3.友達/瑠壱は智を呼ぶ
前回のあらすじ
ある夏の日。補習を受けに来ていた瑠壱は、暑さに耐えかねて飲み物を買いにいった帰り道、どこからか聴こえてくる歌声に導かれ、沙智が歌の練習をしているところを目撃した。
本文
友達が欲しい。
実に分かりやすい話だった。
聞けば沙智(さち)は友達と呼べる相手がいないらしい。
元々授業を休みがちだったことに加えて、高校一年生の一学期は特に学校に来られない事情があったらしく、漸くまともに登校できるようになったころにはクラス内の「仲良しグループ」はすっかり形成された後だったらしく、沙智はその流れに完全に乗り損なってしまったのだという。
「それでも……誘ってくれる人はいたんです」
いくらカーストとヒエラルキー渦巻く学校社会と言えども、差し伸べる手はあったようだ。
高校生活の序盤で、友人作りの第一段階で転んで、すっかり周回遅れになってしまった沙智に同情して、一緒に遊ばないかと誘ってくれた同級生がいたのだという。
しかし、
「それも断っちゃった……と」
曰く。彼女は割と忙しい身らしい。
その理由についてははっきりと語ってくれなかったが、どうしても外せない用事が入りやすいというのは確からしい。
従って、遊びの誘いも、直前でキャンセルということが続いてしまった。沙智からすれば仕方の無いことだっただろうし、相手もまた、その事情は汲んでくれたらしい。
ただ、それだけでは人間関係は成立しないもので、一緒に遊ぶ機会のない相手というのはどうしても仲良くなりにくいのだ。
沙智が一回彼女らと遊びに行く間に、他の面々は既に何度も遊び歩いて、仲良くなっていったに違いない。
気が付けば沙智は「仲良しグループに一人ぽつんと付属しているよその子」状態になっていたのだという。
「それでも、誘ってはくれていたんです。でも、悪いじゃないですか。私だけ、その、浮いてる状態じゃ」
分からなくはない。
既に仲良しグループとしての形を確立し、各々の立ち位置も決まっているところに、一人だけ「全く立ち位置の決まっていない人間」が参加するのはなかなかに気まずいものがあると思う。
恐らく向こうはそんな気持ちなど微塵もないのだろう。きっと沙智が時々しか参加できなくても快く迎え入れてくれたに違いない。
が、それはあくまで「仲良しグループ」側の視線である。
彼女らからしてみれば、既に気心の知れた相手複数と、まだ余り仲良くなれていない相手が一人である。これならば、コミュニケーションを取るのは難しくない。所詮は一対多だ。マジョリティの側に属する者の負担はそこまででもない。
問題は沙智の方だ。こちらから見れば気心の知れない相手複数に、自分ひとりで対応しなければならないのだ。
ある程度コミュニケーションの体力がある人間ならばそれでも体当たりでぶつかって仲良くなってしまうのだろう。
けれど沙智は、残念ながらそっち側の人間ではなかった。
結果として、その余りに体力を消耗する空間から、自ら身を引く、という展開になってしまったのだ。
誰が悪いのかと問われれば、誰も悪くないと答えるのが正解なのだろうし、強いて悪者を作りあげるであれば、沙智にそんなスケジュールを強いる、未だ顔も名前も知らないか、ということになるだろう。
そんなわけで、沙智は見事に友達作りに失敗したわけだが、
「じゃあさ、二年生に上がったときはどうだったの?ほら、クラス変えとかあるじゃない?その時は?」
冠木(かぶらぎ)が当たり前の疑問をぶつける。しかし、沙智は首を横に振って、
「……その時期もあんまり学校には行けてないんです。お休みしちゃってて……」
「あー……」
不思議なものだ。
用事、というのが一体何に起因しているのかは分からないが、そんなに同じ時期を狙いすましたように忙しくなるものだろうか。
沙智はややうつむき加減で、
「それで……二年生の時も友達を作ることは出来なくって……」
「今年になって、危機感を覚えてここに来たってわけね」
無言で縦に頷く沙智。
冠木は腕を組んで唸り、
「ううーん……その前に声をかけてくれた子?っていうのは今どこにいるのかな?」
「別のクラス……です」
「声をかけてみようとは……思わないよね」
良かった。
流石にそれくらいは分かるみたいだった。
どもう冠木は「友達が出来ない人間」の心がよくわかってない節があったからちょっと心配だった。
断言してもいい。そんな勇気があるくらいならば、三年生にもなって、こんなところには来ていないはずである。
一年生時から入り浸っている瑠壱(るい)のような例外を除けば。
沈黙。
本当は、冠木が何とかするべきなのだろう。
ただ、いかんせん彼女は「人と接するのが上手くない人間」の気持ちが分からない節がある。
それこそ、「体当たりするような気持ちでぶつかればなんとかなる」とか「殴り合いのけんかをして「やるな」「ふっ……お前もな」なんて会話を交わせば仲直りが出来る」と思っているような節がある。
