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創喜のスタッフ紹介シリーズ 「はじめましてセンムです」

創喜のくつ下はたくさんのスタッフがまごころこめて、企画して、作って、包んで、発送しています。そんなくつ下作りの現場で頑張っているメンバーが自己紹介いたします。

今回はちょっぴり番外編。現在の創喜が生まれるころのお話です。

創喜の歴史についての記事はこちら!

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いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。センムです。
今回は私が嫁いできてからのことをメインにお話しようと思います。

創喜の前身「出張靴下工場」ができたのは1927年のこと。
最初は農閑期の副業として作られていたくつ下でしたが、軍需も追い風になり生産数が伸びていきます。
広陵町の靴下工場の数も増え、多い時には200社もの工場が軒を連ねていました。
戦後には高度経済成長と、それに続くベビーブームがあったので、子ども用のくつ下をたくさん作っていたんですよ。

私が会長(現社長の父)と結婚したのもこのころです。

ところが、くつ下の需要が高まるにつれ海外生産の安価な製品も増えていって、私たちが作ったくつ下も価格競争に巻き込まれていくことに。
より安い製品を求められるようになっていき、作っても作っても利益が上がらない、先の見えない辛く苦しい時期。

会長と二人で悩み抜いた末、くつ下作りを一旦やめようと決断しました。

一生懸命働いてくださっていた従業員の方々を解雇。
工場も他の人に貸すことにしました。

「くつ下工場に嫁いだんやから、一生くつ下のことを考えていこう」と思っていた私にとって、これは本当に大きな転機でした。
やるべき仕事が無くなった会長と私は「どうしたらいいんやろ」と考えはじめます。

ブログを読んでくださっている方々は、こんな時すぐインターネットで「新しい 仕事」と検索するのかもしれません。
でも当時はネットがありませんでしたから、私たちは「色々な人に会って、話を聞こう!」と思い立ち、旅に出ることにしました。
自分たちだけで考えていても何も思いつきませんから、たくさんの人たちの意見を聞きに行こうと思ったんです。

西へ東へと日本全国を旅する中で、出会った人たちが話してくれる様々な言葉から、心のセンサーがピピッと反応するものを集めていきました。
お会いした方がふと話してくださった言葉の中にも、キラキラと光るアイデアの原石が見つかることも……。

こうして見つけてきたアイデアに、今まで大切に守ってきたくつ下作りの技術を合わせて、サポーター、洗顔ミトン、ヘアバンドといった新しい商品を作り始めました。
変わったものでは、料亭などで使う折り箱を組み立てるときに使う「紐」を靴下編機で製造していたこともあるんですよ。
今もたくさんの方々にご愛用いただいているアームカバーも、この頃に作りはじめた洗顔ミトンの技術が活かされています。

新しい製品たちが少しずつ世の中に受け入れられはじめたころ、屋号を「創喜」に変えました。

「創喜」は「創る喜び」と書きます。

作り手が創る喜びを感じられるような、買ってくださったお客様に喜んでいただけるようなものづくりをしよう、という思いを込めた名前。
この思いはしっかりと現社長が受け継いでくれています。

一時期は諦めかけたくつ下作りも今では軌道に乗り、たくさんのお客様に喜んでいただけているのはありがたいことですね。

これからやってみたいのは、創喜のアイテムを通して日本のものづくりの魅力を知ってもらうこと。
私が大好きな藍染を取り上げたブランド「ai amu」もそのひとつです。
くつ下やアームカバーといった気軽に使えるアイテムなので、若い世代の方々にも本物の藍染の素晴らしさに触れてもらえたら嬉しく思います。

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