プレイアブル012『溢れ出るままに書く』
昨日は、自分自身の色々の想いを溢れ出るままに書き綴ってみた。ここまで思いのままに文字にして吐露したこと、それをSNSのような場所に出したのは人生で割と初めてに近い経験だったと思う。いつも、こういう場に書き綴る時は、必ず書きながら読み手の気持ちや色々な立場の人を想定して、言葉尻1つをとっても、『てにをは』さえも細かく細かく見ていき、誰も傷つかないように、自分自身も誤解されないように、ととにかくガチガチに身体を強ばらせながら書いていたのだが、溢れ出すままに書けたことや、『プレイアブル』のシリーズで1番多くのいいねを頂けたことや、いいねを下さった方が過去に今と私自身に似たような経験をされた片鱗が見られたり、自己対話の専門家の方であったりと、とにかくなりふり構わず吐露することで、得られるヒントもあり、自分自身の世界が広がった。本当に嬉しくて嬉しくて。いいねを下さった4人の方々に励まされているような感覚になり、朝から涙が止まらなかった。本当に感謝している。ありがとうございます。
私自身の想いや言葉は句読点がほぼないことが多く、分かりにくいとよく言われる。だから、分かりやすい文章を書けるようにならなくては。もっと伝わる文章を書けるようならなくては。そう自分自身にムチを打って、溢れ出すままの自分を自分で縛って、がんじがらめにして、その上で自分の粗探しばかりして、ずっと自分自身で身動きを取れないようにしてきてしまっていたんだなと少しずつ分かってきた。
本当は、話したいことがたくさんある。伝えたいこともたくさんたくさんある。だけど、私の話は長いし、まとまらないから、と幼い頃から親にすごく嫌な顔をされ、その度に『上手く話せない自分』にバツをつけて、どこに行っても誰といても、萎縮して生きてきたのかもしれない。
本当はどうしたかったのか?何をしたら私は嬉しかったのか?そう自分に問いかけた時、自分自身の想いをとにかく吐露する場所が欲しかった、と出てきた。本当はオートマで運転免許を取りたかったのに、家にマニュアルの軽自動車しかなく、マニュアルで運転できるのは当たり前だ、出来ないなんてありえない、と私自身の不器用さや恐怖を理解してもらえず、家族から笑われて、教官からもバカにされて、死にそうになりながら必死に免許取ったけど、結局長期休暇開けたら車運転出来なくなって、お金ドブに捨てたって言われて、苦しかった。悲しかった。そんな想いを、誰かに聞いて欲しかった。人にはよく笑い話でネタにして話してたけど、本当の本当は、すごくすごく傷ついていて、だからこそネタにして笑って誤魔化そうとしてたけど、隠してたけど、本当は誰かに聞いて欲しかった。辛かったねって言って欲しかった。言って貰えたら、それだけでスッキリして、次に進めるから。
私は、誰かからの言葉が欲しかったんだと思うしそれを得られないと思い込んでいたから相談も上手く出来なかった。だけど、1番欲しかったのは、他の誰でもなく自分自身からの『辛かったね』『よく頑張ったね』という言葉だったのかもしれない。自分で自分をねぎらうことは、自己成長を止めてしまうこと、とずっと思い込んできた。その思い込みの原因は恐らく家族からの教育だ。だけど、私自身は褒められると伸びるタイプだ。それは自他共に認めている。だからこそ、自分で自分のことを褒めずして、私はどうして成長していけるんだろうか。褒めていいんだ。自分で自分のことを、褒めてもいいんだ。
人前で自画自賛できる勇気は、私には正直ない。だけど、以前からそれができる人に何か不思議な感覚を感じていたのは確かだった。嫉妬や怒りのような激しく醜い感覚ではなく、むしろその正反対で、憧れや魅力に近い、光のような、何か強く引き寄せられるふわっと暖かな感覚だった。
私は、周りからは全然そう見えずとも、必死頑張っている私を褒めたかったんだと思う。そして、それに気づくために何か不思議な感覚を追いかけ続けていたのかも知れない。
何かが、ひとつになっていきそうな、そんな感覚がしている。
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