見出し画像

いつか来た道

久しぶりの山歩きだった。都心から車で1時間くらいの距離にある、そんなに山深くない低山ハイキングコースだ。昼過ぎに登山口の駐車場を出発して、2時間くらいで頂上についた。温暖化が激しくなって、夏の終わりを引きずるような気温が続いていたが、さすがに11月ともなると山を吹き渡る風は秋を感じられるようになり、汗をかいた身体に心地よい。あまり一人での山行はしないのだが、今日思いついての事なので誰も誘えなかった。

 展望の開けた頂上は天気がよく、雲ひとつない吸い込まれるような高い空だ。頂上に据え付けられたベンチに座り、持参したコーヒーミルで豆を砕き、少し薄めにした酸味の弱いコーヒーをたっぷり飲んだ。山行の目的はこのコーヒータイムと言ってもいいくらいで、もやもやした日常を忘れさせてくれる。
 頂上からの景色は近場の山とは言え、思いがけず山稜が連なっている。秋の澄んだ空気に少し傾いた光がそれぞれの尾根に影を作り、山筋を際立たせている。
 充分頂上を楽しんだので下山することにした。山頂からの下りは、別コースを通ることにした。何度か訪れたことがある山なので、それなりに土地勘がある。すこし遠回りになるが、違った景色を楽しむために初めてのコースを選んだ。登山道は整備されていて歩きやすい。
 1時間ほど下ったところで車が通れるくらいの林道にでた。登山マップで確認したが、そこに林道は見当たらない。植林や山の整備のための林道は登山マップに描かれないこともあり、登山道として認知されていない道なのだろう。あたりを見渡したが、他の登山道らしき道は見当たらないので、おそらくこの林道と登山道はしばらくは重なっているのかもしれない。
 登山道から林道へ降りたところに小さな石の道標を見つけた。登山用の道しるべではなく、昔の街道沿いにあるような道標で、丸い卵型の石に文字が彫ってある。顔を近づけてみたが文字かどうかの判別もむずかしい。梵字のような気もするでのどこかの参道に続く街道かもしれない。昔の街道だったら山裾の街に続いている筈なので、迷うことはないだろうと下り方面に歩き出した。林道はアスファルト舗装こそしていないものの、車の轍があるくらいで平坦で歩きやすい。道の片側は削った山肌が露出し、反対側は谷に向かって崖になっていて、道の脇には秋の山野草が風に揺れている。
 谷を挟んだ向こうには下ってきた山と同じような山肌が連なっている。この辺りは植林された山ではなく雑木林が尾根まで覆い、黄色く紅葉した広葉樹がまだらに広がり、秋の夕方の日差しが山肌に絵具をこぼしたような色合いになっている。
 日暮れの時間が近づき、日差しは傾いてきたので、暑くも寒くもなく心地よい空気の中、どんどん林道を進んだ。道は山肌に沿って右へ左へと蛇行を繰り返している。曲がった道の先は尾根筋を回り込むまで見えないのでそのたびに違う景色を期待する。しばらく同じような蛇行を繰り返していたが、突然違う景色が目に飛び込んできた。
 谷を挟んだ山の中腹に大きな構造物が見えた。構造物と言ってもほとんどが樹木や草木に覆われていて、四角い箱のような輪郭はわかるが、直接の外観はほとんど見えない。入口は見当たらず、窓と思われる四角い空洞がいくつか並んでいるのが見える。山肌に沿って尾根に近いところにも構造物があり下の構造物に導管がつながっているように見える。建築資材の採石場の跡地かなと思ったが、金属やコンクリートの駆体は見当たらず、なんだがもっと時代が古そうだ。露出している岩や砂利の山も少し見えるのだが、どれも赤さびている。もしかしたら鉄鉱石かもしれない。そうすると、鉄を精製したかなり昔の「タタラ場」かもしれない。ただそうであれば当然史跡になるので、知らないことは無いと思う。
 夕日を浴びてその構造物はセピア色に鈍く輝いている。目を凝らせば暗い窓の奥に人の影が見える様な気もする。しばらく立ちすくんでその景色を眺めていた。帰り道だったのを思い出し、ぐずぐずしていると日が暮れてしまうので歩き出した。
 しばらく同じような景色が続いていたが、尾根沿いの曲がり角に来たときに冷たい風が吹き抜け、ふと妙な感覚になった。目の前の景色が前に見たことがある景色のように思え、曲がった後のこれから見る景色をすでに知っている様な感覚だ。頭に浮かんだ景色は、今まで歩いてきた道の景色とあまり変わらない。ただ、道の脇に古い木造の電信柱があり上のほうに今はあまり見なくなった傘型の被いが付いた白熱電球が付いている。
 おそるおそる回り込むと、頭に浮かんだ景色がそこにあった。白熱電球が夕暮れの中でほの赤く灯っているのも同じだ。既視感、いわゆるデジャブなのかと思った。疲れているんだろうと思い、帰路を急ぐことにした。あいかわらず同じ様な道が続いている。林道に出てからもう1~2時間経っているような気がする。
 スマホで現在位置を確認することにした。スマホを立ち上げてみたがアンテナが立たず繋がらない。それどころか、時計もおかしくなっている様で、林道に入る前に確認した時間からほとんど進んでいない。
 いくら近場でも山道では暗くなると遭難の恐れがある。道は一本道で迷いようがないので先を急ぐことにした。しばらく同じ様な道がつづいた。林道に入りもうかれこれ2~3時間は過ぎているので、くたくたに疲れてしまっているはずなのに、あまり疲れていないことに気づく。疲れていない上に喉も乾かない。気持ちは疲れているので、確かに時間は蓄積しているはずだ。何かが変なのは確かなのだが、周りを見渡してもおかしなところはない。焦る気持ちを抑えながら疲れない足を機械的に運び続けた。
 相変わらず山の澄んだ空気と黄金色に輝く夕景が続いている。夕景が続いている?
林道に降りた時から日の光が変わらないことに気づいた。数時間経っているので暗くなってもいいはずだが白夜のように日暮れ時が続いている。そのことに気づいた時、焦っていた気持ちが不思議と落ち着きだした。これはどうしようもないことが起こっているのかもしれないと言う思いが湧いてきたのと同時にざらついていた気持ちのトゲがとれ、ただ歩くことを楽しんでいる自分に気が付いた。
 しばらくただ歩くことを楽しんでいると、また既視感が襲ってきた。眼の前の曲がり角に見覚えがある。その曲がり角を曲がると今度は字が刻まれた丸い石の道しるべが見えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?