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第1部-1 「やりたいこと」が分からない理由

第1部:私たちは本当に選択しているのか?


なぜ多くの人が「本当にやりたいこと」を見失うのか?

「あなたの本当にやりたいことは何ですか?」と問われたときに、即座に答えられる人はどれほどいるでしょうか。多くの人は「自分が何をしたいのか分からない」と感じており、何かを選び取ることに対して迷いや不安を抱えています。この現象は単なる個人の問題ではなく、現代社会全体に根付いた傾向であると言えます。
かつては、生き方の選択肢はそれほど多くありませんでした。生まれた土地で生計を立て、親の職業を継ぐことが一般的でした。しかし、現代では状況が大きく変化し、膨大な選択肢が私たちの前に広がっています。職業、ライフスタイル、居住地、人間関係……あらゆる面において「自由」に選択できると言われています。しかし、この自由が逆に私たちを混乱させ、選択への不安を増幅させているのではないでしょうか。

現代社会における選択の多様性と混乱

テクノロジーの発展とグローバル化によって、私たちの選択肢は飛躍的に増加しました。インターネットを開けば、世界中のあらゆる働き方や価値観に触れることができます。SNSを覗けば、誰かが夢を叶え、誰かが好きなことを仕事にし、誰かが自由に生きている様子が次々と流れてきます。それらを目にしたとき、多くの人は「自分も何かやりたい」「自分の人生はこのままで良いのか」と焦りや不安を感じてしまいます。
心理学者のバリー・シュワルツは『選択のパラドックス』の中で、選択肢が多ければ多いほど人は幸福になれないと指摘しています。選択肢が限られていれば、その中で最善を尽くそうと考えるものですが、無限に選択肢があると「もっと良いものがあるかもしれない」と迷い続けてしまいます。そして、どれを選んでも「本当にこれが正解だったのか?」という疑念が拭えず、後悔が生じやすくなります。
また、私たちは「やりたいこと」を選ぶ前に、「やるべきこと」に追われていることが多いのが現状です。学校では成績を上げることを求められ、会社では業績を向上させることを期待され、家庭では一定の役割を果たすことが当たり前とされています。このように、社会的な義務や期待に応えることに忙殺されるうちに、自分が本当に何をしたいのかを考える余裕を持てなくなってしまうのです。

「やりたいこと」は本来自然に湧き出るものなのか?

「本当にやりたいこと」は、探せば必ず見つかるものなのでしょうか。それとも、そもそも存在しないのでしょうか。実は、多くの人が「やりたいことが見つからない」と感じる理由の一つに、「やりたいことは特別なものでなければならない」という思い込みがあります。
現代社会では、「やりたいこと」とは「強い情熱を持てるもの」「一生をかけて打ち込めるもの」「経済的にも成立するもの」といったハードルが設定されがちです。しかし、実際には、やりたいことはもっと曖昧であり、流動的なものであっても良いのではないでしょうか。例えば、子どもの頃に夢中になっていた遊びが、大人になって興味を失うことがあるように、「やりたいこと」もまた変化するものなのです。

では、私たちはどのようにして「やりたいこと」を見つければ良いのでしょうか。それは、まず「やりたいことを見つけなければならない」という強迫観念を手放し、「なぜやりたいことが見つからないのか」という問題を深く掘り下げることから始まります。
次章では、私たちが無意識のうちに受けている「外部の価値観」の影響について掘り下げていきます。


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