忘我の村
1.迷い里山
伊勢本街道を歩き始めて1週間になる。出発点の大阪玉造神社を出発して、大阪市街を抜け生駒山脈を越え、奈良市街に入るのに約3日、そこから、紀伊山地を横断すべく、奈良と三重の県境あたりまで来るのに4日かかった。
昨日までは、電車やバスを使い、日帰り工程を重ねてきたが、ここからは、街道も本格的な山道に変わり、交通機関の綱渡りで行ける行程が厳しくなってきた。この辺りは南に大台ケ原や大峰山等、名だたる深山が連なり修験道や本格的な登山への入口となる里が点在するばかりで、近畿圏では珍しいほどの過疎地域だ。
今日も小さな峠をいくつか越え、日が傾いてきたが宿どころか点在する宿場跡の集落にもたどり着けない。宿が無ければどこかで野宿を覚悟しなければいけないかと思いはじめた。
伊勢街道は江戸時代に一大レクリエーションの「お伊勢参り」に使われたメジャー街道だ。移動手段が徒歩から鉄道や自動車に変わったことで廃れたが、あちこちにその痕跡が残っている。宿場の跡や、石の道標、石畳の峠道など観光地となっているところも多く、また近年では「街道歩き」がブームになったこともあり、迷いやすい角には「伊勢街道」と書いた木札がぶら下がっていたりする。
なので山道と言えど迷うことはほとんどないと高をくくっていたのが悪かったのか、峠を3つ越えた下りの山道で道を見失った。江戸時代には人だけではなく馬や籠なんかもひっきりなしに通っていた街道とは言え、雨で土砂が崩れ藪が覆うと、たちまち道の痕跡は消滅する。
山道か獣道かわからないようになってきたので、一旦尾根筋まで戻り、もと来た道を探そうかと考えだした時、急に開けた場所に出た。靄がかかった薄暗い下りの山道にぽっかりと空いた茜色の空が見えた。それまで背の高い針葉樹の森だったのが、いつの間にかブナやナラが混じった雑木林に変わっている。黄色く紅葉した木々に縁取られた、明るい油絵のような森の出口だった。
森を出ると大きな景色が広がっていた。尾根筋から続く道は開けた丘の道となり、緩やかな下り道に沿って大きめの棚田が続いていた。たわわに実った黄金色の稲穂が風に揺れている。稲田を縁取るように黄色とピンク色のコスモスの群生が続き、日が傾いた空との境を彩っている。少し先に瓦屋根と茅葺屋根が混じった10軒ほどの集落が見えた。今来た背後の尾根以外の山並みは谷を挟んで遠くに見え、大きく蛇行した渓谷に囲まれた台地上の里村のようだ。道の傍らに大きなクスノキが生えていた。木の根元にはお地蔵さんが鎮座している。近くで見ると、かなり古そうな石仏で、何か文字が彫ってあるのだが読めない。集落の入口の道しるべなのだろう。
金色の稲穂の波を渡ってくる風が心地よい。11月とは言え、ここ数年温暖化の影響で寒くなるぎりぎりまで暑い日が続き、秋の気配がする時期がほとんどなくなったが、この風は秋の涼風だ。稲穂は首をたれ、後は刈られるのを待っている。傾いた日差しと涼風に吹かれて、気持ちが柔らかくなるのを感じながら集落に向かって1本道を歩いた。
2.田舎家
集落の手前で稲刈りをしているおじいさんに出会った。今どき珍しく手刈りである。リズミカルに稲を刈り束ねて並べていく。おじいさんの後ろには、これもあまり見なくなった木の杭に稲を掛けて天日乾燥させる「はさかけ」が組まれていた。
しばらく眺めていたが作業が一息ついたところでおじいさんに声を掛けた。「お仕事中、すいません。」人のよさそうなにこにこ顔がこちらを向いた。思ったより高齢の方だ。「道に迷ったんですが、この辺りにどこか泊まれるところをご存じないですか?」おじいさんは腰を伸ばしながら「宿を探してなさるんかぁ」「ここには無えなぁ」。
まあそうだろうと思っていた。野宿の為の一人用テントや、寝袋は持参している。私は困った顔をしていたんだろう。
