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犬の系譜 ②

6.対策本部

 ますます増加するインバウンドに対して、出入口となる関西空港を抱える大阪府警は、この「トクリュウ」とその背後の「蛇頭」の連動を叩く為、対策本部を設立した。
 「トクリュウ」の特徴であるSNSでのリクルート活動は、通信の秘匿性という法律が大きな障壁になり阻止することは困難だ。したがって水際の犯行現場を如何にキャッチアップするかということと、命令を下す組織の仮説を立て、潜入捜査と仮説の検証をすることが最初の戦略となった。
 「蛇頭」につながる組織は、港湾関係の利権組織や、繁華街を根城にするグループが幾つかあり、また日本の医薬品は中国人に人気で、免税購買に絡む犯罪ルートが知られていた。
 主に府警の中で、帰化2世や中国語が堪能な捜査員が潜入捜査にあたった。「トクリュウ」が実行する犯罪は多岐にわたる。代表的な犯罪は高齢者を対象にした詐欺・強盗、それと比較的高価な商品を扱う店舗を狙った強盗である。
 インバウンドでの実行犯は複雑な役割分担は難しいと予測し、店舗強盗に絞ってキャッチアップすることになった。中国からのインバウンドが最大化するのは春節の時期である。今年の春節は2月初旬の1週間であり、中国からの観光客は普段の倍になる。潜入捜査官からの情報で、観光客が訪問しやすい難波近辺の貴金属店や高級時計店がターゲットになっていることが判明した。
 段田を含む捜査員の大半は犯罪現場のキャッチアップ要員となり、対象店舗の張り込みや、近隣の監視、実行犯が紛れ込みそうな旅行者の見定めにあたった。段田は貴金属店で販売員となり来店客を監視する担当となった。段田はサングラスを外すと人のよさそうな初老のおじさんだ。こういった店にいると品のいい店舗マネージャという感じだ。店舗は心斎橋のなかで中心地に近い一番人通りの多い通りに沿って建っていた。
 この通りの混雑具合は尋常じゃない。混雑している電車の中くらいの人の密度だ。高級貴金属店なので、他の通り沿いの店舗に比べると店の中に入ってくる人は限られる。それでも狭い店舗の中に常に2~3人の来店客があった。すべて海外からの観光客である。
 貴金属店の来店客のほとんどは匂いを発している。高級貴金属を買おうという人は気持ちが高揚しているのだ。段田には明るい色のモヤがかかっているように見える。特にカップルの来店客は匂い色の発色が強い。ただカップルは面白いことに女性より男性の方が強い色を発色している。過大な浪費とその向こうの下心が匂いを強くしているのかもしれない。

7.心斎橋筋商店街

 段田は店先に立って商店街を眺めた。店の入り口は少し高くなっているので数百メートル先まで人混みが続いているのが見える。まるで湯気のように人混みから匂いのモヤが立ち上がっている。季節は冬なので、匂い柱の勢いは弱いのだが、それでも、様々な感情が交錯し色とりどりのモヤが入り交じり、アジアの繁華街の混沌の風景となっていた。人から漂う匂いは、犬が主人を嗅ぎ分けることからわかるように、すべて違っている。年齢や性別、国籍でも違った色を発する。文化や習慣が違うと発する匂いは違ってくるのだ。そして行き交う人たちの半分くらいは嘘や自分勝手な考えでくすんだモヤを発している。
 段田は暗い気持ちになってモヤを見つめた。人は誰でも犯罪につながる暗い感情を抱えている、ただ犯罪を実行するのは、この中のほんの一部だ。「トクリュウ」の犯罪の特徴は、実行犯へのリモートでの的確な指示をするために、念入りな下調べをすることだ。その為、指示役に近いメンバーが襲撃対象の店舗を訪れ、店員の数や性別、セキュリティのレベルや襲撃しやすい時間帯などを調査すると思われる。
 そうなるとおそらくインバウンドの実行犯では無く、「蛇頭」に近いメンバーが事前に来店するはずだ。それは張り込みを初めて二日目だった。典型的な中小企業の社長のような脂ぎった中年の男性と、これも典型的な水商売の女性が、夕方に現れた。いわゆる同伴出勤前のおねだりかと思われた。段田は同年代のおじさんが発する下心のモヤを眺めていたが、あまりモヤが立たないはずの女性からまがまがしい匂い柱が立っていることに気づいた。怪しくても犯罪を犯さない限り逮捕は出来ない。注意深く眺めていると親父にもたれ掛けながら時々鋭い眼で周りを見渡している。結局このカップルは何も買わずに店を出た。
段田は店の外にいる捜査員に水商売風の女性を追跡するように伝えた。この日は何も事件は発生しなかった。結局この水商売風の女性は、「蛇頭」の息のかかったクラブのホステスだということがわかり、段田が張り込んでいる店舗がターゲットになっている確率が高くなった。

