」と私は言うよりない。線とか面とかボリュウムとかでなく、まず距離を言うのだ。来客の顔を描くのが早いので「首狩り」といわれた岸田も、また、木村もそんなことを言ったことはない。また守一先生、鴻児のところへ来てデッサンを見るたびに「駄目」と言うだけでニベもない。
 とうとう鴻児は六年間というもの、祖父の像のデッサンよりも一歩も出なかったのだからこれもたいした男である——「画家と私」——熊谷守一と山下新太郎

『かみなりさま』 中西悟堂

 再読しそうもないし処分しようかと思っていた、中西悟堂さんの『かみなりさま』という本を何の気なしにぺらぺらとめくっていて目に留まった、熊谷守一さんと弟子とのやりとり。

 今でこそ有名な熊谷さんだが、世間の注目を集めるようになったのは、中西さん曰く、最晩年のことだそうだ。「流水不争先 (流水先を争わず)」という熊谷さんの一行書を見つけた。