「うちにきなさるかぁ」「ばあさんとふたりじゃさかい、うちにくりゃええ」そういうと返事を待たずにおじいさんは作業を中断した。そして、集落の方へ道を歩き出した。返事をする間もなく、どんどん進むので、しかたなくおじいさんについて行った。集落の中心を通る道はすり切れた石畳だ。しばらく行くと緩やかな坂になり、石畳の道を挟んで古そうな家が何軒か並んでいた。どの家も築100年は経っていそうな立派な田舎家だ。家の前の道には小さな水路があり、澄んだ水が音を立てて流れている。生活用水の為の水路だろう。水面には梅花藻の花が揺れていて、小魚の魚影も見える。水際にクレソンが生えている。その横に自生しているのは多分山葵だ。
おじいさんは歩くのが結構早く、急ぎ足でついていくと並びの一軒の田舎家に入った。道沿いに立っているのは門を兼ねた屋根付きの納屋だ。水路にかかった小さな石の橋を渡り門をくぐると2階建ての高さの藁ぶきの田舎家があった。建物の前には小さな畑があり、葉野菜や名前の知らない実がなっている。「かえったで」おじいさんが声を掛けると、「お客さんかい?」声が聞こえて、こちらも人のよさそうなにこにこ顔のおばあさんが顔を出した。結局、断るタイミングもなくおじいさんとおばあさんの人の好さに引き込まれて、お世話になることにした。
夕飯のタイミングだったので食事もごちそうになった。焼いた川魚とキノコを使った汁、おそらく庭の畑でとれたばかりの野菜を使った料理が並んだ。豪勢な料理というわけでは無かったのだが、びっくりするほどおいしかった。舌が感じるというより身体に染み渡るような美味しさだ。おまけに自家製のどぶろくまでごちそうになった。
夕食の間もおじいさんとおばあさんはにこにこ顔のままで、ぽつりぽつりと会話を交わす。私のことはまるでずっと一緒に住んでいる家族に対する態度のようで、ときどき相づちを求めるぐらいで何も聞いてこない。とても満ち足りた時間だった。部屋は暑くも寒くもなく、料理はとてもおいしい、おじいさん、おばあさんは幸せな空気を醸し出し続け、不快なことはまったくない。心地よさに満たされ、どぶろくのせいもあってかいつの間にか寝てしまっていた。
3.引き算
ご飯の炊ける匂いで目が覚めた。名前の知らない鳥の声が外から聞こえてくる。
しばらくは自分は何者なのか、ここはどこなのかわからなかった。部屋の隅に置いてあった自分のリュックを見て少しずつ記憶が戻ってくる。何かが思い出せずに頭の芯に残っている様な感覚がある。年齢を重ねる毎に、朝すっきり気持ちよく目覚めることが少なくなっているが、今日はすこぶる体調がいい。久しぶりに朝から空腹感を感じ、昨日食事をした囲炉裏があった部屋との境の障子を開ける。
二人はもう起きて食事をしていた。「起きたかの、さあごはんじゃ」囲炉裏端に野菜の総菜とみそ汁が湯気を上げていた。おばあさんがごはんを茶碗に盛ってくれる。まだ起きて顔も洗ってないが、食欲に勝てずに食事の前に胡坐をかいて座った。「おはようございます。いただきます。」挨拶だけしてご飯を食べだした。簡素な食事だが素材がいいのか、滋味が体中に染み渡る。「泊めていただいて、こんなおいしい食事までごちそうになりありがとうございます」一息ついて、お礼を言う。「はぁ」ふたりはにこにこしたまま生返事で答えた。ふと周りを見渡し、テレビが見当たらないことに気づいた。掃除が行き届いた居間のつづきに台所を兼ねた土間が見えるのだが、あるべきものが無い。冷蔵庫や電子レンジが無いのだ。部屋の風景があまりにもおじいさんとおばあさんに馴染んでいるので、電化製品が見当たらないことに気づかなかった。
そういえばこの集落に来たときに電信柱を見ていない。もしかしたら、電気の通っていない集落なのか?という疑問が湧いた。ただ生活はまったく不便そうに見えないので余計な詮索はやめようと思った。
食事を終えると、おじいさんが出かける準備を始めた、おそらく畑仕事だろう。私もお礼を言って街道歩きに戻ろうと思い、支度を始めたが、おじいさんが「さぁ田んぼにいくで」と私を当然のように促す。泊めてもらいごちそうにもなった。お礼に少しぐらい手伝ってから出発しようと思い、促されるままおじいさんについて行った。
