社会人になると、 過去の記憶は、 必要なくなるのだろうか。 人は忘れる生き物だ。 足枷のように絡まりついてくる、 醜い過去は、 時間が解決してくれる。 私たちは、 過去を忘れることで、 苦しみを乗り越えることが出来るのだ。 しかし、 本当に、全てを忘れ去ってしまっていいのだろうか。 私たちは過去があるからこそ、 1歩を踏み出せる。 それは憧れかもしれないし、 それはトラウマかもしれない。 それは嬉しいことかもしれないし、 それは悲しいことかもしれない。 しかし、
社会人になって、 組織を強く 意識するようになった。 分業こそ、 人類における最大の発明であると感じる。 ひとりではたどり着けない場所でも、 仲間とならたどり着ける。 ひとりでは見ることが出来ない景色でも、 仲間となら見ることが出来る。 それぞれがそれぞれの役割を全うすることで、 私たちは時に信じられないことを成し遂げられる。 組織とは、ひとりひとりによって創りあげられた巨大な生き物なのである。 しかし、 組織が巨大になればなるほど、 その舵取りは難しくなる。
社会人になって、 時間の有限さを、 身に染みて感じる。 学生のころに、 両手で抱えきれないほど、 溢れかえっていた彼らは、 一体、今、 どこに消えていってしまったのだろうか。 "暇"と"孤独" 人としての成長には欠かせない、二大要素である。 暇から逃げるために、 孤独を避けるために、 無理やりにでも行動し、 意外とそれが後の自分にとって有意義であったりする。 タイムマネジメントこそが、 一流と二流の違いかもしれない。 暇と孤独を無理やりにでも作れる 心の準備、 手際
社会人になって、 自信の大切さに、 気付かされる。 自分を信じる。 口に出すのは簡単だが、 行動するのは難しい。 信じるためには、 信じられるだけの根拠が必要で、 信じるためには、 信じ抜くだけの覚悟が必要だ。 だからこそ、 信じられるヤツは強くて、 だからこそ、 信じられたヤツには敵わない。 攻めろ。 自分が今出せる最大の力を振り絞れ。 全力でぶつかって、 全力で砕け散って、 全力で戦い抜け。 自分に妥協をしている奴が、 自分に甘えを許している奴が、 いざ
社会人になって、 最初に行うべきことは マニュアルを叩き込むことだと思う。 しかしなぜか、 昨今の"マニュアル"に対する見方は、 甚だ宜しくない。 あなたはマニュアル人間だ。 と言われて、 快く受け入れる人間はどの程度いるだろうか。 ところで、マニュアルはそんなにも悪しきものなのか? むしろ、尊ぶべきものであると自分は考える。 マニュアルには、 現時点における"正解"が記されている。 正解とは即ち、 あらゆる選択肢の中で、 最も正しい解を表す。 そして、 正解は、
社会人になったからって、 なにも変わらない。 日々の暮らしの話である。 あのころ抱いていた "キラキラ イメージ" は 結局、イメージでしかないのだ。 大学生になったら、、、 毎日○○をして、 ○○な人に囲まれて、 充実した生活を送るんだ!!!!!!! とか。 社会人になったら、、、 ○○に力を入れて、 ○○を始めたりして、 充実した生活を送ろう!!!!!!! とか。 そんな類のものである。 でも、思いつきで作り上げた日常は、叶うはずもなく。 たとえ、周りの環境が
社会人になって、 本気を出すことを、 大切にしている。 別に仕事に限った話では無い。 例えば趣味とか。 例えば自己研鑽とか。 何かと本気でぶつかり合っている人は、 活き活きしていて、 堂々としていて、 いい顔をしている。 本気は、チカラとチカラの真っ向勝負だから、 負ければもちろん悔しいし、 自分より優れている人を見つけるともちろん妬ましい。 もちろん、 挑まなければ、負けることは無いし。 挑まなければ、傷つくこともない。 でも、 挑まなければ、勝つこともできないし
社会人になってから、 隠された裏側を、 覗き込むことが増えた。 消費者から生産者に、 立場が大きく変わったからだろうか。 "ひとつの完成品" が造られるまでの舞台裏(過程)を、 日々考えるようになった。 そして、 決まっていつも、 そこに尽くした人の多さに、 驚かされる。 たった今、文字を打ち込んでいるこのスマホひとつとっても、 それが作られる(自分のもとに届く)までの過程を考えれば、 それは容易に想像できる。 もっとも、 今こうして、クソしょうもない文章を書く自由や
