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30歳になって変化した、私が望む「しあわせ」の形

ふつうの、なんの変哲もない、おだやかで平凡な日常こそが、わたしが望むしあわせ。

そんな風に、ここ数年で感じるようになった。

特別なことなんてなくていい。
毎日がハレの日じゃなくていい。
日々にちにちの、日々の生活を、ていねいに、生きていくことができたのならば。
それ以上のしあわせは、ないと思うのだ。

大切に思う友人や、パートナーや子どもがいて。その人たちと、何気ない会話を重ねて、笑いあって過ごすことができて。みんなが心も身体も健康でいてくれて。お互いを思いあって、助けあったり、支えあったりしながら、毎日の生活が積み重なっていって。

洗濯物を畳んだり。
自分で買ってきた食材で、心を込めてお料理をしたり。
お皿を洗ったり。
部屋を片付けたり。

そんな日常の一コマたちですら、最近のわたしにとっては深い喜びであって、「しあわせだなぁ」と心の奥底でじんわりと感じさせてくれるもの。


ふつうの、なんの変哲もない、おだやかで平凡な日常でいい。
むしろ、それがいい。

大人になったんだなぁって。感慨深く、じっくりと噛み締める。

なんでもない日常を、自分にとって大切と思える人、大好きと思える人たちと過ごしていけること。一緒に、年月を重ねていくことができること。

これ以上のしあわせって、やっぱり、ないと思うんだよな。

この記事を読んでくださった、あなたにとってのしあわせも、聞いてみたいな。

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ねう | 考え、綴る人
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