昨日の途中まで刈り終えた田んぼだった。里山はまだ朝もやに包まれていた。里山を縁取るコスモスの群生から向こうは、谷に落ち込んでいる。そこに朝霧が溜まり雲海となっている。雲海のかなたに青い山並みが見える。霧の海の中、里山にはやわらかい日差しが降り注いでいる。まるで白い海に浮かんだ黄金色の浮島だ。この島は小さいながら、必要な機能は揃っている。言い換えると余計なものがきれいに引き算されている景色だ。わずらわしさを感じるモノが視界にない世界はこんなにも満ち足りた気分になるのかと少し驚く。
私は鎌を渡され稲を刈りはじめる。初めてなのだが身体が勝手に動いた。子気味良く「さくっ」と黄金色の稲を一束分一気に刈ると腰に差した藁ひもでくくる。リズムよく刈りながら束を一列に並べ、並べ終えると「はさかけ」に掛けてゆく。汗をかきながら作業を進める。身体を動かす喜びが満ちてくる。おじいさんは私より二回りは年上だろうと思うが、手を止めず作業を続ける。田んぼを1枚刈り終えると、太陽が頭の上にのぼりお昼になっていた。
おじいさんと畔に並んで座り、おばあさんに用意してもらったおにぎりを食べた。たまにコンビニでおにぎりを買うが、それとは比較にならないほどうまい。なにもしゃべらずにぼんやりとしていた。高い空にトンビが舞っていた。気持ちよさに顔がにやにやしているのに気付いた。結局夕方まで、稲刈りを手伝った。
4.生きるための記憶
おじいさんは当然のように私を連れて家路に向かう。別に急ぐ旅では無いので「今日もお世話になってもいいか」という気持ちになっていた。
道で同じ集落のおばあさんと思われる人とすれ違った。「こんにちは」このおばあさんもにこにこ顔で挨拶を交わす。すれ違った後、「ご近所の方ですか?」とおじいさんに聞いたら「さぁ?」と生返事が返ってきた。知らない人のようだ。そういえば昨日から、まともな会話が成り立っていない。おじいさんとおばあさんの間も会話らしい会話が聞こえてこない。ふとある疑問が頭をよぎった。二人とも元気そうに見えるが80歳は越えている年回りだ。高齢者の三人に一人が軽度認知症になると言われている時代である。
二人の今日の態度から、どうも昨日の私とのいきさつを覚えていないような気がする。もしかしたら、軽度の認知症で私のことを家族と勘違いしているのかもしれない。
家に帰るとおばあさんが夕飯の用意をいそいそとこなしていた。相変わらずにこにこしながら楽しそうだ。今日も身体に染み入るようにおいしい夕飯を食べながら二人を眺めた。
高齢化社会と言われて久しい。私の周りにも高齢の方はたくさん居るが、こんな幸せそうな顔をしている人は少ない。何故だろうか。
二人とも朝から晩まで身体を動かして楽しそうに働き、作業の合間には、周りの自然や季節を楽しんでいる。食事は質素だが自分たちで育てた野菜が中心で滋味深くとてもおいしい。電化製品もなく、決して便利な生活ではないが足りないものは無い。情報は弱者どころか遮断されている。つまり心惑わせるノイズが無い生活だ。
人は赤ちゃんの頃からの記憶の累積で自己を形成する。記憶によって価値観が形成され、その価値観によっていろんな出来事に対する感情が湧き、その時々の新しい記憶を積み重ねる。人は欲望の生き物でもある。ある欲望が満たされるとそれが記憶となりさらにそれを越えた新しい欲望が湧き、尽きることは無い。誰しもそのサイクルから逃れることはできない。しかし、年齢を重ねると多くの人は記憶の機能が衰えてくる。特に認知症状がでると特定の記憶が失われる。新しい記憶から失われていくのだ。ある宗教家が「年を取って認知になることは、嫌なことを忘れられるようにする神様の贈り物だ」と言っていた。もしかしたらある種の認知症状は、欲望のサイクルのクビキから解放されるという事かもしれない。仏教用語で「足るを知る」という言葉がある。日々のあるがままを受け入れ、満足できる喜びを知ることが幸福であるという意味だ。
美味しい夕食を食べながらそんなことを考えているとなんだか頭の芯がぼんやりとしてきた。何のためにこの里にいるのかを思い出そうとしたが思い出せない。おじいさんとおばあさんの幸せそうな顔を見ているとどうでもよく思えてきた。この里では人が幸せに生きるための記憶以外は必要じゃないのかもしれない。