8.実行犯

 ターゲットが想定されたことで、捜査本部は沸き立った。「トクリュウ」+「蛇頭」の犯罪を現場で阻止できることの影響は絶大だ。この構図の犯罪が成功すると国際犯罪組織から日本が「狩場」として認識されることに等しい。
 安全な観光先としての評価は、反面日本のセキュリティレベルの低さや市場に狙いやすい資産が豊富にあることが認知され、防犯上マイナスに働く。日本の警察が水際で犯罪を叩き潰すことを見せることが出来れば、「蛇頭」を含めた犯罪組織侵攻の歯止めとなる。
 春節の1週間、臨戦態勢が引かれた。店舗と商店街の映像が対策本部でリアルタイムで監視され、IT対策グループが、SNSの分析にあたった。また関西空港でも監視体制が強化された。デジタル庁と連携することが出来、入国情報のデータベースを活用することが可能となった。特に顔認証の画像が共有できたのは大きい。
 臨戦態勢が引かれて二日目だった。その時は突然訪れた。その日も朝からアーケードは混雑していた。人混みの半分以上は外国からの観光客だ。段田の眼には観光客がどこから来ているかで色が違って見える。生活や食習慣が違うと身体から漂う匂いも違うからだ。段田がいる店舗から数十メートル離れたところで小さな事件が起きた。本部には東京オリンピックでも採用された、人の流れを分析するシステムが導入されている。人の流れの中で何かが起こると警告するシステムだ。例えば、人が倒れたり急患が出ると人の流れが滞る、またスリや窃盗など通常と違う動きが発生すると画面上でアラームが表示される。対策本部の大型ディスプレイに映し出されている人の流れの一部の色が変わり、アラーム音が鳴る。画面では何が起こっているかはわからないので、現場の捜査員が数人駆けつける。
 現場では人混みの中で若い女性が倒れていた。店舗の前で待機していた捜査員もそちらへ急行した。犯罪グループの陽動作戦だった。
 その時、店の中には中年のカップルが訪れていた。二人の女性店員が客の対応をしている。防犯対策で商品は強化ガラスのショーケースに鍵をかけて納められていて、そのショーケースがカウンターとなって客との間を隔てている。二人の店員は客の要望に応じてショーケースから高級時計をカウンターに並べていた。通りで騒ぎが起こっていた頃、それは起きた。今では覆面の定番となったかぶり物を被った大柄の男二人が店に入ってきた。一人は中国人のマスクで銃を持っている、もう一人は馬の頭のマスクでナイフを構えている。「ウゴクナ!」銃を構えた中国マスクが店員の一人に銃を向けた。女性店員のそばでマネージャ風に立っていた段田も、銃を突き付けられ動けない。馬の頭が中年カップルにナイフを突きつけ、壁際に座らせた。
 カウンターの内側にある非常ボタンは押すことが出来ないが、店の様子は本部でモニターされているので状況はもう把握されている筈だ。やがて警官が戻ってきたが、人質の存在を認知しているので踏み込んでこない、店の外に非常線が張られた。
 中国マスクの男が持ってきたリュックを差し出し、カウンターの上に並んだ高級時計を入れるように店員に指図をした。店員が怯えながら従う。さらにショーケースの中の時計も入れるよう指示を出す。
 強盗の二人と人質の二人はついさっきまで人混みの中にいた、いまは犯人と被害者となって目の前にいる。段田は4人の動きを眺めながら次の展開を考えていた。実は段田には実行犯と同じ黄色と黒のモヤが二人の中年カップルにも漂っているのが見えていた。

