12.気が付いたら朝だっただけよ。/渡会さんは毒を吐きたい
本編
渡会(わたらい)の会話は往々にして脈絡が無い。さっきまで朝食の話をしていたかと思えば、次の瞬間には明日発売の漫画について話していたりする。かと思ったら朝食の話に戻ってきて、次はもっと関係のない話へと飛び去って行く。
自由きままに飛び回るような会話。それが彼女の特徴なのだ。
だから、
「あれ、大分進んだわよ」
突然振られた会話を四月一日(わたぬき)は理解することが出来なかった。
いつも思うのだが、彼女の会話は脈絡と主語が欠落している場合が多すぎる。
おかげで四月一日は必死に行間を読みながら過去の記憶を掘り起こす作業に明け暮れることになってしまうのだ。
ただ、今回はあまりにも唐突過ぎて想像がつかない。
そんなわけで、
「あの、なんの話ですか?」
この疑問は当然だ。そもそもの問題はと言えば、渡会の言葉に脈絡と主語と聞き手への配慮が一切ないことであって、四月一日の記憶力や読解力が不足しているということでは決してないはずである。にもかかわらず、
「……ミイデラゴミムシが」
悪くない。
俺はなにも悪くないはずなんだ。
気を取り直して、
「ゴミムシではないですけど、流石に分からないですって。なんの話ですか?」
「これよ」
なぜかご機嫌斜めな渡会からずいっと突き付けられたスマートフォンの画面には見覚えのある絵面が並んでいた。
思い出した。これは昨日四月一日がダメ元で進めてみたスマートフォンゲームじゃないか。
「あ、やってくれたんですね」
「まあね。暇だったから」
「ちょっと見ていいですか?」
「いいけど、他のもの見たら女子トイレを覗こうとしてたっていう根も葉もないうわさを流すわよ」
「なんでですか……」
そんなこと出来るはずもない。
火のない所に煙は立たない。
そうは思うのだが、相手は“あの渡会千尋”だ。なにをしてくるかなんてわかったものではない。
彼女にとっては一般的な価値観や倫理観は一切意味がない。ただそこにあるのは「面白いから」とか「つまらないから」といった「自分が良いと思ったかどうか」という判断基準だけだ。
100人中99人が不味いといった食べ物も、自分が美味いと思ったら美味いし、他の99人にも無理やり美味いと言わせてやるというのが彼女なのだ。
火も、燃えるものもないところに発煙筒をたかれて火事に仕立て上げてきてもなんらおかしくはない。余計なことはしないでおこう。
さて。
気を取り直して渡会のデータを眺め出した四月一日だが、
「え、めっちゃちゃんとやってるじゃないですか?」
「当たり前じゃないの。わざわざ時間を使うんだから、それくらいはするわよ」
それくらい、と渡会は評価したが、実際はそんなものではないはずである。
彼女に与えられた時間は昨日の放課後から、今日の朝まで。全て起きていたとしても24時間どころか20時間にすら届いていない可能性が高い。
もちろんその間には食事もすれば、風呂にだって入るだろう。彼女のことだから、流石に睡眠は削っていないだろうから、実質10時間あればいい方なのではないか。
その間にリセマラを終わらせ、キャラクターを育成し、メインのシナリオを進め、ここまでの戦力に整える。もしかしなくても、彼女は昨日からこのゲームしかやっていないのではないだろうか。
四月一日は一言、
「言ってくれればフレンド登録したのに。これだけやるの、サポートがランダムだとむずかしかったんじゃないですか?」
「難しいなんてもんじゃなかったわよ、全く。それより、見終わったなら返してちょうだい」
「あ、はい」
四月一日は言われるがままにスマートフォンを渡会に返す。すると彼女はそれをしまい込んだ上で、
「んじゃ、寝るわ。特に用事もないのに起こしたら変態盗撮マンってあだ名付ける、から」
と、最後まで言い切るか言い切らないかといったところで机に突っ伏し、気が付けば寝息を立て始めていた。の○太くんみたいな寝入りの速さ。ただ、これって、
「もしかして、寝る時間も削ってやってた……のか?」
分からない。
全ては闇の中である。
本人に聞いたって、まともに答えてくれるはずはない。
「たまたまよ」とか「他にもやることがあったのよ」とか、適当な言い訳を並べて逃げ切られるのは目に見えている。彼女の行動を一部始終録画でもしていない限り、恐らくは真実など分かりはしないだろう。
ただ、もし決定権が四月一日にあるのであれば、その事実は、彼女が寝る時間も削ってやってくれた、という内容であってほしい。そう思った。
ちなみに、その後放課後まで、渡会は本当に一度たりとも起きることは無かった。もちろん、教師に起こされようがお構いなしだ。マイペースにもほどがある。