後者はともかく、前者はそこまで間違いでもないとは思うのだが、世の中にはたとえそれが正解で、一番の近道であったとしても、そういう選択が出来ない人間がいるのもまた確かだ。
そして、沙智は間違いなく「そっち側」の人間だ。
世間一般の表現で端的に換言すれば「コミュ障」の一言で結論付けられる性格。
その余りに乱暴な片づけ方はどうかと思わないではないが、現実問題コミュニケーションにおいて不都合が生じているのもまた確かである。
ならばどうすればいいか。
答えは簡単だ。
友達など作らなくていいという思考を身につければいい。
「なあ」
「は、はい?」
おっと、驚かせてしまった。
仕方ない。何せ今までほとんど背景と同化していて、「なんでここにいるんだろう?」という疑問すらわかないレベルで存在感が無かった男がいきなり話しかけてきたんだ。驚きもするだろう。
瑠壱はこほんと咳払いし、
「そもそもなんで友達を作りたいんだ?」
「そ、それは……」
言葉に詰まる。
やっぱり、といったところだろうか。
そもそも、友達なんていうものは意図的に作るものではないはずだ。
ましてや沙智はここ二年間、曲がりなりにも「友達がいない状態」で立派に学園生活を戦い抜いてきたのだ。そんな彼女が、今更友達を作る必要性は、実はあまりないのだ。
とかく教育者というものは「友達はいいぞ」「友達を作りなさい」と学生の尻を叩きがちで、だからこそ沙智も「友達がいないまま高校を卒業なんて出来ない」と焦ってしまっているのだろうが、その実そこに必要性なんて何もないのだ。
気の合う人間がいれば友達になればいいし、いないのならそのままでも構わない。今のご時世、別にリアルの生活で出会った人間だけが友達というわけでもないのだから。
とまあ、そんなことを、出来るだけ簡潔に、なおかつ分かりやすく説明しようと、
「いいかい、山科さん。そもそも友達なんてものは」
「そうだ、山科。西園寺(さいおんじ)なんてどうだ?」
「本来必要のない…………あ?」
思わず二度見。
その視線の先には憎たらしいほどのどや顔があった。どうだ名案だろう。これで問題は一気に解決だとでも言いたげだ。
「どうだ名案だろう。これで問題は一気に解決だ」
すごぉい。もしかしたら自分で気が付いていないだけで瑠壱にはエスパーとしての才能が眠っているのかもしれない。
「あの……どういうこと、でしょうか?」
沙智がおずおずと冠木に疑問をぶつける。そうだ言ってやれ。突然友達になれだなんて迷惑、
「ん?簡単だ。ここにいる寂しいぼっち男を友達として進呈するってことだ。こいつも日増してるみたいだから、ちょうどいいだろう」
よくない。
なにもよくない。
ただ、そんな申し出を沙智は、
「あの……ご迷惑じゃないでしょうか?」
これはひょっとして俺に聞いているのだろうか。
視線も声も心なしか瑠壱の方を向いている。ただ、それは本当に「心無しか」というレベルだ。そんな塩梅なもんだから返答しかねていると、
「別に迷惑じゃないよな?西園寺」
おっと。
やはりこっちに聞いているようだ。
それならば答えは簡単だ。
迷惑などしようもない。
なにせ相手は“あの”山科沙智だ。こちらから文句などつけるはずもない。
ただ、そんなことをここで馬鹿正直に語ろうものなら、その理由も語らなければならなくなるだろうし、そうなってくると、あの夏の日についても語らねばならなくなるし、なんならその後の顛末についても掘り返さねばならなくなる。それは正直避けたい。
と、いう訳で、
「まあ、迷惑ではないけど」
なんとも曖昧な答えである。
しかも余計な解釈の余地を残してしまっている。
迷惑“では”ない。じゃあなんなんだ。迷惑じゃないけど乗り気ではないのか。その余計な二文字は必要だったのか。口走ってしまってから軽く後悔したが、冠木はそんな瑠壱の心の内などどこ吹く風で、
「よし!それなら決まりだな。ほら、こんなところにいないで、二人で遊びに行くといい。ほらほらほらほら」
瑠壱たちを追い出しにかかる。
ちょっとまて、まさかこのまま二人でどこかに行けというのか。そんな放任主義でいいのか。あんたは一応養護教諭だろう。
様々な文句が頭の中に浮かんでくるものの、どれも口にする前に喉元あたりでぐっと飲み込んでしまう。もしそのフレーズを聞いたら、沙智はどう考えるのか。
これは瑠壱の推測だが、沙智は恐らくネガティブよりの思考回路をしているに違いない。
そうなると、これらのフレーズは彼女に気を使わせてしまうことになりかねない。瑠壱としてもそれは避けたい。
そんな曖昧な遠慮と、深読みがせめぎあった結果、瑠壱(と沙智)は、ろくな抵抗も出来ずに、学生相談室を追い出されてしまったのだった。
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