「心を打つもの」を生み出すもの。
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以前、私は自分が開催するヨガのレッスンの中でも
「役に立つことを伝えなきゃ」
そんなことばかり考えていました。
このレッスンに来てくれた人には
「できるだけゆっくりリラックスして欲しい」
そう思っていたのに。
その想いを一番込めていたはずなのに。
ある時
私のレッスンに来てくれた生徒さんから
こう言われました。
ズドーーーーーン!!!!!!
正にカミナリに打たれたような
衝撃でした。
そんな風に見えていたのか・・
私がそんなだったら
生徒さんがリラックスできるわけないじゃん
というショック。
そして、それ以上に
「言い当てられた!!!!!やっぱりそうだったか」
という納得。
ちゃんと心当たりがあったんです。
冒頭でも綴ったように
私は
「役に立つことを伝えなきゃ」
このプレッシャーといつも戦っていた。
けど、戦うべき相手なんて
ほんとはいなかった。
私が勝手に作り上げていたんです。
その生徒さんはこうも話してくれました。
彼女の言葉に
どれほど心が軽くなったか。
どれほど救われたか。
この時の彼女との会話は
私の中でとても大切な言葉として
ずっと残っています。
これには後日談があります。
私が引っ越しでその土地を離れる前の
最後のレッスンの時。
これで終わり
というプレッシャーから解放される感じと
「最後だから思いっきり楽しもう」
あの彼女も参加してくれていました。
そんな想いで臨んだ最後のレッスン。
終わった後に
拍手が沸き起こりました。
私自身
その拍手があってもなくても
大満足で
自分が納得いくレッスンだと思えました。
あの彼女がこう言ってくれました。
「最高にマインドフルネスだった!心のヨガだった!」
私が望んでいたレッスンを実際にできたんだ、
想いが形になったんだ
そんな風に思いました。
「こうしなきゃ」
より
「こうしたい」
を好きだと言ってくれる人がいた。
それが心を打つのだと、自分で体感できたんです。
そして。
それはinstagramでも同じことだった
ということを思い出したんです。
続く。