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『ブラックパンサー(2018)』高らかなアフリカ賛歌は、人類すべてを魅了せんとす

元祖・黒人スーパーヒーローは、MCUで魅惑的なアフリカ賛歌になりました。特筆すべきは、『出発点からポジティブな黒人映画』であることの斬新さか。

※過去のブログ記事の再編集版です。



『歴史的傑作』という、ものすごい前評判

話題沸騰中のMCU最新作『ブラックパンサー』をようやく観てくることができました。

本作について何がすごかったといえば、想像を絶するほどの前評判でしょう。

日本公開前から海外メディアや評論家の評価が伝わってきていたのはいつも通りですが、その高評価ぶりが常軌を逸していたのです。
やれ『歴史に残る傑作』だとか、やれ『アフリカ系の歴史を補完する深いテーマ性』だとか、スーパーヒーロー映画をそんなに褒めてしまって大丈夫なのかと心配になるほどの絶賛。
ゆえに鑑賞前からハードルが最高に設定されていた状態だった訳ですが、しかし実際に観てみた今となっては、そのように評価する方々がいるのも納得の作品でした。

本作はスーパーヒーローの映画として魅力的なだけでなく、題材から派生する問題すべてに丁寧に答えを示していて、単独ヒーロー映画の枠を超えるテーマ性の広がりがあることに異存ありません。

そして、アメリカ映画における"黒人"主体の映画としても非常にエポックメイキングな作品だと感じました。

この先、何年も経ってMCUが過去のものになったとしても、『ブラックパンサー』は時々見返したくなる映画かもしれません。


『史上初の黒人スーパーヒーロー』とその時代背景

そもそも、ブラックパンサーというキャラクターは、アメコミの主役級スーパーヒーローの中では、史上初の黒人キャラクターだったと言われており、アメリカ黒人文化の中では一つの象徴的存在だといいます。

映画や文学などの他のアメリカ文化の例にもれず、アメコミの世界でも『ヒーロー=白人』という時期が長くあったのですね。

MARVELはコミック業界の中では、比較的早くから「白人以外のキャラクター」を登場させてきました。
それまで黒人キャラというのは、たとえばスパイダーマンのロビー・ロバートソンのような脇役キャラには存在しましたが、コミックのメインを張れるヒーローは長らく存在していなかったそうです。
そういう意味で、登場当時のブラックパンサーは画期的な存在だったと聞きます。

初登場(1966年)はFF誌のゲストキャラクターとして

それを裏付けするのが、当時のアメリカの時代背景です。
ブラックパンサーの登場した1966年というのは公民権運動後の動乱期に重なり、まさに激動の時代だったことは想像に難くありません。

・1963年 ワシントン大行進と『私には夢がある』の演説
・1964年 公民権法の成立
・1965年 マルコムXの暗殺
・1966年 ブラックパンサー党(政治団体の方)の結成
・1968年 キング牧師の暗殺

公民権法が成立したものの、まだまだ実態は法律に追いついていない時期だったでしょう。
相変わらず激しい人種差別や、それに対抗しようとする過激な運動が続いていた状態で、彼はコミックの紙面に登場した訳です。


ブラックパンサー登場以後、MARVELでは一線級で活躍する黒人ヒーロー達が続々とデビューしました。

男性キャラなら、ファルコン、パワーマン(ルークケイジ)、ブレイドなど。
女性キャラならストームやミスティナイトなどです。

いずれもMCUなどの映画やドラマに登場して、おなじみの面々ですね。
70年代以降は、MARVELの中でも黒人ヒーローの存在が浸透していったのがわかります。


※ちなみに、1966年というと、スタートレック(TOS)が放映開始した年でもあります。かの作品における人種問題への取り組みを見れば、その前後でいかに大きな変化があった時期か、よく判りますよね。


『出発点からポジティブな黒人映画』の誕生

閑話休題。映画についての話に戻ります。
ここまでの歴史をふまえると、当然、ブラックパンサーには『元祖・黒人ヒーローとしての在り方』を問われる訳ですが、本作『ブラックパンサー』はその点において、期待されるよりも遥かにスゴいものを提示してみせました。

私が『ブラックパンサー』を鑑賞して素晴らしいと感じたのは、本作は私の知る限り初めての『出発点からしてポジティブな黒人映画』ではないかということです。
『アフリカ系人種であること自体を全面的に肯定し、それを礼賛する美学』が貫かれているのです。

もちろん過去にも、主要キャストやスタッフを黒人で固めたり、黒人文化を大きくフィーチャーした映画はありました。
たとえば典型的なところでは『黒いジャガー』がそうでしょうし、モータウンが作った"黒人キャストオンリーのオズの魔法使"である『ザ・ウィズ』も個人的には印象深いです。

ただ私は、それらの映画からは『根本的なポジティブさ』は感じていなかったのですよね。
アメリカという国では、黒人というのは結局は「少数派」です。
そのため、上記に挙げた作品達はどうしても『マイノリティの映画』でありました。

「マイノリティの身内にウケる映画」
であるか、もしくは、
「逆境に立ち向かうカウンター映画」
…ということになりがちだったと思います。

つまり、自分たちがマイノリティであるという自覚や、人種差別が厳然と存在する事実が大前提としてあり、それが出発点となっているのです。
ですから、黒いジャガーにしてもザ・ウィズにしても、「一部の黒人層を中心にカルト的人気、ないし珍品的扱い」というポジションの作品でしかなかったと思います。