社会人になって、 求められるのは、 アウトプットである。 理想と現実の間には、 少なからずギャップがあって。 それを埋めるために、 それを埋めさせてあげるために、 人は働く。 埋めた穴の大きさは、 一般に付加価値と呼ばれ、 金額でもって規模を示す。 で、。 だから、なんだ。 理屈なんぞ、どうでもいい。 自分に何ができるのか。 それが、もっとも重要だ。 地球のために? 世界にために? 日本のために? そんな、でかいスケールは要らない。 身近な人に寄り添って、 周
社会人になって、 "モチベーション"を、 意識するようになった。 自分の体は、 自分が食べたものからできてるように、 自分の心は、 自分が経験したことからできていると感じる。 あの日 見たもの、 聞いた音、 嗅いだ匂い、 触れた感触。 何気ないあの一瞬が、 自分の心を養い、 ちょっとした出来事で、 自分の心が動かされる。 過去の自分の体験が、 今の自分の原動力となり、 未来の自分を形創る。 想いが途切れることはない。 そして、想いは時代をも超える。 自分を駆り立
社会人になって、 "評価" に触れる機会が増えた。 事ある毎に、 相手に自分を精査され、 事ある毎に、 自分で自分を価値付ける。 その材料は大抵、 自分の過去の行動である。 行動の評価には、 3つの項目が存在すると考える。 それは、 出来た。 出来なかった。 機会が存在しなかった。 である。 まあ、要するに、 やってみないと何も分からんっちゅーこった。 リーダー経験がない人に、 どうしてリーダーシップの有無が判断出来るのだろうか。 いや、出来るはずがない。 自分
社会人になってから "目標" を意識するようになった。 たいていの場合、 目に見えないほど、ゴールは遠い。 大まかな方向だけは、 だけど、ぼんやり見えていて。 辿り着くための道すじを、 必死に愚直に探し出す。 僅かな手がかりも、 見逃してはいけない。 迫るべき変化を、 恐れてはいけない。 頭は常に冷静で、 身体は常に頑丈で、 心は常に前向きで。 そうして今日も、 歩みを進める。
社会人になって、 出会う人の幅が、 瞬く間に広がっていった。 自分の何倍もの人生を歩んでいる人。 自分とは全く異なる境遇を持つ人。 同じ人間のはずなのに、 新種の人間に遭遇したような。 同じ世界にいるはずなのに、 異世界に迷い込んだような。 そんな気持ちになる。 相手もきっと警戒していて、 威嚇の姿勢を崩さない。 距離感を誤るな。 近づく時は一歩ずつ。 そーっとそーっと、歩み寄れ。
社会人になってから、 24時間が、 あっ。という間に感じる。 濁流のように押し寄せる日々に、 流され続けているだけで、 ほんとうに良いのだろうか。 そんなことで、 明日の自分は、 1週間後の自分は、 1年後の自分は、 10年後の自分は、 許してくれるのだろうか。 別に、乗りこなしたい訳じゃないけれど、 ただ、飲み込まれるのは癪だなあ。
社会人になってからは、 "自分の機嫌は自分で取る" ことを心掛けている。 が、、、 あまりにも怒りすぎやしませんか。自分。 嬉しい時は、照れ隠し。 悲しい時は、八つ当たり。 悔しい時は、自暴自棄。 思いがけない事象に対して、 怒りでのみしか、 反応できず。 、、、、哀れなことこの上ない。 あら、まーた怒っちゃったの??? 今日も自分を宥めてる。
社会人になって一番思うのは、 先が見えん!!! ってことな気がする。 学生の頃は、 受験とか就活とか、 人生を揺るがすような大イベントが予め用意されていて、 なんとなく、 "あー。○年後はきっとこうなってんだろうな" みたいな。 ものすごくうっすらとした想像ができたけれど、、、 今は(社会人一年目になってみて)どうだ。 なーーーーーーんにも見えない。 まず、会社員にとっていっちばん大きなイベント "定年退職" ですら、朧気になってきてるじゃないか。 はあ。。。。 とりあ