9.手繰り寄せる糸

 おそらく、実行犯と人質の二人はグルなのである。実行犯は人質を盾に取り、逃走を図ろうとするだろう。人混みに紛れマスクを取ってしまえば、追跡が難しくなる。その前に何とかしなければならない。
 盗んだ時計をリュックに入れ終わった犯人は、人質を盾に取りながら店を出た。店の前は非常線が張られその向こうは人垣になっている。犯人はこの人込みに飛び込むつもりだ。店の外に出た段田は人垣を見渡す。人垣の一部に黄色と黒のモヤがかかっているのが見える。段田は素早く無線でモヤが見える方向の捜査員に指示を出す。
「人質はグルだ、そっちに行くぞ!」人質と犯人は一塊になって、人垣に飛び込んだ。段田の指示で待ち構えていた捜査員は人質を気にすることなく、マスクの二人を抑え込む。
「タオパオ!(逃げろ)」それを見た中年の客二人も叫んで逃げた。しかし入国時の顔認証データベースでこの二人もすでに特定されていた。あとは宿泊先か、出国審査で逮捕されることになる。人垣にいた数人は逃げたが、顔認証で特定された。結局実行犯は10人を超えた。強盗役以外に、店の客、人混みの中で倒れる役、人垣に紛れて逃がす役、とそれぞれが役割分担されていた。
「蛇頭」は中国国内でリクルートしていたのだが、SNSの監視が強化されていることが誤算だったようだ。最近はテレグラムでも監視され、政治犯がつかまったりしている。しかたなく実際の役割分担や調整は関空に到着してから実施された。具体的には国内の「蛇頭」のメンバーがプリペイドのスマホを手配し、関空で配布。リモートで指示を出された実行犯と「蛇頭」のつながりは本来辿ることはできないのだが、プリペイドの配布から辿ることが可能となった。「蛇頭」のコアメンバーまでには行きつくことが出来なかった。
 しかし、春節に「蛇頭」が企てた犯行は大阪だけではなく、東京や名古屋でも同様で、大阪府警からその構図の情報が共有されていたことから、いずれも未然に防ぐことが出来た。しかし、中国の国内情勢や日本国内の「トクリュウ」犯罪の課題は改善されたわけでは無い。円安が続き、25年の万博開催、日本発コンテンツの流行等々、インバウンドの増加はこれからも見込まれる。日本が国際犯罪組織にとって「狩場」にならないように危機感を継続する必要がある。

10.鼻が利く商売

 段田の系譜の中で特殊能力は全員に引き継がれているわけではない。親の代までは多くいたのだが、段田の代では段田だけがその特技を持つ。祖先が訓練で身に着けた能力なので代を重ねると薄れていくようだ。
 段田は独身なので子供はいない。定年が目の前に近づいている年齢なのだが、これからも結婚する予定はない。段田家の特殊能力は消えゆくかと思われたが、30代になる段田の姪が能力を引き継いだ。
 能力の有無は家族や親せきの中でもあえて話さない。なので彼女が大人になってある出来事が無ければそれに気づかなかった。それは彼女の父親の葬儀だった。段田にとっては義理の兄だ。葬儀は悲しみの「匂い」に包まれる。そんな中、ある弔問客が気になった。薄い紫色の悲しみのモヤが漂う中、その男には憎しみの灰色と歪んだ喜びの蛍光色の赤が混じったモヤが渦巻いていた。顔は神妙な悲しみの表情なので、その色は余計にまがまがしく見える。「何だろう」と思っていたら、喪主の家族に並んでいた姪の彼女がすごい表情でその男を見ていることに気が付いた。あとでわかったことだが、会社役員をしていた故人と役員の椅子を争う政敵だという事だった。
 弔問客が帰った後、彼女に近づき「おまえ、見えるのか?」と聞いた。「おじさんも?」驚いたように彼女も返す。とくにそれからそのことについて話すことは無かったが。彼女も都会で就職し、時々連絡をくれるようになった。
 大学を卒業して、彼女も段田同様特技が生かせる職業に就いた。鼻が利くことが有利な商売、雑誌記者である。それも政界から芸能界まで、ゴシップの駆け込み寺となっている「文芸夏冬」に就職した。彼女は政治記者となって特技を生かし、その年では名の知られる記者になっていた。
 政治家ほど「嘘」をつく職業は無い。特に日本の政治家は「選挙屋」となり下がっている議員が多いので、選挙で勝つために平気でうそをつく。政治記者はその「嘘の匂い」にまみれた政治家たちを相手にする。彼女はもともと正義感が強かった。政治家の嘘もかわいいものから即退場してほしいようなそもそもの政治家としての資質にかかわる深刻な嘘もある。深刻な嘘の持ち主は嘘の色が濃い。彼女は色の濃い嘘を漂わせる政治家を徹底的にマークする。得てしてそういった政治家は弁舌さわやかで、メディア受けし、人気がある人物だったりする。

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