では、『ブラックパンサー』は他の映画と何が違うのでしょうか。


ブラックパンサーは世界に向けた『高らかなアフリカ賛歌』である。


本作はアフリカの文化を、単に身内向けに礼賛するにとどまらず、それを「他の人種が観ても羨むような、魅力あふれる形で」送り出しているのです。
すなわち、ネガティブな出発点からではなく、『我々はこんなにも素晴らしいし、美しいのだ!』というポジティブな視点から出発しているのです。
本作はこの『出発点からしてポジティブ』である点において、今までの作品とは完全に一線を画します。

そして、それを実現するための最大の舞台装置が、『アフリカに存在する超リッチな技術先進国』、ワカンダという国です。
このワカンダという存在が、本作では途轍もなく大きな役割を果たしています。

近世以降のアフリカの歴史は、搾取され続けた歴史でありました。
おもに白人国家による侵略、奴隷貿易、植民地化などの過酷な搾取が何世紀にも渡って公然と行われました。

アメリカの黒人文化というのは、「奴隷としてアメリカに連れてこられた」という歴史上、白人主体の文化に順応するところからスタートしていますから、いわば出発点からしてネガティブであり、カウンター的なのです。
アメリカで映画制作をする以上、その縛りから抜け出すことはどうしても難しいと思います。

だから本作では、「アフリカ系アメリカ」ではなく、「アフリカ」なのです。
だから、ワカンダなのです。

本作の魅力は、ワカンダの魅力だと言っても過言ではありません。
ワカンダは『西欧諸国に脅かされることなく、正当進化したアフリカ文化の権化』であり、伝統とテクノロジーの融合した、まさに絵に描いたような理想国家です。

ワカンダのビジュアル面は本当に素晴らしいと感じます。
アフリカ文化を思わせる意匠や色使いを用いながら、雄大な自然と未来的テクノロジーの調和した姿を見せつける。
衣装、メイクから街並み、乗り物、武器にいたるまで、全てが見どころ。手間暇と予算を惜しまない、贅沢きわまる出来です。

デザイナーの意図について、詳しくはこの記事に書いてありましたので、ぜひ読んでみてください。

アフリカの儀式用の仮面や民族衣装、布や刺青に使われる紋様のパターンなどのデザインが優れていることは、ピカソのエピソードを紹介するまでもなく、よく知られるところです。
そういった美点をさらに昇華したデザインワークは見事なものでした。

とくに、ワカンダの民がテクノロジーと同じくらい伝統を重んじていることが一目で伝わる、戴冠の儀式の素晴らしさ。
こうした美しいビジュアルの数々だけでも、本作は後々まで語られるべき映画と言えるでしょう。


ワカンダを揺るがすのは、理想と現実の戦い

このように、本作は理想郷であるワカンダを美しく、誇り高く描いたことで、従来とは異なるポジティブな黒人映画として成立しました。
しかし本作が偉いのは、それだけで完結していないことです。

ワカンダという理想国家を創造した時点で、当然生まれる疑問にも取り組んでいます。

すなわち、『ワカンダは、ヴィブラニウムの特権を独り占めしている。自分達さえ良ければ、世界中で苦しみ抑圧されてきた同胞の黒人達や、他の弱者達のことは見捨てるというのか』というのが後半のテーマとなります。

この問題を象徴する存在が、本作のメインヴィランであるキルモンガーです。
コミックでも主要な悪役の一人である彼ですが、映画版の設定改変によりブラックパンサーと対になる関係に落とし込まれています。
ワカンダとブラックパンサーを黒人文化の理想の象徴とするなら、キルモンガーはアメリカなどの他地域で抑圧されてきたアフリカ系の人々の、現実の象徴です。
ここまで踏み込んだことで、本作はただビジュアルが画期的な映画というだけでなく、国籍に関わらず、アフリカ系の人々すべてへの福音となる映画になっています。
これが本作を凡百のヒーロー映画の枠を超えた作品にしていると思います。

あと1点、誤解があってはならないので言っておきます。
本作は黒人文化を中心とした歴史的・人種問題的なテーマは扱ってはいますが、作中で『人種による差別』は一切していません。
白人や東洋人のキャラも出てきますが、彼らが黒人でないことを理由に悪役にしたり、バカにしたり、のけ者にすることはありません。
私の覚えている限りでは、『黒人』という言葉すら一度も出てこなかったかと思います。
出発点からしてポジティブであるからこそ、そういったカウンター的なニュアンスを完全に排除しているんです。


ワカンダが、MCUの世界を現実から切り離していく

さて、そんな『ブラックパンサー』を世に送り出したMCUですが、忘れてはならないのは『アベンジャーズ インフィニティー・ウォー』が控えていることです。

いよいよMCUの地球のヒーロー達も、宇宙デビューしていくことになると思われます。
『マイティ・ソー バトルロイヤル』からの流れで、おそらくソーとアスガルドの民、そしてサカール星の剣闘士達がアベンジャーズ本編に合流しますし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の合流も決定的です。

今までMCUの地球のヒーロー達は、『ほぼ現実と変わらない地球』を舞台に、『ヒーロー達の周辺にのみ存在する非現実』(超科学や魔法)にスポットをあててきた感じで描写されていました。

しかし、本格的宇宙デビューを控え、地球が戦場になることをふまえると、舞台である地球自体も『現実からの脱却=フィクション化の推進』をする時期が来ています。その立役者となるのがワカンダとブラックパンサーなのでしょう。

ワカンダは、今までの地球を舞台にしたMCU作品の中では明らかに先進的なテクノロジーと強力な資源を誇っています。
本作『ブラックパンサー』のラストで下される大きな決断が、おそらく世界中の全ての地域に対して技術革新をもたらし、宇宙を相手に戦える力を与えていくことでしょう。
そういう意味でも必見の作品となります。

MCUだからというだけでなく、ぜひオススメしたいと思います。


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エモくない映画分析 / 股旅ナスカ
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